玄侑 宗久,新潮文庫(2016/2).単行本は2013/04刊行.
裏カバーのキャッチコピーによれば,
「福島在住の僧侶作家が生と死の現実を疑視しながら描いた祈りと鎮魂の作品集」
である.
震災後は非日常的な生活が日常になり,それが前に戻ることがないことを感じさせる.
学生時代には SF を読んだが,放射線の中に生きることになることは,SF の世界がリアルになり,放射線のない世界が昔話になることだ.福島から他県に逃れるということは,SF に例えれば地球から逃れるようなもの.また,たとえ逃れても,ふるさとのしがらみは付いてまわる.
放射線はリアルな問題だから,なんとかこれと折り合いをつけて生きていかなければなせない.
この状況は福島に限らず,原発がある限り日本中どこにでも起こりうる.原発は安全と口先でごまかしても,現代人はこの「いやな感じ」から逃れることができない.
「東天紅」は単行本には収録されていないそうだ.避難すべき場所から避難できず餓死する夫婦の話だが,著者は文庫版あとがきで「惨禍」ではなく「僥倖」を描いたつもりと言う.
「アメンボ」は『冷房を強めた車中から光に溶け出しそうな屋根や木々や道路を眺め,小百合は「セシウム」と呟いてみた....素敵な音だ.』で始まる.素敵な滑り出しだが,深刻な内容.
表題作「光の山」はこの状態が 30 年続いた後のことが書いてある.セシウム 137 の半減期は 30 年だが,そのことが計算に入っているような,いないような感じ.
これらは放射線が前面に出た,ストーリーを持つ小説的な作品だが,「小太郎の義憤」はそうではなく,父親が死んでいるかどうか確認するために DNA を採取される三歳児のスケッチ.
著者による「あとがき」プラス「文庫版あとがき」プラス 解説・若松英輔.
カバー油彩 辰野登恵子「前方 後方」.
裏カバーのキャッチコピーによれば,
「福島在住の僧侶作家が生と死の現実を疑視しながら描いた祈りと鎮魂の作品集」
である.
震災後は非日常的な生活が日常になり,それが前に戻ることがないことを感じさせる.
学生時代には SF を読んだが,放射線の中に生きることになることは,SF の世界がリアルになり,放射線のない世界が昔話になることだ.福島から他県に逃れるということは,SF に例えれば地球から逃れるようなもの.また,たとえ逃れても,ふるさとのしがらみは付いてまわる.
放射線はリアルな問題だから,なんとかこれと折り合いをつけて生きていかなければなせない.
この状況は福島に限らず,原発がある限り日本中どこにでも起こりうる.原発は安全と口先でごまかしても,現代人はこの「いやな感じ」から逃れることができない.
「東天紅」は単行本には収録されていないそうだ.避難すべき場所から避難できず餓死する夫婦の話だが,著者は文庫版あとがきで「惨禍」ではなく「僥倖」を描いたつもりと言う.
「アメンボ」は『冷房を強めた車中から光に溶け出しそうな屋根や木々や道路を眺め,小百合は「セシウム」と呟いてみた....素敵な音だ.』で始まる.素敵な滑り出しだが,深刻な内容.
表題作「光の山」はこの状態が 30 年続いた後のことが書いてある.セシウム 137 の半減期は 30 年だが,そのことが計算に入っているような,いないような感じ.
これらは放射線が前面に出た,ストーリーを持つ小説的な作品だが,「小太郎の義憤」はそうではなく,父親が死んでいるかどうか確認するために DNA を採取される三歳児のスケッチ.
著者による「あとがき」プラス「文庫版あとがき」プラス 解説・若松英輔.
カバー油彩 辰野登恵子「前方 後方」.