Sixteen Tones

音律と音階・ヴァイブ・ジャズ・ガラス絵・ミステリ.....

伊福部昭 「音楽入門」

2016-07-05 17:47:14 | 新音律
角川ソフィア文庫 (2016/6).

大家が勝手なことをおっしゃるのをかしこまって承る感じだが,実はこの本を書いた 1951 年の著者は 37 歳であった.ぼく的にはこのように自信満々に語る人は苦手,敬して遠ざかるに限ると思っている.

目次*****
第1章 音楽はどのようにして生まれたか / 第2章 音楽と連想 / 第3章 音楽の素材と表現 / 第4章 音楽は音楽以外の何ものも表現しない / 第5章 音楽における条件反射 / 第6章 純粋音楽と効用音楽 / 第7章 音楽における形式 / 第8章 音楽観の歴史 / 第9章 現代音楽における諸潮流 / 第10章 現代生活と音楽 / 第11章 音楽における民族性*****

第4章ではサティを持ち上げ,リヒャルト・シュトラウスをけなす.この価値観には同意するが,伊福部音楽 (たいして聞いていないのだが) はシュトラウスよりのような気もする.
この章のタイトルの意味は,エドゥアルト・ハンスリックの「音楽美論」(1984)における主張,音楽が音楽であるためには感情表現は問題ではない,音楽はただ音の動きによって成立する...と同じである.

第8章には大作曲家たちに対する著者の評価.
例えばシューベルトはリストによって「未曾有の詩人作曲家」と評されたが,彼ほど文学的趣味に欠けた作曲家も稀です...とある.でも,このことは,彼が本質的に音楽家であったことを証明すると考えることができます...など.

第9章の最後では,現代の音楽はハイ・ブロウとロウ・ブロウの二つに画然と分かれていることを嘆いておられる.65 年前はそうだったかもしれないが,昨今はそれほどでもないだろう.
それはそれとして,鷲巣詩郎の解説はこのハイ・ロウという枠組みを超越した音楽家として伊福部を絶賛しているが,本文を読んだ限りではあまりそういう感じはしない.別なところで「映画音楽は食わんがため」とおっしゃるのを読んだ覚えがあり,特に後年の映画音楽にはけっこう手をぬいていたように聞いたためかもしれない.
ただし巻末に収録された 1975 年,同人雑誌「衝撃波Q」に掲載されたインタビューを読むと,映画音楽を作るのはお好きだったにちがいないと感じられる.

インタビューと解説を合わせて,文庫本で 190 ページ.系統的な音楽入門とは言えないが,面白かった.
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