Sixteen Tones

音律と音階・ヴァイブ・ジャズ・ガラス絵・ミステリ.....

Nat "King" Cole  のジャズ

2017-08-11 08:40:02 | ジャズ

テレビが白黒だった一時期,時間つぶしにこのビデオ (当時は映画だったかも) がしょっちゅう放映されていたように記憶している.
むかしラジオで誰かが「彼はジャズ・プレイヤーだったが,病気で余命いくばくもないと知って,家族のためにポピュラーシンガーに転向した」と言っていたが,嘘だろう.モナ・リザのヒットが 1950,肺がんで亡くなったのは1965 年,45 歳だった.
かってはジャズとポピュラーの垣根は低かった.

1955 年のレスター・ヤング,バディ・リッチのトリオにピアニストとして参加したときの録音がいくつか Youtube にアップされていた.例えば https://www.youtube.com/watch?v=dxZ3r1LGA4Q

オスカー・ピーターソンは彼をアイドルとしていのだそうで,"With Respect to Nat" https://youtu.be/r6vDPo0wixsというアルバムがある. 2曲目の Paper Moon はレイ・ブラウン,ハーブ・エリスとのトリオ.
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バケツの水をぶちまける !

2017-08-10 07:48:20 | お絵かき

CD ケースに内側からアクリル絵具.
もとの写真は 1954 年のもの.残念ながら当時の母にこのような溌剌としたイメージはない.
特定のシャッタースピードで特定の瞬間を切り取らなければならない.当時のカメラを考え合わせると,すごい腕前と思うが,撮影者は不明だそうだ.

この写真でなければ撮れない映像を絵にして見た.水はほぼ忠実に写したつもり.不透明と透明の2種類のホワイトを使ったのだが,スキャンしてみたら白色が埋もれ気味.背景は説明的になるのでやめた.赤い鼻緒がいいでしょう?!
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メディアによる想像力の刺激

2017-08-09 08:34:47 | エトセト等
写真左は 1954 年.街頭テレビでプロレスを観戦する人たち.画面サイズは今の家庭用 TV くらい? もちろんモノクロで,解像度は比較にならない.そんな画面を遠くからながめて,豆粒のような力道山に興奮していたのだ.

家庭でテレビを見るなんて夢のまた夢であったから,同時代の子供達はもっぱら街頭紙芝居.おじさんが駄菓子と交換に,10−20 人の子供達を相手に静止画スライドショーのナレーターを勤める.画面は B4-A3 くらいであった.

こうした昭和 20-30 年代のエンタメはいたって貧しいものであったが,いまのテレビ同様,もしかしたらそれ以上の興奮をもたらした.あの頃は,大人も子供も,インプットされる貧しい情報量を想像力で補っていたのだろう.
現在はあの種の想像力を発揮する必要はなくなり,想像力は訓練されないから,減退しているのではないだろうか.

テレビ番組で見た原爆の絵は怖かった.我が家のテレビの画面でも,原画とは別な迫力があったのだと思う.画用紙に描かれた小さなヘタウマ原画を見ただけだったら,「ふーん」で終わってしまった...というのは杞憂だろうか.
怖かったのは,テレビ画面が貧しい想像力を助けてくれたから?
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暑いので雪の歌 白い想い出

2017-08-08 08:57:37 | ジャズ

当地では幸い台風の影響は深刻ではなかったが,また暑くなりそう...雪が降ってきてもらいたい.

この歌を作詞作曲した山崎唯はテレビの奇声タレントという印象が強い.久里千春のために作った曲だそうだが,どんなカップルにも一度くらいセンチメンタルな時間があるということだろう.

山崎さんがお亡くなりになったのは 1990年,57 歳だった.本来はジャズピアニストだった彼の自作自演が残っていないのが残念.

ダーク・ダックスの録音は 1963 年で,スイングのコンボ (秋満義孝 5 ? 自信なし) が伴奏している.珍しくゲタさんのソロが聴ける.
酒井俊さんも録音している.

われわれの世代にはこの歌に思い入れのある人が多い.稲見一良の小説で登場人物がこの歌を歌い出す場面があった.彼はその後虎に襲われて死んでしまうのだった.
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原爆の絵

2017-08-07 09:10:57 | お絵かき

“原爆の絵”は語る ~ヒロシマ 被爆直後の3日間~.8/6(日)1305 NHK G.

NHK のホームページからの抜粋
*****被爆者たちは、後世に伝えるため自らの実体験を“原爆の絵”に描き残した。現在、およそ4,200枚が広島市の平和記念資料館に所蔵されているが、劣化が激しく展示されているのはごくわずかに過ぎない。一枚一枚に目撃した日時や場所、色や音や臭い、その時の心境まで生々しく書き込まれた原爆の絵は、被爆の実態を五感で伝える貴重な“証言記録”でもある。
今回、8Kスーパーハイビジョンの超高精細カメラで絵の細部まで丹念に撮影し、時系列に沿って再構成することで被爆直後の壮絶な3日間を追体験するようにたどっていく。 *****

とても怖かった.

広島平和記念資料館でも 8K ハイビジョンで絵の映像を見ることができる.入場無料.

市民が描いた原爆の絵は,PC で,平和記念資料館平和データベースから検索・鑑賞できる.画像・内容の無断利用はかたくお断りされているが,昭和 49-50 年収集ぶん 1978 件から絵の「内容」をあえてピックアップしてみる.

- 2本の電柱の間の立ったままの全裸の死体、半身は黒く半身は電柱の陰で白いままである
- 「ピカドン」の瞬間、地面に叩きつけられながら見た土煙とともに傾く広島城
- 「生徒を助けて」と頼み自分は担架に乗らずそのまま亡くなった女性教師
- 水を求めながら防空ごうの中で死んでいった被爆者達、死んだ母親の乳をすう赤ん坊
- 電線に宙づりになった女性
- アメリカ兵が両手を釘で打ちつけられこめかみを銃で撃ちぬかれている
- 黒い雨が降り出し、道路の水たまりの水を飲む人々、大きく口をあけ雨水を口で受ける人々

...
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続・ここまで変わった日本史教科書

2017-08-06 08:42:08 | 読書

カットは産経ニュース 2015.5.7 07:00「これは一体どこの国の教科書なのか…」より転載.
昨日の,高橋 秀樹, 三谷 芳幸, 村瀬 信一「ここまで変わった日本史教科書」吉川弘文館 (2016/8) の続きです.

本文の他に,「日本史教科書 Q&A」付録として,1) 中学校学習指導要領社会科 (歴史的分野 平成 19 年度),2) 中学校学習指導要領社会科 (歴史的分野 昭和 44 年度),3) 義務教育諸学校教科用図書検定基準 (抄 平成 26 年 1 月告示) がついている.Q&A がおもしろい.また付録からは政権の検定への影響がうかがえる.
この本の著者は教科書を検定する側だから,タイトルを「ここまで変わった日本史教科書検定」としたいところ.しかし,近現代の記述はまことにお役人的で,教科書で従軍慰安婦などのきな臭い問題をどうしたかについては,ほとんどスルーである.

2007 年に遡るが,高校生の日本史教科書の検定で,沖縄戦の際に日本軍が住民に集団自決を強制したという記述が削除されたので,沖縄県議会が 6 月 22 日に,検定意見の撤回と記述の回復を求める意見書を全会一致で可決したという事実がある (http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20070623/jiketu).ネットによれば,この本の著者のひとり村瀬氏が,このとき検定に当たった張本人とされている.

この本には「検定意見と修正の実例は文科省のサイトに出ている」と書いてある.上の例はどうだろう.確かに過去の検定事例を載せたサイトがある.何年何月とまとめてあるのだが,1997 年から 2006 年までは毎年事例があるのに,そのあとは 2009 年まで跳んでいるのだった.
この集団自決問題は検定の「実例」としてはふさわしくないとの判断からアップされなかったと思うが,実際の教科書ではどうなったのだろう.

BTW
村瀬氏による本書のコラム「謎もロマンもないけれど」には天皇機関説について,「この事件が政党政治の基盤を掘り崩してしまったことはどの本 (教科書のこと) でも書いてある.しかしその理由を詳しく解説したら,帝国憲法の,条文とはまた別の運用面の特質という,重要だが軽視されがちな問題に生徒が関心を持ってくれたかもしれない」と言っている.これだけでは素人には何のことかワカリマセン.Wikipedia に書いてあることを指しているのだろうか.
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ここまで変わった日本史教科書

2017-08-05 09:50:46 | 読書


高橋 秀樹, 三谷 芳幸, 村瀬 信一,吉川弘文館 (2016/8).図書館本.

著者3人は現役あるいは OB の文科省初等中等教育局教科書調査官.類書は何冊か出版されていて,これは文科省の正式見解だろうか.旧石器から平成まで,46 のテーマについて,各 4 ページにまとめられていて,どこから読んでもいい.最後のテーマに安倍晋三の写真が出ているのは「忖度」の結果だろう.

テーマは戦後教科書の内容がどう書き改められて来たかである.自分が学校で歴史を学んだのは 1950 年代であった.その後学界の定説がどう変わったかを要領良く知るには良い本.

著者3人は古代・中世・近現代と分担したようだ.
マスコミのように「聖徳太子ではなく厩戸皇子」とか,「いい国作った 1192 年はあやまり」とか,歯切れのいい書き方はしていない.かってはスーパースターだった聖徳太子だが,今は推古天皇・曽我馬子とともにあの時代の権力の 1/3 を担ったということらしい.また 1192 年は頼朝が征夷大将軍になった年だが,そういうピンポイントの年にはたいして意味はないということ.

読んで面白いのは近世で,また昨今のエンタメ時代小説はよく歴史研究の進展を追っているなとか感心した.身分制度は「士農工商」ではなく,徳川家斉の評価は上がり,江戸の三代改革の評価は下がる.
教科書によってまちまちに扱われるテーマもあり,さらにこの本の著者も一言あったりする.調査官の先生方は教科書間の記述のばらつきを,上から目線で余裕を持って楽しんでいるように思われる部分もある.

近現代について,右あるいは左のエキスパートには,つっこみどころ満載かも.これについてはまた,明日
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ガイジンに日本文化を教わる時代

2017-08-04 09:38:12 | エトセト等
Facebook で日本 IBM のデジタルメディア mugendai のインタビュー「日本人はなぜ古文が読めなくなったのか - ロバート キャンベル氏に聞く...」が紹介されていた.まず,くずし字が読めないことから始まる.ただしキャンベル氏の言うように,明治維新で突然読み書きできなくなったわけではなく,大正生まれの我が母親もくずし字を書いていた.

それはさておき,関連して思い出したのがアダム・カバット「妖怪草紙―くずし字入門」柏書房 (2001/07).くずし字は難しくはないのだが,モチベーションがあってこの本を読んだわけではないので,残念ながら「ああおもしろかった」で終わった.江戸時代のエロ草紙にでも挑戦すべきだった.

ミニコミ誌 月間「日本橋」にはかってガイジンが日本文化を講義するという連載があった.
明治以前のニッポンは日本人に取っても外国のようなものであり,外国とつきあうなら,日本という外国にいるガイジンの方が得意なはずである.ガイジンに日本文化を教わるのは reasonable!?
トップは,キャンベル氏の御真影と,このブログで紹介したガイジン諸氏の著作たちである.

明治以来,日本のどの大学の文学部には,シェークスピアを研究する研究室が一つくらいはあったらしい.われわれがシェークスピアに魅力を感じるように,世界的に日本文化に魅力を感じていただけるなら,結構なことである.
トップに並んだうちでは,百人一首はともかく,妖怪も大津絵もマイナーではある.こういう分野に目が行くガイジンさんも多いのかな.

日本人が書いたシェークスピア本などが欧米で売れるということもあるんだろうか.
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科学者としての宮沢賢治,高木仁三郎

2017-08-03 08:30:59 | 読書

高木仁三郎・著,高頭祥八・絵「宮澤賢治をめぐる冒険 : 水や光や風のエコロジー」社会思想社(1995/4).

大学院学生時代,全共闘運動が盛んになる以前に東大核研に出入りしたことがあった.著者の高木さんは当時そこで助手だった.核研にはもっと過激な運動家がおられたので,高木さんをサヨクと認識していなかった.
数年後自分が原研核融合に転職するといったら,やめた方がいいと忠告された (全くその通りだった).あのとき高木さんはプルトニウム研究会 (原子力資料室の前身) を立ち上げる準備をしておられたのだ.

この本は古書で購入.第5回イーハトーブ賞受賞とある.熱心なフォロワーではないので,高木さんが宮沢賢治について造詣が深かったことを初めて知った.
「第1話 賢治をめぐる水の世界 / 第2話 科学者としての賢治 / 第3話 「雨ニモマケズ」と私」という構成だが,第2話に感銘を受けた.
宮沢賢治と高木さんご自身とグスコー・ブドリが三重に重なる.
賢治の羅須地人協会と,高木さんの原子力資料室が重なり,さらに賢治童話の「猫の事務所」が三重に重なる.ぐだぐだの猫の事務所が登場せず,優等生ブドリだけだったら「ふーん」で終わってしまったところだろう.

あとがきにあるように,賢治に事寄せて著者の科学論と自然論を披露したところが,凡百の憲治論とちがうところ.僕的には,高木なんて聞いたことがないという賢治の専門家に読んでいただき,賢治の意識を現代に置き換えて,例えば原発について考えていただきたいと思う.
2011/10 に七つ森書館から新装版が出ている.
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ベーシスト登場

2017-08-02 08:47:09 | お絵かき


CD ケースにガラス絵風に内側からアクリル.7/31 の朝日新聞別刷り特集「オトノチカラ - 第 58 回広島県吹奏楽コンクール」第 1 面に登場の彼女.弓も運ぶところが (ふつうの) ジャズとちがう.

この絵を肖像権の持ち主に進呈したいところだが,私じゃないと言われそう.もとの写真からは左右反転している.顔を描かないところは熊谷守一のまね.上半身のほうが明るいのは,撮影は廊下で足許に窓の光が及ばなかったためだが,背景をさぼるのはやっぱりまずかったか.
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