【萬蔵稲荷神社】:村上春樹作品でも注目「消えた即身仏の謎」追う
『漂流日本の羅針盤』:【萬蔵稲荷神社】:村上春樹作品でも注目「消えた即身仏の謎」追う
宮城県白石市小原の山あいにひっそりとたたずむ萬蔵稲荷(まんぞういなり)神社はかつて、ミイラとなった僧侶「即身仏」を県内で唯一まつっていた。ところが即身仏は大正時代、消息不明に。誰が、なぜ――。その経緯を盛り込んだ紀行エッセー「日本のミイラ仏をたずねて」が今夏、復刊した。
福島県国見町の東北自動車道・国見インターチェンジから車で曲がりくねった峠を上ること約10分。さらに歩いて約130基が連なる朱色の鳥居のトンネルをくぐると宮城、福島の県境にある萬蔵稲荷神社に到着する。
名前の由来となったのは1767年生まれの熊谷萬蔵。宮司家の11代目か13代目にあたるという。山形県の羽黒山で15年間修行し、大阿闍梨(だいあじゃり)金剛院祐観の院号を与えられた。大干ばつの際には雨乞いで大雨を降らせたとの伝説も残る。
神社に残された写真。誰がいつ撮ったのかは不明だ
萬蔵は81歳で亡くなると遺言通り埋葬から3年3か月後に掘り起こされ、即身仏として再び民衆の信仰を集めた。子孫たちが大切に管理し、明治時代には、それまでの賀良明貴(がらみき)稲荷から現在の名称に変わった。
その萬蔵の即身仏が消息不明となった理由を約25年前に取材したのは、出版社「荒(あら)蝦夷(えみし)」(仙台市)代表の土方(ひじかた)正志さん(55)。当時フリーライターをしており、週刊誌の納涼企画取材のために即身仏をまつる山形県や新潟県の寺を訪ねたことがきっかけだった。「目の前に数百年前の遺体があり、手を合わせる。なんとも言えない不思議さと安らぎを感じた」と振り返る。
即身仏関連の文献を調べても萬蔵稲荷は未調査だった。先代の宮司らから話を聞き、漢字でびっしりと書かれた社伝を読み込んだ。
土方さんが注目したのは明治、大正時代の博覧会ブーム。各地の珍しいものを並べ、特に東北地方の民芸品や文化財が人気だった。取材の結果、萬蔵稲荷について土方さんが導き出した経緯はこうだ。神社に学術調査の依頼が来た。宮司の親戚を通じての依頼だったこともあり、即身仏を提供した。ところが受け取ったのは学者ではなく興行師だった――。
復刊した本を手にする土方さん
土方さんは萬蔵を含む、全国の18体の即身仏の歴史や住民との関わりを取材し、1996年に旧作を出版した。
取材から四半世紀がたち、即身仏は村上春樹さんの小説「騎士団長殺し」でも取り上げられるなど、にわかに注目が集まり始めた。本や映像作品の参考文献に使われながらも絶版になっていたことから、出版社側の要望を受けて8月初旬に再発行された。復刊に際し、現況のメモも加えた。
土方さんが取材した宮司たちはすでにこの世を去った。跡取りである現宮司の熊谷祐康(ゆうこう)さん(63)も両親から即身仏について多くは聞いておらず、「この本で知ったことが多い。記録してくれてありがたい。いつか戻ってきてほしい」と話す。
萬蔵の即身仏は、正面と背後から撮影された2枚の写真にその姿をとどめるだけだ。毎年6月27日の萬蔵の命日には写真の保管場所であるお宮を特別に開き、祝詞を上げ、終了後には近くで直会(なおらい)を開く。毎年20~30人が集まるという。
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「新編 日本のミイラ仏をたずねて」(271ページ)は1800円(税抜き)。問い合わせは発行元の天夢人(03・6413・8755)。
◆即身仏=民衆を飢饉(ききん)や天災から救うため、断食や山ごもりなどの厳しい修行を積み、地中の石室に入り、息絶えるまで経を唱え続けてミイラとなった僧侶。
元稿:讀賣新聞社 主要ニュース カルチャー【ニュース】2018年09月03日 20:22:00 これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。