路地裏のバーのカウンターから見える「偽政者」たちに荒廃させられた空疎で虚飾の社会。漂流する日本。大丈夫かこの国は? 

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【韓国】:チョ・グク法相の親戚逮捕 横領などの容疑

2019-09-16 23:56:30 | 【韓国・在韓米軍・従軍慰安婦問題・強制労働・島根県竹島(韓国名・独島)の領有権】

【韓国】:チョ・グク法相の親戚逮捕 横領などの容疑

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【韓国】:チョ・グク法相の親戚逮捕 横領などの容疑 

 韓国のソウル中央地裁は16日、文在寅(ムンジェイン)大統領の側近、チョ・グク法相の親族に絡む疑惑を巡り、横領などの容疑で、チョ・グク氏の親戚である30代の男の逮捕状を発付し、検察は男を逮捕した。韓国メディアが報じた。検察が同日未明に逮捕状を請求し、中央地裁が必要性を審査、逃亡や証拠隠滅の恐れがあるなどとして発付を決めた。一連の疑惑で逮捕者が出るのは初めて。

 男はチョ・グク氏の妻らが出資した私募ファンドの実質的所有者とされ、検察はチョ・グク氏の親族による不透明な資金運用疑惑の解明を本格化させる方針。捜査対象を別の親族らに広める可能性もある。

 疑惑への批判が起きる中でチョ・グク氏を法相に起用した文政権に対し、野党のさらなる反発は必至だ。

 男は私募ファンドに関する疑惑が浮上した後、海外に出国し、帰国した14日に仁川国際空港で拘束された。

 チョ・グク氏の妻は、娘の進学に有利になるよう大学の表彰状を偽造したとする私文書偽造罪で既に在宅起訴されているほか、私募ファンドの資産運用にも関わった疑いがあり、検察は事情聴取の時期などを検討している。

 韓国メディアによると、検察は私募ファンドが出資をした街路灯関連機器の製造会社に関し、文政権で重用されているチョ・グクの影響力を利用して不正に受注した疑いがあるとみている。親戚の男は海外に滞在中、製造会社の代表に資金の流れに関して口裏合わせを依頼したとも報じられている。(共同) 

 元稿:日刊スポーツ社 主要ニュース 社会 【話題・韓国】 2019年09月16日  23:56:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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【皇室・秋篠宮家】:欧州歴訪中の佳子さま、オーストリア大統領表敬訪問

2019-09-16 22:52:30 | 【皇室・天皇・褒章・皇后・皇太子・元号・宮家・皇室財産・皇族の戦争責任】...

【皇室・秋篠宮家】:欧州歴訪中の佳子さま、オーストリア大統領表敬訪問

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【皇室・秋篠宮家】:欧州歴訪中の佳子さま、オーストリア大統領表敬訪問 

 欧州歴訪中の秋篠宮家の次女佳子さまは16日、オーストリアの首都ウィーンでファンデアベレン大統領を表敬訪問された。

 日本との友好関係150周年を迎えたオーストリアから招待を受けた。佳子さまの海外公式訪問は初めて。

 「天使の歌声」と呼ばれ、世界的に有名なウィーン少年合唱団が日本で数多くの公演を行っていることに大統領が言及すると、佳子さまは日本でのコンサートを鑑賞したことがあると話し、両国の交流が盛んなことを「大変うれしく思っています」と応じた。

 佳子さまは同日、アウガルテン宮殿を訪問し、同合唱団の合唱を鑑賞。

 佳子さまは25日までの日程で、オーストリアとハンガリーを歴訪する予定。ハンガリーからは外交関係開設150周年を記念し招待を受けた。

 17日にオーストリアとの友好150周年記念レセプションに出席し、あいさつするほか、19日にはハンガリーの首都ブダペストへ移動。20日にアーデル大統領を表敬訪問し、大統領夫妻主催の昼食会に臨む予定となっている。(共同) 

 元稿:日刊スポーツ社 主要ニュース 社会 【話題・皇室】 2019年09月16日  22:52:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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【世界貿易機関(WTO)】:韓国の日本提訴を発表 輸出規制「差別的」

2019-09-16 21:15:30 | 【韓国・在韓米軍・従軍慰安婦問題・強制労働・島根県竹島(韓国名・独島)の領有権】

【世界貿易機関(WTO)】:韓国の日本提訴を発表 輸出規制「差別的」

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【世界貿易機関(WTO)】:韓国の日本提訴を発表 輸出規制「差別的」 

 世界貿易機関(WTO)は16日、日本による半導体材料3品目の輸出規制強化措置が不当だと主張する韓国が、WTOに日本を提訴したと発表した。

 提訴は11日付。今後60日間は日韓両国の協議期間となる。この間に解決に至らなければ、通商問題専門家(原則3人)で構成される紛争処理委員会(パネル)の設置を韓国が要求することになり、第三者の判断にゆだねられることになる。

 WTOは10日、日本製のバルブを巡る韓国による反ダンピング(不当廉売)課税問題で日本勝訴の最終判断を下したが、韓国政府は「韓国勝訴」と主張した。輸出規制強化を巡るWTOの判断が日韓対立の解消につながるかどうかは見通せない。

 「一審」のパネルは、設置されてから、原則として約6カ月で判決に当たる報告書を提出。内容に不服があれば、上級委員会に上訴できる。「二審」の上級委の報告が最終決定となるが、出るまでには少なくとも1年以上かかるとみられ、問題の長期化は必至だ。

 韓国側は、日本が7月に始めた輸出規制措置は、元徴用工問題に関連し「政治的な動機で行われた」として、「差別的な措置だ」と訴えている。

 日本政府は、半導体材料の措置に加え、8月には安全保障上の輸出管理で優遇する「ホワイト国(優遇対象国)」から韓国を除外。韓国も9月中に優遇措置を取る国のグループから日本を外す予定で事実上の対抗措置を進めている。(共同)

 元稿:日刊スポーツ社 主要ニュース 社会 【話題・世界貿易機関(WTO)・韓国】 2019年09月16日  21:15:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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【兵庫県西脇市】:自宅で母の車にはねられて2歳女児が重傷

2019-09-16 20:35:30 | 【不慮の事故・自動車事故・予期せず、意図せず、発生する惨事、火災他】

【兵庫県西脇市】:自宅で母の車にはねられて2歳女児が重傷

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【兵庫県西脇市】:自宅で母の車にはねられて2歳女児が重傷 

 16日午前8時50分ごろ、兵庫県西脇市岡崎町の住宅敷地で、この家に住む女児(2)が母親(27)が運転する乗用車にはねられ、病院に運ばれた。西脇署によると、重傷とみられ、搬送時は意識不明。

 母親は会社に向かうため、敷地から右折して市道に出ようとした際、車の前部が接触した。

 同署は自動車運転処罰法違反(過失傷害)の疑いもあるとみて、母親から事情を聴いている。(共同) 

 元稿:日刊スポーツ社 主要ニュース 社会 【事故】 2019年09月16日  20:35:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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【選挙】:台風15号被害で延期望む声も…君津市議選スタート

2019-09-16 20:19:30 | 【選挙・衆院選、参院選、補選・都道府県市町村長・地方議会・公職選挙法・買収事件】

【選挙】:台風15号被害で延期望む声も…君津市議選スタート

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【選挙】:台風15号被害で延期望む声も…君津市議選スタート 

 千葉県を中心に大きな被害をもたらした台風15号の通過から、16日で1週間が経過した。一部地域で停電や断水が続く中、22日投開票の君津市議選(定数22)の期日前投票が始まった。

 掲示板修理が遅れ、25人の立候補者を十分認識できないまま、投票する人がいる一方、被災者を考慮して、政策のアピールを控える候補者が存在する。それぞれが複雑な気持ちを抱えたまま、選挙戦に突入した。

君津市内の清和公民館では、停電で発電機を使用し期日前投票がスタートした(撮影・近藤由美子)

  君津市内の清和公民館では、停電で発電機を使用し期日前投票がスタートした(撮影・近藤由美子) 

   ◇   ◇   ◇

 期日前投票所は市内に5カ所設置され、停電と断水が続く清和公民館には十数人が訪れた。同公民館は災害支援拠点でもある。ほの暗い室内で、投票スペースだけが発電機で明るく照らされていた。職員は災害対応で手いっぱい。選挙対応には、県職員など他自治体からも応援に駆け付けた。

 有権者や立候補者の間から特例で選挙の延期を望む声が上がったが、27日に任期が切れるため、予定通り、22日に投開票が行われる。「コインランドリー帰りに寄った」という60代の無職男性は「27日に市議の任期が切れるから、しょうがない」とあきらめ顔。一方で「被害が大きい立候補者は大変。不公平だと思う」と指摘した。

 台風で掲示板205カ所のうち、85カ所が壊れた。告示は15日。市担当者によると、同日中に掲示板をすべて直したという。告示翌日のこの日午前、市役所で投票した60代夫婦は「このような時だから延期してほしかったが、地域の代表を選ぶので来た」と説明。一方で「ポスターを全部見られなかったから、立候補者の顔も、何人いるかも、ここに来るまで分からなかった」とため息をついた。

 元々、1週間と短い選挙戦だが、急きょ戦略を変えざるをえない立候補者もいる。ある立候補者は活動時間を午後6時までに2時間短縮。選挙カーからはお見舞いの言葉と、困ったことがあれば行政との橋渡しをすると語り掛ける。政策は訴えない。スピーカー音量もいつもより落とした。

君津市議選のある立候補者の選挙事務所の屋根は、台風15号の影響で屋根が吹き飛び、ブルーシートで覆われていた(撮影・近藤由美子)

  君津市議選のある立候補者の選挙事務所の屋根は、台風15号の影響で屋根が吹き飛び、ブルーシートで覆われていた(撮影・近藤由美子)

 同立候補者の選挙事務所は台風で屋根が飛び、ブルーシートで覆っている。はがき約500枚、資料や写真、コピー機が、雨にぬれて使えなくなった。コピー機は買い替えた。今も停電が続く。発電機を用意したが、必要最低限で使用するため、室内は暗い。関係者は「物理的に間に合わないし、政策をアピールしたかったが、この状況ではしょうがない。候補者の自宅の屋根も飛んだりと誰もが被害にあっているが、今は『お願い』なんてできない。被害に対するお見舞いしかできない」と話した。【近藤由美子】

○…君津市によると、16日現在、約3900世帯で停電が続く。断水世帯数は不明、建物被害は調査済みの家屋だけで約1160世帯に及ぶ。市は選挙PR手法について「防災無線でも行っていたが、今は本来の目的である防災に使用している。チラシ1500部を作ったり、選挙公報やSNSなどで投票を呼び掛けていますが、もちろん、災害対策が最優先です」と強調する。4年前の前回投票率は過去最低の58・07%だった。市は「今回、復旧に時間がかかる現状では厳しいのでは」と、ワースト更新の危機感を募らせている。

 元稿:日刊スポーツ社 主要ニュース 社会 【話題・選挙・千葉県君津市議選】 2019年09月16日  20:19:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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【安倍首相】:「果敢に」拉致問題解決へ会談条件つけない

2019-09-16 18:49:30 | 【北朝鮮・朝鮮半島・拉致問題・独裁・朝鮮総連・朝鮮学校】

【安倍首相】:「果敢に」拉致問題解決へ会談条件つけ

『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【安倍首相】:「果敢に」拉致問題解決へ会談条件つけない 

 安倍晋三首相は16日、都内で北朝鮮による拉致問題解決に向けた集会に出席し、北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長との間で、条件をつけずに首脳会談を行いたいとの意欲を、あらためて訴えた。

 「直接向き合い、あらゆるチャンスを逃すことなく果敢に行動したい」と述べた。

安倍晋三首相(2019年7月22日撮影)

     安倍晋三首相(2019年7月22日撮影)

 これに先立ち、拉致被害者家族らと面会し「日米、国際社会と力を合わせて(解決に)全力を尽くす」と理解を求めた。拉致被害者横田めぐみさんの母早紀江さんは「首相は拉致問題だけは解決してほしい。家族が元気な間にひと目、子どもたちと対面できる日を与えてください」と訴えた。 

 元稿:日刊スポーツ社 主要ニュース 社会 【政策・外交・朝鮮半島・北朝鮮・拉致問題】 2019年09月16日  18:49:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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【ときを結ぶ】:(6) 「潜伏キリシタン」

2019-09-16 13:52:00 | 【思想信条(保守・右翼・左翼)、イデオロギー(民主、共産、社会主義他)】

【ときを結ぶ】:(6) 「潜伏キリシタン」

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【ときを結ぶ】:(6) 「潜伏キリシタン」 

 ◆200年つなぐ信仰の糸

 ■3代、聖像制作に励む 凄惨な事件乗り越え

 坂の街を象徴するような風景が広がる。長崎市辻町の一角に、キリスト教の聖像を制作する中田ザビエル工房がある。玄関前の細い道の向こうには、キリスト教禁制下の秘密教会跡を示す「聖ヨゼフ堂の碑」が立つ。
 幕末から明治初めにかけての最後の大規模なキリシタン弾圧「浦上四番崩れ」。キリシタン潜伏の地として知られた浦上で、聖ヨゼフ堂などに長崎奉行所の捕り手が踏み込み、3千人以上の信者が流罪となった。
 工房を営む中田三穂(68)は浦上出身ではなく「ここにあるのはたまたま」と言う。が、中田もクリスチャンで、数奇な家族史を持つ潜伏キリシタンの末裔(まつえい)なのである。

聖ペトロ像を制作する中田三穂(右)と長男和宏=長崎市の中田ザビエル工房
                         聖ペトロ像を制作する中田三穂(右)と長男和宏=長崎市の中田ザビエル工房

 ▽六人斬り
 五島列島の中通島にある旧鯛ノ浦教会(長崎県新上五島町)。明治時代に建設された教会堂の裏手を山側に少し上ると、木々が生い茂る目立たない場所がある。ここに鯛ノ浦の「六人斬り」と呼ばれる事件犠牲者の「墓碑」が立つ。風雨にさらされてきた石柱は、太平洋戦争前に建てられた。
 約250年間の禁教令が解かれ、キリスト教禁制の高札が撤去されたのは1873(明治6)年。その3年前の1月27日夜、4人の士族が民家に乱入し、新刀の試し切りと称して子どもや胎児を含む2家族6人を殺害した。口実はキリシタン征伐だったとされる。
 妻や子ども、近親者の命を奪われた一家の主は中田寅吉。中田の曽祖父に当たり、発生当日は外出していて難を逃れた。
 「これです」。中田が示した紙は手作りの家系図。樹木の枝葉が広がるように、寅吉や中田を含めて数百人の名前がびっしりと書き込まれている。中には神父や修道女といったカトリック関係者も。この凄惨な事件も乗り越えた中田家の過去と現在は、信仰の糸でより強く結ばれていた。
 遠藤周作の小説「沈黙」の舞台となった長崎・外海地方。1800年前後、大村藩の迫害によって多くの潜伏キリシタンが五島列島へ渡った。人目を避け、山間部や往来の不便な海辺に住み、教えを守った。中田の先祖も移住者の中にいた。
 6人斬りで家族が殉教した寅吉の孫が、中田の父秀和。明治生まれの熱心なクリスチャンだが、芸術に深い関心を寄せて絵画の勉強のために上京した。秀和は画家として浦上天主堂の壁画も手がけ、中田ザビエル工房を創設した。「東京で空襲に遭い、戦争で生き残れたら神様のために働きたい、聖像を作りたいと父は思ったのではないか」
 戦後、秀和は長崎市で高校教師を務めたことがある。元長崎市長本島等が同僚だった。中田は「赤ちゃんの頃、本島さんにかわいがってもらったようです」。秀和と同じ島出身のクリスチャンで、信仰を理由に軍隊で抑圧された本島は、天皇の戦争責任発言で1990年に銃撃されている。

五島列島・中通島。鯛ノ浦にある「六人斬り」犠牲者の墓碑=長崎県新上五島町

                        五島列島・中通島。鯛ノ浦にある「六人斬り」犠牲者の墓碑=長崎県新上五島町

 ▽転身と天命
 潜伏キリシタンから続くクリスチャンの家に生まれた中田は一時、神父を志した。信仰と関係のない仕事も考えたが、秀和から工房を手伝うように頼まれて1年間だけのつもりが現在に至る。「天命だったと思います」
 その中田の工房に2013年から長男和宏(35)が入った。「子どもの頃は工房を継ぐと思っていた」という和宏は長崎大で音楽に没頭、上京してバンド活動を続けたが、5年をめどに帰郷を決断した。中田同様、いったん別の道を模索しながら転身、信仰に深く関わる仕事を選んだ。
 2人が聖ペトロ像を制作する現場を見た。「作業時はほとんど話しません。必要な指示を出すだけ」。光線の加減や見る場所で変化する像の姿。顔は特に入念にチェックしながら、根気よく作業を続ける。始める際、中田は十字を切る。「祈る心を持って作ることが大切」と考えるからだ。
 聖像の専門制作者は極めて少なく、工房には全国からキリスト像やマリア像などの依頼が舞い込む。「こうのとりのゆりかご」(赤ちゃんポスト)を運営する熊本市の慈恵病院にも中田制作のマリア像がある。依頼主は教会だけでなく、学校や幼稚園、病院も多い。子ども関連の施設の場合、すこやかに育つようにとの思いを込める。
 ▽法王の訪日
 和宏は82年に亡くなった秀和を知らない。聖像制作の修業に励む今、「会いたかった。祖父に顔向けできるようにならないといけない」と語る。
 秀和の遺作は81年に訪日した法王ヨハネ・パウロ2世の胸像だ。浦上天主堂などに設置されている。体調が思わしくない時期だったが、夜遅くまで取り組んだ。「据え付けの指示をした後、病院に行ってそのまま。除幕式に出られなかった」。中田は声を落とした。
 40年近く前、父の手伝いで法王の胸像制作に携わった。それが「仕事を続けていく決心」となった。11月、ローマ法王フランシスコが長崎を訪れる。中田にとって原点を思い起こす大切なひとときが巡ってくる。(敬称略、文・西出勇志、写真・堀誠)
中田ザビエル工房、浦上天主堂、旧鯛ノ浦教会

中田ザビエル工房、浦上天主堂、旧鯛ノ浦教会

 信教の自由と世界遺産 

 昨年夏に「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」(長崎、熊本)が世界遺産に登録され、「潜伏キリシタン」という言葉が広く知られるようになった。
 キリスト教禁制下、権力者の目をかいくぐって先祖からの信仰を受け継いできた信仰形態は、世界的にも非常に珍しい。ただ、脚光を浴びる潜伏キリシタンにせよ、禁教令が解かれた後も代々の教えを保持する「かくれキリシタン」にせよ、もともとは弾圧によってもたらされた。
 潜伏キリシタンの存在は、信仰の崇高さを知るとともに、権力者の迫害に目を向け、信教の自由の大切さを知る教訓でもある。

 元稿:一般社団法人共同通信社 47NEWS 社会 【話題・特集】  2019年09月16日  13:51:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

 

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【ときを結ぶ】:(5) 「アイヌの伝統漁」

2019-09-16 13:51:50 | 【水産資源・海洋環境・漁業・水産加工・缶詰・調査捕鯨・鰻・鮪・鮨・回転寿司】:

【ときを結ぶ】:(5)  「アイヌの伝統漁」

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【ときを結ぶ】:(5) 「アイヌの伝統漁」

 ◆サケの魂、カムイに送る

 ■長老から受け継ぐ技能 感謝の精神、次世代へ

  やぶをかき分けながら川岸を下りて行くと、2羽のオオワシが羽音を立てて澄んだ青空に舞い上がった。
 北海道白糠町の茶路川。天内重樹(34)は、河原に立てたイナウ(木幣)の前に座り、カムイ(神)に祈った。「どうかサケを授けてくれますように」
  ▽もりで突く
 白糠アイヌ協会の会長としてアイヌ民族の文化保存、伝承に努める天内は毎年秋から初冬にかけて、茶路川で伝統のサケ漁をしている。
 水産資源保護法は河川でのサケ捕獲を原則的に禁止しているが、道は文化伝承の目的を認め、白糠アイヌ協会に特別採捕を許可している。
 漁にはマレクという、もりを使う。堅くてしなるヤチダモの柄に、鉄製のかぎを付けた素朴な漁具だ。かぎはサケに刺さると回転する。釣り針の「返し」のような役割をして、獲物を逃がさない構造になっている。 

アイヌの伝統的な漁具マレクでサケを捕った天内重樹。身が傷つかないよう、えらの辺りを突く=北海道白糠町

アイヌの伝統的な漁具マレクでサケを捕った天内重樹。身が傷つかないよう、えらの辺りを突く=北海道白糠町

 「そこにサケがいる…」。天内がつぶやいた。日光が乱反射する川面に目を凝らすと、産卵を終えたメスが浅瀬をゆっくり泳いでいる。
 マレクを構え、水中に見え隠れする黒い背をめがけて突くが、サケはするりと逃げる。少しずつ川べりの茂みに追い込み、仕留めた。マレクを持ち上げると、えらにかぎが食い込んでいる。「頭の付け根辺りを狙わないといけない。身が傷つき、食べる所も減るから」
 天内はイパキクニというヤナギの棒でサケの頭をたたき、息の根を止めた。「この棒でたたくと、サケの魂をカムイコタン(神の住む場所)に送ることができる」
 河原の石をまな板代わりにして、サケの身をナイフでおろす。「鳥やキツネが食べられるように」と、頭や内臓は、そのまま石の上に置いた。こずえのカラスが、じっとこちらを見ていた。
 ▽同化政策で禁止
 白糠町には、2013年に95歳で亡くなった長老、根本与三郎がいた。「最後の熊撃ち」と呼ばれた根本は伝統的な狩猟や漁に通じ、指導者として尊敬を集めていた。
 天内は子どもの頃、根本が実演した「仕掛け弓」を見た。弦を留めた引き金に糸を張り、獣が糸に触れると、引き金が外れ、毒矢が放たれる。弓を使った独特のわなだ。
 根本は、マレクや鹿の角をとがらせたヤスによる漁にも精通していた。
 明治政府は同化政策の名の下に、アイヌ固有の言葉や慣習、生活基盤の狩猟や漁労を禁止し、農耕に従事するよう強制した。長老たちがひそかに伝承してこなければ、アイヌ古来の漁猟法は絶滅していたかもしれない。
 天内は成人してから根本の元に通い、マレクの作り方や漁法を一から教わった。夜の漁も経験した。1人がたいまつを持ち、明かりに近づいてきたサケを突く。「マレク漁は簡単に見えるが、やってみると難しい。川の流れ、サケの動きを読まないといけないから」
 天内は高速道路のパトロールの仕事を持つが「狩猟採集民のような暮らしをしている」と笑う。サクラマスを海で釣り、鹿を森で撃つ。春には行者ニンニクを採りに山へ入る。
 山で熊の話をすると、本当に現れるという言い伝えを根本から聞いた。「根本のじいちゃんは季節ごとの熊の行動をよく知っていた。春先の熊は、行者ニンニクやコケを食うため穴から出てくる。現地に行くと、言っていたことの意味が分かる」
 ▽食育の教室
 根本に教わった伝統漁を今、息子の基輝(7)や高校生のおい、地元小中学生らに伝えている。
 マレクの使い方を教えるとすぐ、川で実際にサケを捕らせるのが天内流のやり方だ。子どもらが「捕った!」と歓声を上げ楽しんだ後に、「カムイが授けてくれたんだよ」と言う。漁の前から心構えを諭すより、心に響くと天内は思っている。
 河原でたき火をして、サケを焼いて食べることも。夢中で漁をしていた子どもらは空腹になっている。寒い中、火に当たり、自分で捕ったサケを口にするのは格別だ。
 「昔のアイヌは捕れなかったら飯が食えなかったんだぞ。サケは命懸けで川を上るんだから、こっちも命懸けで捕ってやるべ」。天内の言葉に子どもらはうなずき、食べ物の大切さ、ありがたみを感じる。自然を舞台にした「食育」の教室だ。
 昨年4月、白糠町に完成したアイヌ文化施設「ウレシパチセ」を拠点に、天内は、祖母から習った古式舞踊にも取り組んでいる。だが、最も重要なのは、アイヌ精神の伝承だ。
 マレク漁を終えると、子どもらと一緒に祈り、サケが捕れたことを感謝する。「お礼を言わないと、次に来た時、サケをもらえない。カムイは人の行動を見ているから」
 物を大事に。感謝の気持ちを忘れると人への思いやりがなくなってしまう…。先祖から受け継いできた教えは多い。天内は、漁や伝統行事を通して、一つ一つ次世代に伝えていこうと思っている。(敬称略、文・藤原聡、写真・宇井眞紀子)北海道白糠町

                                            北海道白糠町

 ◆新法案と文化復興拠点 

 政府は、アイヌ民族を支援するための新たな法案を通常国会に提出、成立した。アイヌを日本の法律では初めて「先住民族」と明記した。
 アイヌの伝統的儀式などの場合に限り、河川でのサケ漁や国有林での林産物の採取をしやすくする。
 アイヌの文化伝承や地域振興を後押しするため、国から市区町村への新たな交付金も創設する。
 また、北海道白老町でアイヌ文化復興拠点「民族共生象徴空間」の建設も進めている。愛称はウポポイ(大勢で歌うこと)に決まり、2020年4月、オープンする予定。ウポポイには国立アイヌ民族博物館や慰霊施設などが整備される。
 

 元稿:一般社団法人共同通信社 47NEWS 社会 【話題・特集】  2019年09月16日  13:33:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

 

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【ときを結ぶ】:(4) 「伝える水俣」

2019-09-16 13:51:40 | 【環境問題(公害・排ガス・治水・産廃・水俣病・アスベスト・有機フッ素化合物

【ときを結ぶ】:(4) 「伝える水俣」

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【ときを結ぶ】:(4) 「伝える水俣」

 ◆人生決めた世界的写真家

 ■差別と分断の地を撮影 魂の言葉、子どもらに

 食文化を探求するフォトジャーナリスト森枝卓士(64)が写真を本格的に始めたのは高校生の時だ。きっかけは世界的写真家ユージン・スミス(1918~78年)との出会いだった。
 71年、公害病の原点とされる水俣病の実態を撮影するため、森枝が暮らす熊本県水俣市に写真家は移り住んできた。仕事には厳しいが、人懐っこくて温かい人柄。「ユージンは、田舎の少年に世の中を意識するきっかけを与えてくれた」

水俣の昔からの海岸が残る岬を訪れた森枝卓士。岬の反対側は水銀を含むヘドロを埋め立てた公園になっている=熊本県水俣市

水俣の昔からの海岸が残る岬を訪れた森枝卓士。岬の反対側は水銀を含むヘドロを埋め立てた公園になっている=熊本県水俣市

 ▽親子の葛藤
 森枝が4歳だった59年11月2日。水俣病による漁業被害の補償などを求めた漁民が、新日本窒素肥料(後のチッソ)水俣工場に乱入した。自宅はすぐ近く。祖母に手を引かれて工場を隔てる小さな川の手前に立ち、怒号やガラスが割れる音を聞いた。「中は見えないが、音がすごかった」と語る。
 少年時代、社会問題にさほど関心はなかったが、雑誌でユージンの作品を見て感動した。社会的なテーマを扱っているのに美しい。その写真家が水俣にやってきた。居場所を知って顔を出すと、初対面なのにバッグを手渡された。助手のようについて回った取材は、チッソを擁護する人々の集会。高揚した気分で家に帰ったら、父親が顔を見るなり怒鳴った。「こん、ばかもんが」
 両親は同社社員。従来の労働組合の闘争方針に批判的だった父親は新労組に加入、集会にも参加していた。会社を「告発」しに来ただろう米国人写真家の行動を苦々しく見ていると、横に自分の息子がいて、仰天した。「こんなことするのなら親でも子でもない」。接触を厳しく禁じた。
 世界に衝撃を与えた写真集「水俣」(ユージン・スミス、アイリーン・美緒子・スミス著)は内緒で通い続ける森枝の姿をこう記す。「彼は写真に関心があり、ジャーナリスト志望で、ユージンと話をしたかったのだ」
 撮影した写真を見せると、気軽にアドバイスしてくれた。「今、思うとすごいよね」。森枝は続ける。「水俣病患者に初めて接したのはユージンと一緒に行動してから。水俣に住んでいても出会うことはなく、話題にならなかった」。抑圧を嫌う写真家の姿勢を通し、社会問題に深い関心を寄せるようになっていた。
 ▽災厄と語り部
 鹿児島県伊佐市にある曽木発電所遺構。1906年、チッソ創業者野口遵(のぐち・したがう)が設立した曽木電気はチッソのルーツだ。「ここに水力発電所が建設されて水俣に工場ができ、仕事を求めて天草から多くの人が渡ってきた」 

 鹿児島県伊佐市の曽木発電所遺構。この電力を用いチッソの前身となる会社が水俣で操業した

                  鹿児島県伊佐市の曽木発電所遺構。この電力を用いチッソの前身となる会社が水俣で操業した

 森枝の父も昭和初期、家族で天草から来た。水俣は企業城下町へと発展する一方、豊かな海に生きる人々に災厄をもたらし、地域は分断された。
 水俣病の公式確認は56年、国がチッソの排水が原因と公害認定したのが68年。患者と家族は苦しみと貧困の中、差別と偏見にさらされ続けた。
 杉本肇(58)の母栄子は、魂の深部に響くような水俣病の語り部だった。代々網元の家。杉本の祖父は水俣病で亡くなり、両親も発病して苦しんだ。ただ、語り部としての母の姿は見たくなかった。「つらい思い出がよみがえる」からだ。
 2008年に亡くなった母の葬儀で心境に変化が起きる。いじめに遭った子どもに栄子の言葉は届いていた。「勇気をもらった」などのメッセージが多数寄せられ、家に弔問に来る子も。「差別が一番つらかったと母は言った。差別されたからこそ、相手を憎んだり恨んだりしない。深い覚悟で生き方を語る言葉が現代の子どもたちに勇気を与えたのではないか」
 子どものために語ろう。杉本は母の死後、語り部になった。栄子を知る森枝が「最近、似てきたんじゃない」と言うと、「よく言われる」と杉本。不思議な話だが、と笑いながら「亡くなった後になって母に相談する機会が増えた。東日本大震災があり福島の事故が起きた。あんただったら、何を語るの? そんなことを問いかけます」。
 ▽正しい道を
 今、ユージンが住んだ家は雑草が生い茂る空き地だ。頻繁に通った森枝だが、「家がないと、昔の記憶がはっきりしない」。90歳を超えた父親に会った。当時について聞くと、穏やかな笑みを浮かべ「よく覚えていない」。往時はかなたにある。
 写真家に憧れた高校生は大学を卒業後、フォトジャーナリストとしてアジアを中心に活動し、戦場取材も経験した。だが、日々の暮らしを知る大切さを痛感し、人々の営みを食から探る方向へと仕事をシフトさせた。
 教えている大学で学生に言う。「歴史と文化の違いを相対化したら、人に寛容になれる」。ユージンとの出会いをきっかけに、人々にきちんと向き合いながら世界各地を歩いてきた実感である。
 高校卒業の前後にもらった写真がある。ユージンはこんな言葉を書き添えてくれた。「君が今後、どのような道を歩むにしても、その道が正しいものであるように」(敬称略、文・西出勇志、写真・堀誠)

熊本県水俣市、曽木発電所遺構(鹿児島県伊佐市)

                                         熊本県水俣市、曽木発電所遺構(鹿児島県伊佐市)

 ◆生誕百年で注目、映画化も

 水俣病を世界に伝えたユージン・スミスは20世紀を代表する写真家の一人。生誕100年、没後40年だった昨年から、その作品や行動に再び、注目が集まっている。
 太平洋戦争下、従軍カメラマンとしてサイパン、硫黄島などでの戦争を撮影。沖縄戦で日本軍の砲弾を受け、戦後もその傷に苦しみながら「カントリードクター」「スペインの村」などの秀作を数多く発表した。水俣には3年間住み、患者らを撮影した。
 昨年はテレビなどで特集が組まれ、米人気俳優ジョニー・デップの主演による映画「ミナマタ」(原題)の製作が決まった。公開時は大きな話題となりそうだ。

 元稿:一般社団法人共同通信社 47NEWS 社会 【話題・特集】  2019年09月16日  13:22:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。
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【ときを結ぶ】:(3) 「著作権」

2019-09-16 13:51:30 | 【学術・哲学・文化・文芸・芸術・芸能・小説・暮らしに根差した民芸】

【ときを結ぶ】:(3) 「著作権」

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【ときを結ぶ】:(3) 「著作権」

 ◆偉大な作家を父に持って

 ■「安吾を守る姿」継承 読まれ続けることが命

 「汝 一本の綱たらば足らむ 綱たるはまた巨力を要す 父」。作家坂口安吾が筆書きした「命名書」を息子の綱男(66)は大切に保管している。だが、父の姿を知らない。1955年、2歳になる前に急逝したからだ。
 敗戦直後に発表した「堕落論」で脚光を浴びた安吾は、太宰治、織田作之助らと共に無頼派と呼ばれ、戦後文壇の旗手となった。何度も全集が出版され、今も多くの読者を持つ大作家の一人だ。

遺品のつえを手に父安吾を語る綱男。「安吾 風の館」にはゴルフクラブを振る坂口安吾の等身大写真が飾られている=新潟市

                  遺品のつえを手に父安吾を語る綱男。「安吾 風の館」にはゴルフクラブを振る坂口安吾の等身大写真が飾られている=新潟市

 綱男は12歳の時、初めて父の小説を読む。「桜の森の満開の下」。春の盛り。徹夜で読み終えて東京都千代田区の外濠公園に行くと、くしくも桜が満開だった。その後、20歳までに全集をほぼ読了する。文学作品として読むのではなく、父親を知ろうと思い、文字を目で追った。
 ▽ドラマで騒動
 安吾の著作権継承者の母三千代が94年11月、死亡。全作品を引き受ける立場になった綱男は「著作権は手放さないが、作品はフリーで使ってもらってもいいかな」と思った。「安吾とは関わりたくない」と、暮らしてきたことが背景にあった。
 成人して間もなく、父の友人檀一雄から同人誌に執筆するよう求められたが、原稿用紙に向かうと凍りつき、何も書けなかった。「生身の父親を知っていればコンプレックスを感じなかったかもしれない。作品から入ったので、この人と対等に勝負することは一生かかってもできないと思った」。文学以外の世界に目を向け、写真家の道を歩んできた。
 しかし、著作を管理する役目から手を引こうと思っていた時、生前の母の姿が目に浮かんだ。
 68年、安吾夫妻をモデルにしてTBSが連続ドラマを放送した。安吾役は藤岡琢也、三千代役は若尾文子が務めた。「台本が生放送の当日まで完成せず、大騒ぎになった。内容を気に入らなかった母が、首を縦に振らなかったからです」
 ちくま文庫版の全集が出版された時には、画家横尾忠則装丁の表紙を描き直してもらった。
 こうした「母が安吾を守る姿」を自分も継承していくべきだと、綱男は思い直した。
 ▽母の意志
 母は、安吾の原作を忠実に映画、演劇にすることを希望していると綱男は思っていた。ところが、劇作家の野田秀樹が「贋作(にせさく) 桜の森の満開の下」を上演した際の反応を見て、それが誤りだったと知る。
 89年2月、野田が主宰する劇団「夢の遊眠社」が初演した「贋作―」を母と一緒に観劇した。暗がりの座席で舞台を見ながら、綱男は「母が怒りだすのではないか」とハラハラした。ストーリーは題名とは異なり、小説「夜長姫と耳男」を基にしている。せりふも原作を離れ、独自の世界を表現していたからだ。
 だが、舞台が終わって野田があいさつに来ると、三千代はうれしそうに歓談を始めた。「安吾のスピリットを正しく伝えてほしい、というのが母の意志だった。原作に忠実でも安吾を理解していないものは駄目なんだと、この時に学んだ」
 小説「白痴」を原作とした映画を手塚真(57)が作りたいと綱男に申し出た時は、近未来と思われる日本を舞台にしたSF的な筋書きだったが、「手塚さんの世界観で作ってくださればいい」と映画化を認めた。
 失敗もある。テレビの情報番組で安吾を取り上げた時に「薬漬け」と放送された。確かに安吾は興奮剤を使って不眠で執筆し、書き終えると大量の睡眠薬を飲む生活をしていたが、綱男は「いい作品を書きたいという欲求からやっていたことなのに、ジャンキーのように扱われてしまった」と放送を許可したことを後悔する。


坂口安吾の遺品は綱男自身によって撮影されデジタルデータとして保存されている

                            坂口安吾の遺品は綱男自身によって撮影されデジタルデータとして保存されている

 ▽若い読者

 死後50年に当たる2005年末、安吾の著作権が消滅した。綱男は所蔵していた遺品や原稿・蔵書など約8千点を安吾の郷里、新潟市に寄贈。旧市長公舎を利用した「安吾 風の館」も発足した。綱男は館長を務め、遺品を順次、公開している。
 風の館は安吾が生まれ育った地にあり、周辺には生誕地碑や詩碑も点在する。「館長になってから、実に興味深く安吾を勉強しています」
 毎年2月17日の命日に東京で「安吾忌」が営まれる。今年の会場は東京・浅草の「染太郎」。安吾が亡くなる直前にも訪れた、お好み焼き店だ。
 式次第はなく、飲み食いしながら安吾について語り合う。「酔った人同士がけんかになることもあるが、それも安吾忌らしいかなと思っている」
 三千代が亡くなった翌年の安吾忌を最後にしようと思ったが、参加者の顔ぶれを見て継続を決めた。若い安吾ファンが集まっていたからだ。
 「作家の命が残るか残らないかは、著作権とは関係ない。読まれるかどうかで決まる」。いまも読み継がれる安吾作品。綱男は、亡き父の持つ力のすごさを感じている。(敬称略、文・藤原聡、写真・萩原達也)


 安吾風の館、染太郎

                                      安吾風の館、染太郎

 ◆作者の死後70年に延長 

 小説や音楽などの著作権の保護期間は、時代とともに延長されてきた。
 戦前の旧著作権法は作者の死後30年までを保護期間と規定していた。1960年代に死後38年となり、71年の著作権法改正で死後50年となった。
 90年代には欧米の多くの国が死後70年に変更。日本では「著作を広く活用するために延長すべきではない」との意見も多く、長年変わらなかったが、2018年、死後70年に法改正された。
 没年が1970年の三島由紀夫や72年の川端康成の作品は、著作権延長の対象となる。
 映画は多くのスタッフで製作され作者の確定が難しいため、公表後70年を保護期間としている。

 元稿:一般社団法人共同通信社 47NEWS 社会 【話題・特集】  2019年09月16日  13:10:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。
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【ときを結ぶ】:(2)「DNA鑑定」

2019-09-16 13:51:20 | 【第二次世界大戦・敗戦・旧日本軍の功罪・東京大空襲他・犠牲者へ無補償

【ときを結ぶ】:(2) 「DNA鑑定」

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【ときを結ぶ】:(2)「DNA鑑定」

 ◆戦没者と遺族の懸け橋に

 ■地震の身元特定にも貢献 「体の設計図」の研究者

 日曜日の早朝、北海道警の警察官が旭川市の旭川医大法医学講座をひそかに訪れた。寝静まった大地を襲い、42人の命を奪った昨年9月6日の激震から3日後。警察官は准教授浅利優(41)に「捜査関係事項照会書」を手渡し、頭を下げた。「協力をお願いしたい」

遺骨のDNAの型を調べる旭川医大准教授の浅利優。遠い血縁関係でも身元特定につなげる方法を研究している=北海道旭川市
                  遺骨のDNAの型を調べる旭川医大准教授の浅利優。遠い血縁関係でも身元特定につなげる方法を研究している=北海道旭川市
 
 道警は遺体の身元確認を急ぐ。だが土砂崩れに巻き込まれた犠牲者のうち、2人は遺体の損傷が激しく難航。DNA鑑定専門家の浅利に望みを託す。浅利は道警科学捜査研究所が鑑定したDNA型データを基に血縁関係を判定、その日のうちに「身元特定」を伝えた。

 道警は浅利の鑑定などを踏まえ、遺体を遺族に引き渡した。浅利は「戦没者遺骨鑑定の研究が役に立った」と胸をなで下ろす。その研究手法を捜査にも使ったのだ。
 ▽時の壁
 戦没者遺骨鑑定は第2次大戦中に海外で戦死した旧日本兵の遺骨のDNAを調べ、身元を割り出す事業だ。厚生労働省が2003年度から全国の大学に委託している。
 遺骨と遺留品から遺族とみられる人に連絡。口の粘膜を採取し、遺骨や歯と照合する。浅利は04年度から鑑定に加わる。
 身元判明の多くは旧ソ連かモンゴル地域の遺骨。寒くて保存状態が比較的いいからだ。それでも浅利が鑑定した831件のうち、身元判明は142人にとどまる。
 理由は「時の壁」だ。戦後70年が経過し、戦没者の遺骨と照合する血縁者が減っている。浅利は「戦没者の子どもやきょうだいがよわいを重ね、亡くなるケースが増えた。血縁関係が遠くなればなるほど、鑑定の難易度が上がる」と表情を曇らせる。
 浅利はそれを克服するために、遠い血縁関係でも身元特定につなげる鑑定方法を研究している。きょうだい、異母きょうだい、孫…。検査項目を増やし、特定のため知恵を絞る。
 地震の鑑定で浅利は、犠牲者と、きょうだいの血縁関係を調べた。道警の科捜研は身元不明のDNA鑑定を原則、親子でしか実施していない。戦没者遺骨鑑定の身元割り出し作業が、結果的に災害の身元特定に生きたことになる。
 ▽桜守
 浅利は道南の七飯町生まれ。父繁(73)は役場に勤務する傍ら、犯罪に手を染めた人の更生を助ける保護司を務めた。伯父政俊(88)は桜の研究者だ。ルーツを探り、品種改良や苗木育成に携わる。松前公園(松前町)で咲き誇る250種、1万本の桜の礎を築いた。
 その研究が評価され、05年に財団法人「日本さくらの会」から「桜守」に認定された。英国の王立公園など世界に苗木を贈る活動も続けた。
 DNAは「体の設計図」とも言われる。先祖から子孫へと連綿と受け継がれる。保護司の父、桜を絶やさないように尽力する伯父。そして口の粘膜から年齢を推定する研究や実質ボランティアで遺骨鑑定をする浅利。共通するのは寄り添い、いたわる心である。
 政俊は浅利の幼少期の頃の記憶をたどる。「ある母と子が交通事故に遭い、母が死亡というニュースがあった。優は『子どもは、これからどうなるの』と何日も何日も気に掛けていた」と、そのけなげさに目を細める。
 ▽クリームソーダ
 戦後70年の節目の15年に収集された遺骨が、DNA鑑定で判明した例がある。小樽市出身の井戸井重市=当時(23)。翌年9月、市内に住む妹の湊百合子(みなと・ゆりこ)(84)の元に届けられた。太平洋戦争で日本の無条件降伏後も日ソ両軍が激戦を交わした千島列島シュムシュ島(占守島、現ロシア領)。そこで、戦火に散る。
 遺骨の近くの印鑑と身元を示す「認識票」から重市の可能性が浮上。湊の妹井戸井(いどい)アイ(79)から採取した頬の粘膜を鑑定し、確認された。 

兄の井戸川重市が所持していた印鑑や認識票を見つめる湊百合子。兄の遺骨はDNA鑑定のおかげで戻ってきた=北海道小樽市

兄の井戸川重市が所持していた印鑑や認識票を見つめる湊百合子。兄の遺骨はDNA鑑定のおかげで戻ってきた=北海道小樽市

 重市は上智大在学中に学徒出陣した。出征前の夏休みに帰省した時、湊に喫茶店でクリームソーダをごちそうしてくれた。当時、7歳。喫茶店に入るのは初めてだった。
 「氷だけになっても吸い続ける私を見て、兄は『もう一杯飲ましてあげたいけど、おなかを壊すといけないから、今度ね』とほほえんだ。でも、その今度がなかった」と出征壮行会のセピア色の写真に目を落とす。
 湊は長く喪失感にさいなまれる。ただ最近、心の折り合いを付け始めた。「身元が特定されない遺骨がたくさんある中で、科学の進歩と研究者のおかげで兄の遺骨は戻った。感謝の気持ちでいっぱいです」
 厚労省はDNA鑑定で遺骨の身元が判明しても、鑑定機関や研究者名を公表していない。浅利は「これほど目立たない仕事はない。でも何とかして身元を特定したいという思いでやっている」と遺族のために心を砕く。
 浅利は戦没者と遺族を結ぶ懸け橋のような役割を果たしている。湊と面識はない。でも命をいとおしむ心は、共振するようにつながっている。(敬称略、文・志田勉、写真・武居雅紀)旭川医大、小樽市

                                            旭川医大、小樽市

 ◆困難伴う遺骨収集

 厚労省は2024年度までを戦没者遺骨収集事業の集中実施期間と定めている。遺骨収集推進法が16年に成立。太平洋戦争から70年と遺族の高齢化も踏まえ、事業を「国の責務」としている。
 国内外の軍人・軍属らの戦没者は約240万人。うち未収容の遺骨は約112万に上る。DNA鑑定は全国の大学11カ所で行われており、18年11月末現在で1132人の身元が判明した。
 しかし、収集の際に現地人の遺骨と混入するケースも出ている。フィリピンで民間団体の協力により収集された遺骨がDNA鑑定の結果、日本人ではない可能性が判明。収集事業の難しさが浮き彫りになった。 

 元稿:一般社団法人共同通信社 47NEWS 社会 【話題・特集】  2019年09月16日  12:44:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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【ときを結ぶ】:(1) 「クラウドファンディング」

2019-09-16 13:51:10 | 【神道・伊勢神宮を本宗・神社本庁、明治神宮他全国約8万社の神社、敬神生活の...

【ときを結ぶ】:(1) 「クラウドファンディング」

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【ときを結ぶ】:(1)「クラウドファンディング」

 ◆胸にともる祖母の願い

 ■希望の光を過疎の町に 20代女性宮司の挑戦

 97の石段が中空に向かって真っすぐに伸びる。木漏れ日を感じながら歩みを進め、社殿へとたどり着いた。佐賀県大町町の福母八幡宮(ふくもはちまんぐう)は、9世紀創建の歴史ある神社だ。

 福母八幡宮で宮司を務める佐藤美波=佐賀県大町町
                          福母八幡宮で宮司を務める佐藤美波=佐賀県大町町 

2017年12月、石段の両端に発光ダイオード(LED)の優しい明かりが初めてともり、古色を帯びた神域を照らした。「大町が笑顔に包まれますように」。紙の灯籠には人々の思いのこもった、それぞれの言葉が。過疎の町に活力を取り戻す祈りを込めた194の希望の光だ。「神社として地域に貢献したい」と願う宮司佐藤美波(28)が発案した。
 費用はインターネットで資金を集めるクラウドファンディング(CF)でまかなった。古来、時と人をつないできた神社に、新たな結びの力を持つインターネットを取り入れる。平成生まれの女性宮司による挑戦が始まった。
 ▽10年日記
 炭鉱で栄えた大町町は1950年ごろに人口2万3千人を超え、小学校は50年代後半、児童数4千人のマンモス校になった。炭鉱が69年に閉山し現在の人口は約6500人まで減少、商店街はシャッター通りと化した。 

 佐藤はこの町で生まれた。母方は代々神職を務める「社家(しゃけ)」。祖父も神職だが、郵便局勤務だったこともあり、宮司は隣町の宮司が兼務していた。両親は特に神社と関わりを持たず、佐藤が神職を意識したのは七五三の時。普段と異なる祖父の姿に憧れを抱いた。「神事独特の緊張感がたまらなかった」という。
 やがて思春期が訪れ、存在にまつわる悩みを抱く。なぜ生まれてきたか、何のために生きるか。眠れないほど考え続けていたある日、母が洗い物をしながら軽い口調で言った。「神社を継ぐためなんじゃないの」。佐藤の目からうろこが落ちた。そうか、私はそのために生まれてきたんだ。
 神職の資格を取るために国学院大神道文化学部へ。4年生の時、祖母が亡くなった。福母八幡宮の運営事務を一手に引き受け、真面目にこつこつと働いてきた祖母だった。
 「あなたのことがたくさん、出てくるよ」。母の言葉で祖母が残した10年日記を開いた。書かれていたのは、佐藤が神職になり東京から戻ってくることの待ち遠しさ。「パッと見ただけでいっぱいありました」。神社を継いでほしいと言葉に出さなかったが、気持ちは分かっていた。それでも直筆の文字を目にして涙があふれそうになり、日記をパタリと閉じた。
 祖母はもういない。すぐに帰る意味はあるだろうか。女性の神職が多い東京で働くことが頭をよぎり、ゼミで指導を受ける准教授の藤本頼生(45)に相談した。「思い切り悩んでみたら」。神職でもある藤本は、常に祖母の立場から佐藤に話をした。「自分の人生にはいつも祖母がいた」。そう思うと、心が決まった。2週間後、佐藤は藤本に言った。「帰ります」 

かつて炭鉱町としてにぎわった商店街。今はシャッターをおろした店が多い=佐賀県大町町
                      かつて炭鉱町としてにぎわった商店街。今はシャッターをおろした店が多い=佐賀県大町町 

 ▽エール
 将来を見越し、藤本ゼミで過疎地の神社について学んだ佐藤だが、新たな何かを打ち出すのは大変だった。そんな折、藤本から「こんなやり方もある」と示されたのがCF。大町町のCF経験者の支援も得て、企画書づくりから取り組んだ。ハードだったが、自分がなぜ神職になり何を目指すのかを文字化し、やりたいことが明確になった。CFは成功し、目標を超える資金が集まった。
 沈みがちな町に希望の明かりをともす。実現した佐藤のアイデアは町の人に喜ばれた。「うれしかった。ここに神社があって宮司がいることを知り、応援してもらえるようになった」
 ▽未来志向
 CFを始めるに際し、複数の会員制交流サイト(SNS)に参加した。情報を積極的に発信、社務所を使った神道講座やヨガ教室も開くと、参拝者は増えた。「奉賛金のように神社にはCF的なものがもともとある」と考える藤本は、CFやSNSを用いた佐藤の実践を、現代社会に適合させた試みとして評価する。
 女性宮司は全国で700人強。平成の30年間で倍以上となったが、男性宮司の10分の1以下だ。しかも佐藤はまだ20代。藤本は「社会人としての経験の浅さやさまざまなしがらみ、少子高齢化といった社会的課題もあるが、困難を一つずつ乗り越えながら進んでほしい」とエールを送る。
 神職1年目の祭事や社務所の上棟式で、奉仕する佐藤の周りをチョウが舞った。不思議な出来事だった。周囲は言った。「あれはきっと、おばあちゃんよ」。祖母の願いは胸にともり、宮司は自分で41代目。未来志向の佐藤だが、先人がどれだけの覚悟を持ってここまでつないできたのだろう、と思う。
 「新しいことをしながら、神職として一つ一つ積み上げていきたい」。社務所の電話は携帯に転送するようにした。自宅でも渋谷の雑踏でも、佐藤は応える。「はい、福母八幡宮です」(敬称略、文・西出勇志、写真・堀誠)


福母八幡宮

                                           福母八幡宮

 ◆多様化進む事業

 インターネットで企画を提案し、不特定多数の人から必要な資金を調達するCFが拡大を続けている。
 CFには、災害や紛争地の支援で用いられる「寄付型」、資金提供者が何らかの見返りを受け取る「購入型」などがある。慈善活動から、消費者の動向を見る大企業や若者の起業といったビジネスでの利用、地域を盛り上げるための事業まで、最近はさらに多様化が進む。
 神社での利用はまだまだ少ないが、寺院では地域の人が集うことができる寺カフェ(大阪市)、地震で壊れた参道の迂回(うかい)路整備(鳥取県)など、CFによるさまざまな活用例が出ている。 

 元稿:一般社団法人共同通信社 47NEWS 社会 【話題・特集】  2019年09月13日  17:22:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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【千葉県】:前澤友作氏、台風15号被害の鋸南町でボランティア

2019-09-16 12:00:30 | 【災害・地震・津波・台風・竜巻・噴火・落雷・豪雪・大雪・暴風・土石流・気象状況】

【千葉県】:前澤友作氏、台風15号被害の鋸南町でボランティア

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【千葉県】:前澤友作氏、台風15号被害の鋸南町でボランティア 

 ファッション通販サイトZOZOTOWNを運営するZOZOの社長を12日、辞任した、創業者の前澤友作氏(43)が、台風15号で甚大な被害を受けた千葉県鋸南町を一ボランティアとして訪れ、支援活動をしていたことが16日、分かった。千葉市の熊谷俊人市長(41)が同日、ツイッターで「前澤さんは昨日電話した時は鋸南町で一人のボランティアとして汗を流していました」と明らかにした。

千葉県鋸南町で一ボランティアとして活動する前澤友作氏(中央)

  千葉県鋸南町で一ボランティアとして活動する前澤友作氏(中央) 

 鋸南町の関係者によると、前澤氏は15日にボランティアを登録する受け付けに、一個人として現れ「普通に来られて、ボランティア登録されました」という。その後、台風で飛ばされた屋根瓦を直したり、がれきや廃棄物の片付けを行ったという。千葉県鎌ケ谷市出身の前澤氏は、ZOZOの本社を千葉市に置くなど千葉県への愛が深く、台風15号で深い傷痕が残った千葉の姿を、黙って見ていられなかったようだ。

 また前澤氏が12日にヤフーと共同で行った、資本業務提携契約会見の席上で着用していた「Let’s Start Today」と書かれた、白いTシャツと、ともに登壇したソフトバンクグループの孫正義会長(63)にプレゼントした黒いTシャツを1枚2020円で販売し、その売り上げ金額の全てを千葉県の自治体に寄付することも決まった。

 関係者によると、「Let’s Start Today」Tシャツは、前澤氏が1998年(平10)に創業した際の名称で、18年10月まで社名としていた「スタートトゥデイ」を英語にしてデザインしたもので、もともとZOZOで販売していた。それが、12日の会見で同氏が着用していたことから人気が沸騰し、会見後、1日で1000枚以上売れたという。その大反響を受けて、寄付することにしたという。また、ZOZOTOWNの売り上げの1%を、千葉県の自治体を通じて被災地に寄付することも併せて決まった。

 熊谷市長はツイッターで「ZOZOさんがZOZOTOWNでご購入いただいた売上の1%を千葉県の自治体を通して寄付する千葉災害支援プロジェクトを始動! 『Let’s Start Today』Tシャツは全額寄付。(中略)。感謝します!」と感謝した。【村上幸将】 

 元稿:日刊スポーツ社 主要ニュース 社会 【災害・台風・災害ボランティア】 2019年09月16日  12:00:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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【総務省】:65歳以上、最多3588万人 人口推計 就業者は862万人

2019-09-16 06:16:56 | 【超高齢化・過疎・孤立・終活・認知症・サ高住問題・人口急減・消滅性自治体】

【総務省】:65歳以上、最多3588万人 人口推計 就業者は862万人

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【総務省】:65歳以上、最多3588万人 人口推計 就業者は862万人 

 総務省が十五日発表した人口推計によると、六十五歳以上の高齢者は同日時点で前年より三十二万人多い三千五百八十八万人、総人口に占める割合は0・3ポイント増の28・4%と、いずれも過去最高を更新した。十六日の敬老の日を前に集計した。二〇一八年に仕事に就いていた六十五歳以上は最多の八百六十二万人。就業者全体の12・9%で、空前の人手不足を支える重要な戦力になっている。

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 世界的にみると、六十五歳以上の割合は二位のイタリア(23・0%)、三位のポルトガル(22・4%)を引き離し、突出して高齢化が進んでいる。国立社会保障・人口問題研究所の推計によると、この割合は今後も上昇し、二五年に30・0%、四〇年には35・3%に達する。社会保障制度の見直し、買い物や移動といった生活の支援拡充が急務だ。

 推計は一五年の国勢調査を基に、その後の出生・死亡者数、出入国者数を反映させた。総人口は一億二千六百十七万人で、うち六十五歳以上は男性が千五百六十万人、女性は二千二十八万人だった。

 年齢区分別は七十歳以上が二千七百十五万人で前年から九十八万人増えた。団塊の世代(一九四七~四九年生まれ)が含まれ、ほかの年齢区分に比べ増加数が多かった。八十歳以上は千百二十五万人、九十歳以上は二百三十一万人、百歳以上は七万人いた。

 一方、一八年の労働力調査によると、六十五歳以上の就業者は十五年連続で増加。男性は五百十二万人(就業率33・2%)、女性は三百五十万人(17・4%)だった。

 年齢別の就業率は六十五~六十九歳が46・6%、七十~七十四歳30・2%、七十五歳以上9・8%。産業別にみると卸売・小売業が百二十七万人と最多だった。農業・林業が百七万人で続き、就業者全体に占める高齢者の割合は51・0%と突出していた。 

 元稿:東京新聞社 朝刊 主要ニュース 政治 【政策・総務省・十五日発表した人口推計】  2019年09月16日  06:15:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

 
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【小泉純一郎元首相】:「原発ない国に」期待 進次郎環境相就任

2019-09-16 06:16:52 | 【脱原発・脱炭素・再生エネ・天然ガス・地熱・メタンハイグレード・EV・水素社会】

【小泉純一郎元首相】:「原発ない国に」期待 進次郎環境相就任

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【小泉純一郎元首相】:「原発ない国に」期待 進次郎環境相就任 

 小泉純一郎元首相は十五日、茨城県日立市で講演し、初入閣した次男の小泉進次郎環境相に触れ「原発をなくして自然エネルギーで発展できる国にしてほしいなと思う。環境相だからよかった」と期待感を示した。

 小泉元首相は、会場からの質問に答える形で「頑張ってもらいたい。彼は勉強家で、私より勉強している」とエールを送った。

 講演では、持論の原発ゼロを主張。首相在任中は原発が必要と考えていたが、東日本大震災や東京電力福島第一原発事故で安全性に疑問を持ったといい「日本は地震も多いし、津波も何十年に一度は来る。(原発は)いけないと確信した」と強調した上で「政界も自然エネルギーを有効に活用する国を造る方向に持って行くべきだ」と訴えた。

 元稿:東京新聞社 朝刊 主要ニュース 政治 【政局・原発をなくして自然エネルギーで発展できる国に】  2019年09月16日  06:15:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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