ロシアによるウクライナ侵攻は、節目とされる5月9日を迎えました。第2次世界大戦で旧ソ連がナチスドイツに勝利した戦勝記念日。各地で軍事パレードが行われ、プーチン大統領は戦果をアピールする予定です。しかし、出口は依然見えず、英国のジョンソン首相は来年末まで続く可能性があると指摘しています。戦火の下で行われた重大犯罪の捜査を始めた国際刑事裁判所(ICC)と、プーチン大統領訴追の可能性について浅田正彦同志社大教授(国際法)に聞きました。

戦争犯罪が疑われるロシア軍の行為戦争犯罪が疑われるロシア軍の行為

ICCが管轄する4つの犯罪ICCが管轄する4つの犯罪

国際刑事裁判所検察局のトップ、カリム・カーン主任検察官(ICCのホームページから)国際刑事裁判所検察局のトップ、カリム・カーン主任検察官(ICCのホームページから)

ICCによる捜査・訴追の状況ICCによる捜査・訴追の状況 

 3月2日、39カ国の付託を受けたICCは捜査開始を表明し、カーン主任検察官は4月13日、惨劇の跡が残るブチャで「ウクライナは犯罪現場だ。戦争の霧を突き抜けて真実にたどり着かなければならない」と決意を明かしました。

 <1>ジェノサイド(集団殺害)犯罪<2>人道に対する犯罪<3>戦争犯罪<4>侵略犯罪-の4つの重大な国際犯罪を行った個人の責任を、時効なく追及するICCは2002年に発足した初の常設国際刑事裁判機関です。連合国によって行われた「ニュルンベルク裁判」(1945年)や「極東国際軍事裁判」(1946年)、国連安全保障理事会が設置した「旧ユーゴスラビア国際刑事裁判所」(1993年)や「ルワンダ国際刑事裁判所」(1994年)とは違い、60カ国が設立条約(ICC規程)を批准して誕生しました。現在、123カ国がICC規程の締約国となっています。

 ICCは今回、どの罪での捜査・訴追を目指すのでしょうか。「侵略犯罪の適用は締約国に限られています。ジェノサイドは『国民的、民族的、人種的または宗教的な集団そのものを破壊する意図をもって殺害その他の行為を行う』ことをいい、集団そのものの破壊の意図をもっていたかの認定のハードルは高く、『ジェノサイドだ』と強く非難していたバイデン大統領も『ジェノサイドに該当するのか、判断は法律家に委ねる』とトーンダウンしました」(浅田教授)。当面、残る2つ、人道に対する犯罪、戦争犯罪で追及することになりそうです。 

 ICCの発足から20年。これまで捜査してきた事件の大半はアフリカです。ロシアのような大国を対象にするのは初めてで、しかもロシアは非締約国です。「アフリカが多いのは理由があり、自国付託が多いためです。政変が起き、新しく成立した政権が前政権を国内で訴追すると、対立を招くため、特に大物についてはICCに付託して『客観的』に判断、処罰してもらうということです。自国付託はICCの検察局が独自に捜査を開始するよりもメリットがあります。それは証拠や証言の点で、その国の協力がはるかに得られやすくなるということです。一方、非締約国の場合、ICCに協力する義務さえないので、捜査は難しくなります」(浅田教授)。カーン主任検察官は4月27日、ロシアの検察当局に対し、捜査への協力を求める書簡を3回送ったが、返答がないことを明かしています。

 ブチャには動画、写真、衛星画像、住民の証言、遺体の状況など多くの証拠が残されていましたが、マリウポリは近郊の村に集団墓地とみられる穴が大量に掘られ、ロシア軍が証拠隠滅している可能性が指摘されています。移動火葬車で遺体を焼却している疑いも浮上していますが、激しい戦闘が続き、捜査に入ることもできません。「さまざまな犯罪行為について、上は大統領から軍司令官まで重大な被疑者に結び付けるのは大変な作業になります。スーダン(非締約国)のバシル前大統領の場合、捜査が始まったのは2005年、最初の逮捕状が出たのは2009年3月で、4年近くかかっています」(浅田教授)。

 現状では、命令や教唆したことを示す文書や通信記録、証言などがロシアから出てくることはまず考えられません。プーチン大統領を訴追することはできるのでしょうか。「『上官責任』があります。これには2つの要件があって、ひとつは犯罪が行われていることを知っている、または当然知るべき状況であったこと。もうひとつは権限の範囲内で防止、もしくは抑止の措置を取ることができたことです。この2つの要件を満たす中で、措置を取らなかった場合、刑事上の責任を負うことになります」(浅田教授)。

 プーチン大統領は「ウクライナで起きていることは間違いなく悲劇だ」と語っています。何が起きているかは知っていたとみられます。ショイグ国防相がマリウポリ掌握を報告した4月21日、ウクライナのアゾフ大隊が立てこもり、1000人を超える市民が避難している製鉄所について「ハエ1匹通れないよう封鎖せよ」と命じる映像も流れました。2つの要件は満たし、上官責任を問うことはできるようにみえます。浅田教授は「大変に困難ということではないように思います」と話しますが、残るのはロシアという大国の大統領にICCが逮捕状を出すことの難しさです。「法的な問題というよりも政治的な問題です。ただ、それで引いてしまうようではICCの存在意義が問われることになります」(浅田教授)。 

 逮捕し、裁判にかけるとなると、ハードルはさらに上がります。バシル前大統領も身柄はまだICCに引き渡されていません。「ICC規程には締約国は捜査・訴追に協力する義務があると書いてあります。逮捕しないと義務違反になるんです。国対国の場合、元首、首相、外相などには外交官特権と同じように訴追されない特権があります。A国がB国の元首を逮捕してA国内で刑事訴追することはできません。免除と言います。しかし、国家の上にある国際裁判所であるICCの場合、免除は適用されないと考えられています。ICC規程にも、その適用においては公の地位は無関係であると書かれていますから、元首であろうと関係ないのです」(浅田教授)。

 バシル前大統領は逮捕状が出た後、締約国のマラウイやチャド、ヨルダンを訪問していますが、逮捕されることはありませんでした。仮にプーチン大統領に逮捕状が出た場合、訪問先の国はどう対応するのか。世界の注目が集まることは間違いありません。【中嶋文明】

 ◆国際刑事裁判所(International Criminal Court)

 1998年採択、2002年発効の国際刑事裁判所ローマ規程(ICC規程)に基づき、オランダ・ハーグに設置された。締約国の選挙で選ばれた18人の判事、捜査・訴追を行う検察局、書記局で構成される。職員約900人。日本人では3人目の判事に選出された元最高検検事の赤根智子さん(65)がウクライナを担当する。最高刑は終身刑。ハーグには国際司法裁判所(ICJ)もあるが、ICJは国連の司法機関で国家間の紛争を裁く。

 ◆ICC規程締約国 

 123カ国で、国連加盟国(193カ国)の63%。G20では米国、ロシア、中国、インド、インドネシア、サウジアラビア、トルコは非締約国。ブルンジやフィリピンはICCの捜査が入った後、脱退した。ウクライナは非締約国だが、ロシアのクリミア半島併合で、2015年、ICCの管轄権を受け入れると宣言した。

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 ◆中嶋文明(なかじま・ふみあき)

 81年入社。プーチン大統領はマリウポリの製鉄所について「ハエ1匹通れないよう封鎖せよ」と命じました。「アリのはい出る隙もない」や「ネズミ1匹逃がさない」なら聞きますが、ハエ!? 「口の中に入ったハエのように、やつらを吐き出すことができる」と発言したこともあります。比喩にハエを使うのはプーチン氏の癖なのかなと思ってましたが、単館系で上映中のロシア映画「親愛なる同志たちへ」を見ていると、「ハエ1匹出さない」が2度出てきました。ロシアの慣用表現のようです。歯向かう者はハエ扱いする、嫌な言い方です。