【社説】:週のはじめに考える 何が「帝国」へ誘うのか
『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【社説】:週のはじめに考える 何が「帝国」へ誘うのか
ロシアのウクライナ侵略が続いています。核兵器の使用をちらつかせ、住民虐殺も伝えられています。その非道に日本など、各国で非難が渦巻いています=写真。
◆ロシア非難に温度差
ただ、ロシア非難には濃淡があります。特に中東では欧米と一線を画す国が少なくありません。
国連総会は先月、人権理事会でのロシアの理事国資格を停止する決議を採択しました。この投票でアラブ諸国では親米国の湾岸諸国やエジプト、ヨルダンなどが棄権しました。非アラブのイスラエルや北大西洋条約機構(NATO)加盟国のトルコは賛成しましたが、ロシアへの非難を慎み、停戦交渉の仲介に奔走しています。
こうした温度差はどこから来るのか。原油価格維持や穀物確保の狙いに加え、米国の中東離れが進み、ロシアを軽視できないという安全保障上の思惑があります。
欧州やウクライナへの不快感も無視できません。同じ難民でも、アラブ人とウクライナ人への欧州の対応の差は歴然です。ウクライナは在イスラエル大使館を聖地エルサレムに移転する意向ですが、ここは国際的な係争地です。移転はイスラエルによる一方的な聖地の地位変更に加担する行為で、イスラム諸国は看過できません。
もっと根源的な理由もありそうです。現代世界のルールである主権国家の論理に対する信頼の揺らぎです。主権国家は領土と国民の概念を基に西欧で生まれ、国家間の関係は一六四八年のウェストファリア条約で確立しました。主権平等と内政不干渉が原則です。ロシアが非難される最大の根拠はこのルールに違反したからです。
しかし、中東の国境は多くが西欧の植民地支配の産物です。他者から押し付けられたものにすぎません。さらに近年、国境を揺るがす現象が相次いでいます。それは「帝国」再興の兆しです。
一例は二〇一四年にイラク、シリア両国の一部を支配したイスラム教スンニ派の過激派「イスラム国(IS)」です。イスラム教の世界観に近代国境はありません。ISはかつて栄えたウマイヤ朝、アッバース朝を想起させました。
トルコのエルドアン政権はオスマン帝国への憧れを隠しません。地域リーダーとしての自負も旧帝国に由来します。周辺国に傀儡(かいらい)組織を広げるイスラム教シーア派国家イランの姿は十六〜十八世紀のサファビー朝と重なります。
「帝国」志向は中東に限りません。ロシアのプーチン政権も同じ野望に突き動かされているように見えます。東方正教とスラブ系言語の共通性を基盤に、中世のキエフ公国(キエフ・ルーシ)の復活を夢想しているかのようです。
「中華民族の偉大な復興」を掲げる現在の中国にも「帝国」の匂いがします。ムガール帝国と現在のインドを重ね合わせる学者もいます。いずれも一九九〇年代に注目された米国の政治学者サミュエル・ハンチントンの著作「文明の衝突」を思い出させます。
何が「帝国再興」へ誘(いざな)うのか。難題ですが、要因を考えます。
経済のグローバル化は国境の持つ意味を薄めました。西欧が誇る民主主義の機能弱体化も一因でしょう。その典型は米国のトランプ前政権の振る舞いです。何より、こうした動きが西欧以外で広がっている点は見逃せません。
西欧生まれの論理をさほど重視できない心理には、背景があります。例えば、イラク戦争です。
◆二重基準への不信感
米国は大量破壊兵器保有という虚偽の理由でイラクに侵攻しましたが、ロシアほどは非難されませんでした。イスラエルによる非人道的な占領が続くパレスチナもウクライナほど同情されません。
こうした欧米の二重基準が、主権国家体制や民主主義という西欧生まれの論理に対する不信を生み、「帝国」再興の気分を後押ししているように映ります。
ロシアの傍若無人ぶりは非難されて当然です。戦争の原因をプーチン大統領個人の資質に求める声もありますが、日本も九十年前に満州国という傀儡国家をつくり、中国を侵略しました。
ロシアの侵略後、欧州各国は軍備増強へと動いています。日本も例外ではありません。
しかし、力の対抗に根源的な解決は望めません。西欧中心の現行の世界秩序やシステムに傲(おご)りや問題点はないのか。侵略を非難しつつ、同時に内省すべき課題を直視すべきでしょう。歴史を画すかもしれない転換期だからこそ、冷静で客観的な考察に努めなければならないのです。
元稿:東京新聞社 朝刊 主要ニュース 社説・解説・コラム 【社説】 2022年05月08日 16:23:00 これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。