【筆洗・12.07】:1947年4月に東京であったサッカーの東西対抗戦。終了後、…
『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【筆洗・12.07】:1947年4月に東京であったサッカーの東西対抗戦。終了後、…
1947年4月に東京であったサッカーの東西対抗戦。終了後、昭和天皇は皇太子(現上皇さま)とともに貴賓席からピッチに降りると整列した選手らに「本日は良い試合を見せてもらってありがとう。戦後日本の復興はスポーツ精神の振興によるもの多大と思う」と声を掛けられた
▼涙する選手も。スタンドで観戦した後のサッカー記者賀川浩さんはピッチに降り、米兵が警護するなか天皇を見送り「日本も良い国になった」と思ったという。試合は天皇杯下賜の契機となった
▼長く書き、国際サッカー連盟会長賞を2015年に贈られた賀川さんが99歳で旅立った。特攻を志願するも出撃前に終戦を迎えた。スポ...、残り 279/558 文字
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元稿:東京新聞社 朝刊 主要ニュース 社説・解説・コラム 【筆洗】 2024年12月07日 07:02:00 これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。
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