【社説・01.01】:震災30年 検証本紙「6つの提言」(1)市民主体の復興の仕組みを確立する-地域づくりの根本
『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【社説・01.01】:震災30年 検証本紙「6つの提言」(1)市民主体の復興の仕組みを確立する-地域づくりの根本
■希望はボランティアの原点に
阪神・淡路大震災の発生から丸30年の年が明けた。能登半島地震の被災地や避難先で、再び厳しい冬を過ごす人たちの姿に胸が痛む。
神戸新聞社は2015年1月、被災地で取材し続けた経験を災害への備えに生かし、新しい社会の創造につなげたいと願い「震災20年 6つの提言」を公表した。多くは道半ばで、その後も相次ぐ災害で被災者が同じ苦しみを味わうたび、この国は「防災先進国」ではないという現実を突き付けられてきた。
埋もれた課題を見落としていないか。社会の変化に対応できているか。提言を検証し、そこから次の30年に向かう希望を見つけたい。
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「ボランティア元年」。震災発生後の1年で137万7千人のボランティアが被災地に駆け付けた1995年はそう称される。
誰に言われたわけでもなく、自分にできることを探し、行政の手が届かない被災者の困り事に寄り添った人たちの数だ。その力を支えに、炊き出しや避難所運営などに自ら立ち上がる被災者がいた。復興の経過とともに、高齢者の見守りや孤立防止など災害救援にとどまらない地域の課題に取り組む多彩なボランティア団体が被災地に生まれた。
こうした動きは、社会貢献に取り組む団体に法人格を与えるNPO法の成立(98年)を加速させ、被災者による市民立法の運動がきっかけとなった被災者生活再建支援法の制定(同)にもつながった。
「市民の時代が来たと思った」と被災地の復興に長く深く関わってきた室崎益輝(よしてる)・神戸大名誉教授は振り返る。「市民主体の復興こそ、阪神・淡路が伝えなければならない理念だ」。その思いは今も変わらない。
だが、社会の空気は変わった。29年後に起きた能登半島地震で、石川県は受け入れ態勢が整わないとして「ボランティアは控えて」と発信し、その後も個人のボランティアは災害ボランティアセンターへの事前登録制とした。昨年12月までの活動者数は約16万人にとどまる。
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一方、中央防災会議のワーキンググループが昨年11月に出した報告書は、300を超える経験豊富な「専門ボランティア団体」が能登に入り、自治体に代わって「実質的に被災者支援等の公助を担った」と記す。全国規模の中間支援組織による調整が機能したとも強調する。「自治体は慣れない業務を無理に行うのではなく、民間の力を活用する考え方にシフトし、NPOなどとの連携体制を全国規模で構築する必要がある」とし、活動団体の登録制度や活動経費の助成にも言及している。
行政が担うべき公助までも、NPOなどに肩代わりさせる意図が読み取れる。団体の規模や専門性でボランティアを分断し、上下関係を持ち込む発想は、管理を容易にし、個人の自由な活動を阻む恐れがある。統制を強めようとする動きには、敏感でいなければならない。
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1995年は生産年齢人口や名目国内総生産(GDP)が減少に転じる分岐点でもあった。人口減と高齢化で地域は疲弊し、行政機能も縮んだ。今後の被災地はより厳しい状況で復興に臨むことになるだろう。
右肩下がりの社会を支えるキーワードとして、宮本さんは「包摂と分散」を提唱する。行革のスローガン「選択と集中」の裏返しで、多様な主体が社会全体に散らばり、それぞれの価値に基づいて動く考え方だ。「他人事を〈われわれごと〉と思える人が増えれば、社会の隙間を埋められるのではないか」
それはボランティアの原点でもある。「市民主体」の理念と相いれない空気が広がり、ボランティアの在り方が岐路に立つ今、その原点を見つめ直す必要がある。
元稿:神戸新聞社 朝刊 主要ニュース 社説・解説・コラム 【社説】 2025年01月01日 06:00:00 これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。
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