【政治の現場】:決戦の足音<4>世論の動向は気になるが、麻生氏の意向むげにできず…首相に難題
『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【政治の現場】:決戦の足音<4>世論の動向は気になるが、麻生氏の意向むげにできず…首相に難題
原則に徹するか、温情を優先させるか――。自民党が不祥事後の対応を迫られている。
7日夕。元農相の西川公也が党本部を訪ね、幹事長の二階俊博ら幹部の部屋を回った。次期衆院選不出馬を表明した西川は、自らの後継として衆院栃木2区から長男を出馬させるために奔走している。「しっかりやれ」。二階は、かつて二階派の事務総長を務めた西川を励ました。
![](https://www.yomiuri.co.jp/media/2021/07/20210717-OYT1I50137-1.jpg?type=large)
西川は昨年12月、大手鶏卵会社「アキタフーズ」前代表から現金を受け取った疑惑で、内閣官房参与辞任に追い込まれた。「政治とカネ」の問題を抱える西川だが、二階派を後ろ盾に強気だ。
栃木県連が実施した公募には15人が手を挙げた。その中には、西川の長男で県議の 鎭央 もいた。選考委員会は6月2日、最終選考に残った4人のうち、論文や面接審査の合計得点がトップだった県議(当時)の五十嵐清を後継に内定した。長男が落選したことに、西川は猛反発した。
「地元の声が反映されていない」「事前の世論調査では息子が上回っていた」――。翌3日、党本部に駆け込み、公募に問題があったと二階に訴えた。
2017年衆院選で落選した西川は現職議員ではないが、現在も二階派に名を連ねる。栃木県から度々上京し、党本部への「ロビー活動」を続け、テレビカメラの前に立ち、公募の不備を訴えたこともある。
「びた一文譲るな」。派閥の最高顧問で元衆院議長の伊吹文明も、旧中曽根派時代から行動をともにする西川を支援する。伊吹は、鎭央の仲人も務めた間柄だ。
「刷新」をアピールするはずの後継選びは、泥沼にはまった。派閥同士の争いに発展する火種もくすぶる。
公募で選ばれた五十嵐は、県連会長で外相の茂木敏充の元秘書だ。茂木は竹下派会長代行でもあり、二階派内では「茂木が五十嵐をねじ込んだのでは」と不信感が広がる。選挙対策委員長の山口泰明は「県連の公募手続きに 瑕疵 はない」との立場を貫くが、茂木と同じ竹下派で、表立っては動けない。
二階派は「2人とも無所属で出馬」という落とし所を探るが、県連は不満だ。栃木2区は野党系が2回連続で議席を獲得しており、保守分裂選挙となれば苦戦は免れないからだ。
「西川さんのところは、どうなってるの」
首相の菅義偉は6月24日昼、首相官邸で昼食を共にした総務会長で栃木県連会長代行の佐藤勉に、こう切り出した。「複雑なんです。幹事長室で預かってもらっています」。佐藤は言葉少なに答えた。
「何とか戻してもらえませんかね」
6月中旬、副総理兼財務相の麻生太郎は、大臣室に陳情に訪れた元官房長官の河村建夫に向かって、逆に頭を下げた。河村は二階派の会長代行を務める。
麻生の願いは、麻生派事務局長だった松本純(神奈川1区)の復党だ。松本は2月、緊急事態宣言下に東京・銀座のクラブに深夜まで滞在した問題で、大塚高司(大阪8区)、田野瀬太道(奈良3区)とともに離党に追い込まれた。それぞれ竹下派、石原派に属していた。
党内では、次期衆院選を無所属で勝ち抜き、みそぎを済ませてから復党するのが既定路線とみられてきた。ただ、無所属での出馬は、比例選に重複立候補できないなど不利な条件が重なる。「落選して国会議員でなくなれば、復党どころではない」(麻生派中堅)。松本は自他ともに認める麻生の最側近だ。麻生は、二階や山口ら党幹部に衆院選前の復党を働きかけている。
新型コロナウイルス対応で我慢を強いられる国民に、早期の復党がどう映るか。「身内に甘い」と批判を浴びるのは容易に想像がつく。「何の罪もない自民党の候補者たちが指弾を浴びる」(元幹事長・石破茂)と、党内では慎重論が根強い。
「復党は今じゃない」。東京都議選の投開票を控えた6月下旬、菅は周囲にこう語った。徒手空拳で都市部の横浜で強固な地盤を築いた菅は、世論の動向に敏感だ。都議選の「敗北」で復党へのハードルはさらに上がった。それでも、政権の要の一人である麻生の意向は、むげに出来ない。
党総裁として、どう「後始末」をつけるか。判断を誤れば、手痛いしっぺ返しが待っている。(敬称略)
◆自民、何度も苦い経験
自民党は、不祥事が響き、国政選で厳しい審判を受けた苦い経験を持つ。
1989年参院選は、消費税導入と重なるように起きたリクルート事件に、宇野宗佑首相(当時)の女性問題が重なり、強烈な逆風が吹いた。30議席減の36議席と大敗し、宇野首相は投票日翌日に退陣表明した。
92年には、金丸信・元副総裁への5億円のヤミ献金などが発覚した東京佐川急便事件が起きた。政治不信が高まる中で迎えた93年衆院選では、自民は過半数に届かず、選挙後、「非自民」の連立内閣が発足。自民は55年の結党以来、初めて政権の座から転落した。
「日本の国は天皇中心の神の国」発言などで批判を浴びた森内閣で臨んだ2000年衆院選では、自民は37議席減らし、過半数を割り込んだ。