愛国者の邪論

日々の生活のなかで、アレ?と思うことを書いていきます。おじさんも居ても立っても居られんと小さき声を今あげんとす

尖閣買い取りにみる石原都知事の身勝手を暴き、健全で良識ある愛国心と人間的・国際的連帯を

2012-06-18 | 領土問題

石原都知事の思考回路を診てみた。石原都知事の扇動に「多くの」国民がカンパを寄せているからだ。だが、そこにあるのは、ご都合主義と身勝手さだ。国民のなかにある「国を愛する」感情を掘り起こし、歪ませ、「ほんとは国が買い上げたらいいと思う。国が買い上げると支那が怒るからね」というように無謀な対立を引き起こそうというのが狙いだ。

不幸な事態をつくりださないために、検討してみた。

まず身勝手であることの理由だ。
原発稼働の是非を問う東京都民投票条例について、石原慎太郎知事は「原発稼働の是非は国家の安危を左右する問題。政府が冷静に判断すべき事柄」と反対していた。これそのものは無茶苦茶な話だ。正式の手続きに沿って集められた署名=都民の声を、都民の賛否に委ねる前に、その機会を奪ってしまうという思考回路、しかもその際の理由が矛盾している。原発による電力の最大の消費地である首都の国民の声を再稼動にあたって問わないという思考回路だ。放射能の汚染は国境を越えて世界に拡散させる、まさに国際的問題である。それを東京都民に問わない都知事は世界から見ても恥ずかしい存在といわなければならない。

原発再稼動の是非を住民投票に委ねない際の口実であった「国家の安危を左右する問題」を尖閣問題に当てはめてみる。石原都知事は、「政府が冷静に判断すべき事柄」として位置づけるのではなく、「日本人が日本の国土を守るために島を取得するのは、何か文句ありますか。ないでしょう。やることを着実にやらないと政治は信頼を失う」と言い放っているのだ。


原発問題と尖閣問題の対応の違いは歴然だ。

尖閣問題では日中の対立を煽り、政府をもその立場に立たせようとしている。原発再稼動問題では再稼動を目指している政府を応援しているのだ。共通しているのは何か、明瞭だ。

しかも、「まさか、東京が尖閣諸島を買うってことでアメリカが反対するってことはないでしょう」などと、「国家の安危を左右する問題」について、アメリカの意向を持ち出しているのだ。石原都知事の「愛国心」がどんなものか、明瞭だ。

「アメリカが反対」したらどうするのだろうか。

こうした身勝手さを野放しにする素地は、実は国民の中にある「愛国心」が基になっている。石原都知事の「感激」と国民の「熱い思い」は区別して論じていく必要がある。国民のエネルギーを「民族としての国家」論で括ろうとする馬鹿げた論法を打ち破るためにも、だ。以下診てみる。

石原都知事は「国が何もしないからこそ、東京都が代わってでもあの島を公的に所有しようという試みに予想を超える多くの国民が呼応し、国民運動として諸島の購買を推進しようという正式のキャンペーンの以前にすでに膨大な献金が集まっているという事実に感激している・・・東日本の大災害の折に見られたボランティアたちの献身と、今回の無名の方々からの望外な献金を見て改めて民族としての国家への熱い思いを感じさせられた」と国民の「献身」や「熱い思い」に「感激」を表明し、「添えられた手紙の中には、『我が家は貧しいが、家族三人して一人一万円を工面して送ります』といったものや、『自分の家は田舎で、都が指定している献金先のみずほ銀行がないのでバスに三十分乗って銀行のある町まで出向いて献金したが、不便な田舎に住む者たちのために是非、田舎にもあるゆうちょ銀行も指定して欲しい』とまであった」と国民の声を紹介している。

この記事を読んで明治中期に起こった国権回復運動を想い出した。そのきっかけは和歌山県沖で遭難したイギリス貨物船ノルマントン号事件(1886年)だ。イギリス人は全員脱出したが日本人23人全員は溺死、領事裁判の結果船長は禁錮3ヶ月、日本人への賠償金はなかった。これに国民世論は憤激した。新聞の呼びかけなどもあり、全国各地から被災民に義捐金が寄せられた。これに似ていると思ったのだ。この事件から8年後日清戦争が起こる。そうして三国干渉による臥薪嘗胆が叫ばれ、日露戦争へ、と突入してアジアの大国へ。そうしてアジア太平洋戦争の悲劇が準備されていったのだ。石原都知事の募金呼びかけは、こうした歴史を踏まえないものだろう。

だが、こうした石原都知事の扇動に対して、猪間 明俊氏(元石油資源開発取締役)は「政治家が取り組むべきは、両国の関係をとげとげしくするのではなく、平和のうちに資源開発や漁業を行えるよう政治環境を整えることではないか。石原知事も文筆と言論を本職とする人なら、尖閣諸島が日本の領土であることを中国に納得させるべく理を尽くして発言すべきである。留飲を下げればよいと言わんぱかりの人気取り発言にうつつを抜かすべきではない」(「朝日」6月18日)と痛烈に批判している。当然だ。

今日中間はアメリカを上回る経済交流を作りあげてきた。中国なくして日本経済と国民の暮らしは成り立たないところまできている。それはカネだけの問題ではない。人の交流も深まってきた。スポーツ選手や芸能人などの交流も密になってきた。だが日中政府と日中間の国民の険悪さは、こうした交流の深まりに水を差す。そうした事態を想像できない石原都知事と扇動行為は、日本経済、国民生活に大きな影響を与えることになろう。石原都知事はそうした「国家の安危を左右する問題」の責任を取れるか。

もう一つある。石原都知事の呼びかけに応えて募金を寄せた国民は、沖縄の少女暴行事件や米軍兵士によって殺された日本人に対して、同じような行動をとっているかどうか、だ。石原都知事のような偏狭な国家主義を見抜くバロメーターは米軍基地の存在に対する態度と行動はどのようなものであるか、そこがポイントだろう。

「朝日」の素粒子(18日夕刊)に「押し付けられれば受け入れるが、好意での提供には知らんぷり。米の汚染地図放置に見えるいびつな植民地根性」とあった。米国が「好意」で提供したのではないことは明らかだが、「植民地根性」は事実だ。

こうしたアメリカの植民地的政策にはダンマリばかりか、日米安保体制は日本の安全を保障してくれる、戦後の繁栄の礎となったと「評価」しているのだ。現在の財政危機の原因にアメリカの対日政策があったなどとは思わないのだ。こういう日本をアメリカ政府は、高みの見物というところだろう。

愛国の情の深さ図るとき腹に溜め込むウソを暴かむ

引用した資料は次に掲載します。

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