愛国者の邪論

日々の生活のなかで、アレ?と思うことを書いていきます。おじさんも居ても立っても居られんと小さき声を今あげんとす

命ある者が沖縄戦の犠牲者の「霊を慰める」とは何か、首相の情緒からペテンとサギ、トリックを考える

2012-06-24 | 日記
昨日沖縄で野田首相は発した言葉をラジオで聴いていて、呆れた。怒りが沸いてきた。大飯原発再稼動の時と思想と論理は全く同じだった。元々演説が上手いといわれていた野田氏の言葉は情緒的で、中身のない、ウソとペテン、自己チュー言葉だと思っていたが、沖縄でも同じだった。沖縄県民を愚弄するものだ。こういう輩に二度と同じようなことを言わせないようにしなければならない。大飯、増税、沖縄、野田政権打倒をスローガンに掲げなければならないだろう。

それにしても、こうした言葉を平然と吐くことができる現在の日本の環境そのものが問題だ。日本国民は、言葉に酔っているのではないか。確かに日本語は情緒的だ。だが言葉の背後にある事実を見抜くことこそが重要だろう。日本語を日本国民のものにするのだ!

そこで、「朝日」に掲載された慰霊祭における野田首相の言葉(要旨)を以下に掲載して、言葉の重みについて考えてみた。野田首相が如何にして事実と異なる言葉を吐いているか。ポイントを言っておこう。

1.戦争を始めたのは人間一般ではない。二重三重に免罪だ。イラク・アフガン戦争も同じことになるし、沖縄から派兵された米軍も同じ視点ということになるし、米国に協力加担してきた日本国政府も同じになる。小泉政権も同じだ。あのブッシュの起こした戦争に全面的協力した。あの戦争の検証をしない理由が述べられている。だからこそ、今後起こるであろう米国の戦争に協力する野田政権も、人間一般で免罪しようということなのだ。まさにウソとペテン、トリックだ。

2.大田実中将の言葉を引用することで、皇軍兵士によって沖縄県民が虐殺された歴史を免罪している。だから「祖国の未来を次の世代に託さざるを得なかった戦没者」と述べることで、そのように仕向けていった政治と教育、マスコミの責任を問うこともないのだ。そうして「不戦の誓い」を抜けぬけと言うのだ。

3.またしても「分かち合い」論が出てきた。これこそ「一億総懺悔」論の延長線上だ。沖縄を生贄にした天皇と歴代自民党政権と米国政権、そのことで巨大な利益を得てきた米日の利益集団を免罪しているのだ。しかも、この間指摘してきたように、「沖縄差別・不平等」論の焼き直しなのだ。この野田首相の発想は。

4.「戦争の惨禍を二度と繰り返さないため」としているが、すでに戦争の惨禍はイラク・アフガン・ベトナム・インドシナで引き起こされているではないか!ボケ!と言わざるを得ない。イラク・アフガン国民の立場に立てば、日本国の首相はとんでもない!ことになるのだ。こういうことが全く判っていないのだ。

5.そうした事実に眼を向けず、国の安全保障を預かる者の「務め」を強調することで、沖縄の「犠牲」。今後の生贄の強要をも免罪しているのだ。本当に「戦争の惨禍を二度と繰り返さない」と言うのであれば、基地存続、オスプレイ配備はできないはずだが、事実は全く逆である。強化しようとしているのだ。こうした事実と違う言葉を吐くことの意味は、自らの責任をも免罪し、覆い隠す手法と言わなければならない。まさに人間に対する冒涜だ。

野田首相の挨拶
 ひときわ苛烈(かれつ)で凄惨(せいさん)な戦闘だったと言われる沖縄戦から、67年目となる初夏を迎えた。
 あの悲惨な日々を心に思い描くことから始めなければならない。紺碧(こんぺき)の海と空々と埋め尽くした軍艦や爆から、昼夜を問わず、閃光(せんこう)と爆音。幾万の住民が戦火のただ中に投げ出され、多くの尊い命が奪われていった。
 戦争という人間自らが引き起こす災禍において、いかに人間の尊厳が踏みにじられてしまうのか。人間が人間らしさを失ってしまうのか。美しい沖縄の大地に刻まれた悲惨な歴史を決して忘れてはならない。
 沖縄の苦難の歴史に思いをはせるとき、私は大田実中将の最期の言葉を思い起こさずにはいられない。「沖縄県民かく戦えり。県民に対し、後世特別のご高配を賜らんことを」と結ばれた電信文に込められた、祈りにも似た悲痛な願いだ。私たちは、常に問い返さなければなら。沖縄の皆様の抱く思いを、全ての日本人で分かち合おうとする格別の努力を尽くしてきているだろうか、と。戦争の惨禍を二度と繰り返さないために、国の安全保障に万全を期すことは、国政を預かる者の務めだ。他方、現在も沖縄米軍基地が集中し、県民の皆様に長年にわたり多大な負担をおかけしている事実は、傾愧(ざんき)に堪えない。基地負担の早期軽減に全力を尽くし、具体的に目に見える形で進展させることを改めてお誓いする。
 祖国の未来を次の世代に託さざるを得なかった戦没者の悲痛な思いを受け継ぎ、我が国は不戦の誓いを堅持する。(引用ここまで)

野田首相の言葉を見抜く「事実」は以下の記事にもみることができる。「誠心誠意、ていねいに説明」しても、ムリなことは明らかなのに、思わせぶっているのである。まさに原発再稼動と同じだ。野田首相は、どのように責任を取るつもりか!ま、取らないだろう。すでに自己弁護・免罪論に基づいて発言しているのだから。

オスプレイ:野田首相「しっかり説明する」沖縄県知事に
毎日新聞 2012年06月23日 21時42分(最終更新 06月23日 21時54分)
沖縄全戦没者追悼式の終了後、報道陣の質問に答える野田首相=沖縄県糸満市の平和祈念公園で2012年6月23日、野田武撮影
 野田佳彦首相は23日、沖縄全戦没者追悼式に参列するため沖縄県を訪れ、那覇空港で仲井真弘多(なかいま・ひろかず)知事と会談した。米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)に配備予定の垂直離着陸機MV22オスプレイについて、仲井真知事は配備反対の考えを表明。首相は「政府としてしっかり責任をもって説明する」と述べた。会談に同席した沖縄県幹部が明らかにした。会談に先立ち、首相は23日、オスプレイの墜落事故が相次いでいることについて「ことの深刻さは米国も十分承知している。(米側の事故の)調査結果を踏まえ、政府内でしっかりと検討して対応したい。調査結果は沖縄にも誠心誠意、ていねいに説明したい」と強調した。糸満市で開かれた追悼式に出席した後、記者団に語った。【井本義親、阿部亮介】
http://mainichi.jp/select/news/20120624k0000m010059000c.html


次に掲載するのは、6.23を考える社説だ。長くなるので、別にする。


いつまでもウソとペテンの言の葉に政(まつり)預ける民の奮起を
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