九州市長会議における沖縄と九州の矛盾は、日米軍事同盟容認論の矛盾を露呈しました。沖縄側も日米軍事同盟容認の枠内で負担を九州に求めれば、九州側も「国家の専管」論で対応するという、両者の主張の矛盾はそれぞれ露になってしまいました。
防衛事項は国家だけの問題ではありません。地方自治体の自治権はどうなるのでしょうか?憲法の地方自治の放棄とも言える主張には驚きです。しかし、沖縄の「差別解消」論にもとづく「公平負担」論は、社会のあらゆる差別や不公平を温存したまま、それを拡散するのを是とするのは、あまりに暴論と言わねばなりません。
このことは原発「負担」論で実証されたはずです。
以上、簡単に考えて判りそうなことを、互いに責任をなするつけあった今回の市長会。これで喜んでいるのは、誰か!よくよく考えてみる必要があるように思います。
日米安保=軍事同盟の成立とその後の歴史、果たしてきた役割、それを踏まえて永遠に継続していくのか、地位協定と条約の関係は何か、など検討すべきことは多いように思います。
以下、琉球新報と沖縄タイムスの社説を掲載しておきます。ご検討をお願いします。
琉球新報社説 九州市長会決議 危うい誤ったメッセージ 2012年11月9日
オスプレイ配備をめぐり、また沖縄に対する差別の構造が浮き彫りとなった。深い失望感と怒りが込み上げてくる。 7日から宮古島市で開かれている九州市長会は8日、理事会で米海兵隊の垂直離着陸輸送機MV22オスプレイの沖縄配備撤回決議案を、沖縄の過重な基地負担軽減を求める案に修正、決議した。 危険極まりないオスプレイの沖縄配備を撤回してほしいという県民の切なる訴えは、玉虫色の負担軽減に置き換えられてしまった。沖縄の痛みを真に理解し、共に分かち合おうとする姿勢は、ついに最後まで見られなかった。 九州市長会に問いたい。沖縄への配備撤回こそが負担軽減ではないのか。撤回決議への反対は、沖縄へオスプレイを押し付けることと何ら変わりはない。このような問題の本質に切り込まない決議は、日米両政府への誤ったメッセージとなり、かえって有害だろう。 配備撤回決議が持ち越され、修正されたのは、前日の総会で一部市長らから異論が出されたためだ。本田修一志布志市長は「決議すれば、沖縄以外のほかの県に持って来ていいよということを意味する」と異議を唱えた。その主張は、要するにやっかいな物は沖縄で引き取ってくれと言っているようなものだ。自分のところでは受け入れられないとの気持ちは分かるが、だからといって沖縄に押し付けることを理不尽と思わないのか。
「沖縄ならいいけど九州なら困ると言う発想は到底理解できない。憤りすら覚える」「私に言わせれば(沖縄の過重な基地負担を)絶対理解できていない」。総会での儀間光男浦添市長と稲嶺進名護市長の反論だ。まったく同感である。 一方、米軍機の低空飛行訓練中止と、詳細な説明なくオスプレイの飛行訓練を強行しないよう求める議案は可決された。当然だろう。だれしも身に降りかかる危険は容認できない。ただ、沖縄は既にその危険にさらされていることを、ぜひ市長会メンバーには心に留めていただきたい。 総会では、「沖縄だけに負担を強いることはいけない」「同じ仲間なので、たとえ1県からの提出でも受けるべきだ」との心強い意見もあった。沖縄も九州への無理な配備は望んでいない。九州が一つとなってオスプレイ問題を発信し、国民の命と財産を守る全国的論議へとつなげていくことを切に望む。
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-199016-storytopic-11.html
沖縄タイムス社説 [九州市長会決議]国民的議論を起こそう2012年11月10日 10時33分
宮古島市で開かれた九州市長会の議論は図らずも、米軍基地が沖縄に集中するいびつな構造を浮き上がらせる場となった。県内11市で構成する県市長会が提出した「沖縄県への新型輸送機オスプレイ配備の撤回を求める決議案」をめぐってである。決議案はオスプレイ配備に反対し、政府に対し、直ちに配備を撤回するよう強く求める内容だ。 九州の市長らからは賛同する声が上がる一方で、反対や慎重意見も相次いだ。このため翌日の緊急理事会に持ち越され、原案から「オスプレイ配備撤回」を削除。表題も「沖縄県への過重な基地負担の軽減を求める決議案」に修正した上で全会一致で採択した。 原案への反対は「配備撤回の決議をすると、沖縄以外の県に持ってきてもいいことを意味するのではないか」(本田修一鹿児島県志布志市長)との意見に象徴される。それに「国防は国の専管事項」という考えだ。 これに対し沖縄側は「日米同盟容認の立場だが、安全保障は沖縄だけでなく、全国のもの。沖縄ならいいのか。実に情けなく、憤りすら覚える」(儀間光男浦添市長)と強く反論した。原案に賛同する九州の市長らの発言には会場から力強い拍手がわき起こる場面もあった。 修正決議には「オスプレイの配備は、到底容認できるものではない」との文言が残った。市長会の議論は日本の縮図のようにみえる。沖縄側の問題提起を受け止め、持続可能な日米安保の在り方を共に考えるスタートにすべきだ。 海兵隊が岐阜、山梨県から沖縄に移駐するなど1960年ごろまでに日本本土の米軍基地は4分の1に減少したのに対し、沖縄は約2倍に増えた。72年の復帰前後で本土の米軍基地は約3分の1減少したが、沖縄ではほとんど減ることはなかった。 迷惑施設の最たる米軍基地は自分の「裏庭」に来てもらっては困るという考えこそが沖縄に米軍専用施設の約74%を押し込める「構造的差別」としかいいようがない現状をつくりだしているのだ。 本土側に「日米安保の利益だけを享受して、負担は嫌という姿勢」(宮城篤実・前嘉手納町長)があるからだ。 米軍基地に由来する事件は復帰から昨年末までに5747件、航空機関連事故も43件の墜落事故を含め522件に上る。県議会が米軍の事件・事故に絡み抗議決議を可決したのは10月でついに100件を数えた。沖縄からの決議案は積もり積もった犠牲の上に成り立っている日米安保の在り方に対する異議申し立てなのである。
九州市長会と車の両輪ともいえる九州市議会議長会は10月下旬に沖縄側が提出した「オスプレイの配備計画の撤回について」を全会一致で採択している。 「国防は国の専管事項」という呪文が沖縄の声を封じる論法として用いられるが、誤解である。 米軍基地は事件・事故や騒音、環境など住民の日常生活にさまざまな影響を与える。地元の同意なくして基地政策が進められるはずがない。
http://article.okinawatimes.co.jp/article/2012-11-10_41331