国際政治学者藤原帰一氏の主張を批判したら、通りすがりのF.Tさんという方から貴重なコメントをいただきました。ありがとうございました。 以下愛国者の邪論の意見を述べさせていただきます。
「自民党政権時代に、国会運営にあたって社会党と自民党の間に談合や取引のようなやりとりがあった…例も示しているように、事実として社会党(社民党)や共産党は、最初から政権を取る気がない政党であることが歴史上確認されているようです。政治学者の方々はその歴史をつぶさに見てきたため、政権を期待できない意義を唱えるための政党という表現をしているのでしょう」と藤原帰一氏が「社民党や共産党のように政権の獲得よりも政治への異議申し立てを目的とする政党であれば、1票を入れる意昧があるかどうかはもかく、政策の違いは鮮明になる」という見解の解説?をいただきました。
一つには、先日亡くなった浜田幸一さんが暴露していたように自民党政権時代の国会運営にあたっては料亭における自社の密室談合は有名な話です。
しかし、そのことと共産党が最初から政権をとる気がしない政党であることとは別のような気がします。社民党は政権交代を実現した民主党政権と連合政権を形成しましたので、政権を取る気があったことは明らかです。
ここで確認しておきたいことがあります。それは、単独か、連合で政権を取ることかどうかということは、問題にはならないということを、まずお断りしておきます。その上で、以下述べてみます。
共産党は、その綱領で、以下のように政権の枠組みと政権の目的を述べています。
http://www.jcp.or.jp/web_jcp/html/Koryo/
日本共産党と統一戦線の勢力が、国民多数の支持を得て、国会で安定した過半数を占めるならば、統一戦線の政府・民主連合政府をつくることができる。日本共産党は、「国民が主人公」を一貫した信条として活動してきた政党として、国会の多数の支持を得て民主連合政府をつくるために奮闘する。
民主連合政府は、労働者、勤労市民、農漁民、中小企業家、知識人、女性、青年、学生など国民諸階層・諸団体の民主連合に基盤をおき、日本の真の独立の回復と民主主義的変革を実行することによって、日本の新しい進路を開く任務をもった政権である。
民主主義的な変革は、労働者、勤労市民、農漁民、中小企業家、知識人、女性、青年、学生など、独立、民主主義、平和、生活向上を求めるすべての人びとを結集した統一戦線によって、実現される。統一戦線は、反動的党派とたたかいながら、民主的党派、各分野の諸団体、民主的な人びととの共同と団結をかためることによってつくりあげられ、成長・発展する。当面のさしせまった任務にもとづく共同と団結は、世界観や歴史観、宗教的信条の違いをこえて、推進されなければならない。
この主張にもとづいて、東日本大震災後にいくつかの「提言」、「日本改革のビジョン」を発表しています。http://www.jcp.or.jp/web_jcp/
「原発依存から即時原発セロへ」
「くらしも財政も悪くする増税路線から消費税に頼らない別の道へ」
「オスプレイ、TPP-アメリカいいなりから安保をなくし対等の日米関係へ」
「歴史的事実と道理に立って外交交渉で解決を」
もう一つあります。それは、以下の記事です。
総選挙の対決構図 選挙区では 共産党がどこでも軸に “全国でブレずに一生懸命”と話題2012年11月22日(木)
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik12/2012-11-22/2012112201_01_1.html
政権獲得のための政策と候補者数をみれば、藤原氏の主張が事実を反映していないことが判るのではないでしょうか?
これらの「提言」がいずれも日本共産党が政権を獲得した際に実行する、いわゆる「政権公約」「マニフェスト」と理解されていないところに、「政権を取る気がない」と言われているとしたら、それは共産党の側にも責任があるようにも思われます。これを有権者の「誤解」とするわけにいきません。政党の側の責任の重さは当然だからです。
しかし、有権者が、共産党の「提言」をすら知らないというのは、共産党の側の責任とばかりではないというのも、これまた事実ではないでしょうか?それはマスコミの取り上げ方に問題があるというのが、愛国者の邪論の最も言いたいところなのです。
二大政党政治オンパレードの破綻と現在の多党化現象、離合集散の時代にあって、各党が独自のメディアを駆使して、自らの政策を国民に知らしめているのは、ごく少数ではないでしょうか?ほとんどの政党がマスコミというマスメディアをとおして、その政策の宣伝を行っているのは、石原・橋下「日本維新の会」を見れば、明瞭です。
各党がマスコミ受けする、マスコミは視聴率の取れる過激な発言を追いかける「劇場型」政治が行われ、一方では政党助成金漬け、企業団体献金漬けに浸ってきた結果、政党と政治の劣化が作り出されたことは、衆目の一致するところではないでしょうか?
だからこそ、愛国者の邪論としては、各党の政策を国民に公平に報せる責任、国民の厳しいチェックと国民運動の発展を問いかけているのです。しかも藤原帰一氏の言うように政策の「違い」を強調するのであれば、共産党の政策を対置することで、有権者にとってみれば、「違い」の判る政治が見えてくるのではないかということなのです。
政策としてTPPや消費増税反対を唱えても、具体的な実現方法や代替案の提案に乏しいため、たとえ政権を取ってたとしても民主党の二の舞になる懸念がありますね」とのご指摘ですが、マスコミは「TPPや消費増税反対を唱え」ている反対派の「具体的な実現方法や代替案」を国民にどれだけ報せてきたでしょうか?マスコミが報せる「政局報道」と同じ量と質を「具体的な実現方法や代替案」に費やしたら、どれほどの展望が切り開かれるか、「手詰まり感」が払拭できるか、まずやってみてはどうか、ということを愛国者の邪論は述べているのです。
愛国者の邪論のこれまでの記事に貫かれていることは、こうしたマスコミ報道に異議を唱えていること、そのことの一点です。
TPPについても、以下の記事が参考になりますが、こうした事実がどれだけ報道されているでしょうか?
「TPPは日米同盟のため」英誌が論評2011年2月15日(火)「しんぶん赤旗
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik10/2011-02-15/2011021508_01_1.html
主張 TPP参加阻止 新しい年を食と農を守る年に2011年1月5日(水)「しんぶん赤旗」
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik10/2011-01-05/2011010501_05_1.html
消費税にしてみても、国際社会において富裕層への課税の是非が主流になってきていることはアメリカ大統領選挙でも争点となり報道されましたが、日本のマスコミは、日本の現状を含めて、このことについて、どれだけ系統的に報道しているでしょうか?藤原氏と同じように「消費税やむなし」論か、増税キャンペーンを張っているのではないでしょうか?こうした報道と「政局報道」が「手詰まり感」を与えてきたことは新自由主義を取るかどうかで争われ、国民の運動と一体的に行われて欧州の各国の選挙とそれに対する日本の報道を見れば明瞭です。国際政治学者の藤原氏が、そうした諸事実を知らないはずはありません。
共産党の政策の実行度がどれくらいのものか、その時点で判断できるのではないでしょうか?現在のところでは、共産党の政策の実行度以前の状況、リングにすらあげてもらえない。劇場の舞台にすら出演できない日本の政治状況があるということを言いたいのです。
「民主党の二の舞になる懸念」論について言えば、そもそも民主党は小泉構造改革時代には新自由主義的政治を競っていました。小泉構造改革政治の破綻が目に見えてきたことと政権奪取を一体的なものとして捉えた民主党が、その政策の転換を図ったことは藤原氏もご存知のはずです。
しかし、本質的に日米軍事同盟容認、財界擁護の立場にたつ民主党が、その枠組のなかで新自由主義的政治の打破を求めることは、それなりの覚悟が必要でした。本来であるならば、普天間基地の県外・国外論を展開した時点で、国民運動の展開を呼びかけるべきでした。増税にしても、TPPにしても、社会保障制度にしても、同様です。
新自由主義的政治からの脱却と国民運動は切っても切り離せないものでしたが、「政局報道」によって、結果的には国会解散に追い込まれ「政権交代」「政党消滅の危機」を余儀なくされたというべきでしょう。まさに実から出たサビが浮き彫りになり朽ちていくということになるのでしょうか?国民にとって観れば、踏んだりけったりです。「裏切り」と映るのは当然です。
「政局報道」に負け、国民運動を提起しなかった民主党政権と、それらを紹介しないマスコミこそ、国民の「ストレス」を醸成していると言えます。これがまた既成政党VS「新」という構図をつくりだし、真の対決軸をあいまいにして、事実上日米軍事同盟容認・財界擁護派の温存を先送りしていこうとしているのです。
これらの事実は、国民不在という意味で、これこそが「上から目線」の象徴ではないでしょうか?
こうした諸事実に対して「裏も表も歴史や経緯もすべて知り尽くした」「専門家」が、この「短い文章」のなかで語らねばならないことを「原則論ではなく、一つ一つの事象を丁寧に検討して政策を決定しなければならないというのが、この論説の結論」として語っているとしたら、それは如何なものでしょうか?とならざるを得ません。
何故ならば、日米軍事同盟は「原則論」であると同時に、消費税・TPP・原発・福祉・教育・領土問題など、現在の日本の政治の課題、国民生活の課題の「一つ一つの事象」に貫かれているからです。巨大な圧力団体である財界に対する立場も同じです。
「手詰まり感」の背景や原因、それに対する展望の結果として、藤原氏の見解があるのでしたら、更なる検討が必要ではないでしょうか?
現在の多党化現象のなかにあって既成政党VS「新」ブームで共産党が、まさに政権を取るつもりがない政党として国民に映っているとしたら、かつての「日本新党」「小泉構造改革」「政権交代」ブームで弾き飛ばされた経験を踏まえると、大変由々しき事態と言えます。それについては、長くなりましたので、別項で記事にしたいと思います。
以下、資料としてとおりすがりのK.Tさんの意見を掲載しておきます。
通りすがりの者ですが (F.T.)2012-11-23 15:19:19
ある論客の意見の総体を、短い文章から読み取る事は難しいですね。著作をいくつか読んでも、全ては捉えきれないと思います。
自民党政権時代に、国会運営にあたって社会党と自民党の間に談合や取引のようなやりとりがあったのをご存じのことと思います。その例も示しているように、事実として社会党(社民党)や共産党は、最初から政権を取る気がない政党であることが歴史上確認されているようです。政治学者の方々はその歴史をつぶさに見てきたため、政権を期待できない意義を唱えるための政党という表現をしているのでしょう。
同時に、政策としてTPPや消費増税反対を唱えても、具体的な実現方法や代替案の提案に乏しいため、たとえ政権を取ってたとしても民主党の二の舞になる懸念がありますね。藤原氏の文章が示唆するものは、この手詰まり感だと思います。
専門家として、裏も表も歴史や経緯もすべて知り尽くした上での率直な論評です。そこに突破口が見えない事が一般人にとってはストレスですが、個人的には事実そういう状況だと感じています。氏の著作を読む限り、決して上から目線で論戦を放り出す方ではありません。論題の趣旨に沿い、個別政策に対するご自身の主張はあえて抑えた上で、政局を冷静に分析した結果のみを書いていると思われます。
もっとも、ご自身の主張は最後に垣間見る事ができます。増税は必要だが時期を図らねばならない、日米同盟がどうこうではなく、紛争には孤立を避け他国との連携によって対峙しなければならないというのは、氏が日頃主張している所です。原則論ではなく、一つ一つの事象を丁寧に検討して政策を決定しなければならないというのが、この論説の結論です。(引用ここまで)