今日の朝日の16面の記事「社説余滴」「憎悪の倍返しはごめんだ」(箱田哲也)を読んで、「ちょっと違うな」と思いましたので、記事にしました。
日本は、日本の歴史認識の軽さに向き合っているだろうか。これです。二歩んは、戦後共産主義の「脅威」を前提にした「抑止力」論に立脚にして軍事力による安全保障論を当然としてきました。日米軍事同盟を前提に軍事増強を図って隣国に脅威の倍返しをしてきたのは、日本だったのではないでしょうか。
そうした倍返しは、実は、日本国憲法の平和主義に違反するものでしたが、そうした軍事力強化路線が、隣国にどのようなな心理的影響を与えてきたか、日本は、向き合ってきたでしょうか。そうした事実が、今日の朝日の記述の中に、ものの見事にみられました。そのことは昨日の記事でも書いたことでした。
それは、集団的自衛権行使論は、日本の加害責任を曖昧にして、軍事強化路線にひた走り、その結果、互いに倍返し路線に走ることになる。そうして軍事的矛盾の高まりをつくりだし、平和的解決が不可能な事態をつくりだす。そこにあるのは、憎悪と不理解・無理解と非寛容の倍返し路線の具体化です。このことは、今日の「オピニオン」「ジェノサイドと現代」について、コメントしたトーマス・バーゲンソール氏の「憎悪のサイクル」論に典型的にみえてきます。
この集団的自衛権論は20世紀型の「縄張り意識」の温存と言えます。「杯を交し合った者」を互いに助け合う論に一役の二役もかっているのです。まさに江戸時代の任侠世界と言えます。
以下の言葉の下の部分に注目していただければと思います。
>だが、北朝鮮の核問題や対中関係をめぐり日本が憂えるのは自然
だが、日本の日米軍事同盟強化としての集団的自衛権や靖国参拝、慰安婦問題をめぐり中国・韓国・北朝鮮が憂えるのは自然
>日本の放射能汚染に対する、すさまじい恐怖心
日本の軍備強化や日米共同の軍備強化に対する、すさまじい恐怖心
>韓国メディアが東京発で伝える不正確な報道や、無料アプリなどで飛び交う心ないメッセージが、韓国の人たちの不安をかきたてている。
日本のメディアが東京発で伝える中国や北朝鮮、韓国の不正確な報道…が、日本の人たちの不安をかきたてている。
>隣国に等身大の日本の姿が伝わらないのは何とも腹立たしい。だが一方で韓国の実像が日本に伝わっているかというと、これまた疑わしい。これではそれこそ憎悪の倍返しではないか。
隣国の等身大の中国や北朝鮮、韓国の姿が伝わらないのは、何とも腹立たしい。だが一方では日本の実像が中国・北朝鮮や韓国に伝わっているかというと、これまた疑わしい。これではそれこそ憎悪の倍返しではないか。
以上のように、逆転現象を抜きに、日本からだけの見方を振りまいているだけでは、関係の修復は有り得ないと言えます。この修復のために、まず日本がやるべきは、加害行為によって苦しめてきたことの事実に向き合うことです。これを正当化する政治家の発言を中止することです。
そのために、社会のあらゆる場で教育を徹底させるべきです。とりわけ、9.18、7.7、12.8、8.6.8.9、8.15、3.10,11.3、更には5.3には、不戦の集いを全国的に開催すべきです。その他、沖縄の6.23のように、全国各地で、各地にふさわしい不戦の集いを開催し、体験の継承と教訓化を図るべきです。
更に言えば、トーマス・バーゲンソール氏の言うように、国際法や人権を学ぶこと、殺し合わない環境を作ること、他者に対する憎悪を扇動するような動きを拒絶することを教えること、これを学校だけでなく政府機関や警察、軍隊など、あらゆる分野で具体的に取り組むべきことです。
>関係悪化は相手のせいだと開き直る政治。感情の対立の火にせっせと油を注ぐ人々。こういった面では日韓はどっちもどっちなのである。不毛な争いの果てに、もたらされる利益など、どちらの国にもない。
「開き直る政治」を許しているのは、どのような政治システムと社会があるからでしょうか。マスコミはどうでしょうか。「日の丸」「君が代」を強制する教育界は。
「日韓はどっちもどっち」と、原因と結果を逆転させてしまう思考と論理の検証はどうでしょうか。
「もたらされる利益」を呼び込むためには、どのような思想と装置が必要か、検証してみる必要があります。
その回答は侵略戦争の反省を明記し、紛争を非軍事的手段で解決する、脅しや武力行使、戦争という軍事的手段を永久に放棄し、そのための軍隊・軍事力を放棄し、国家の戦争権を否認すると宣言した日本国憲法の平和主義です。
では具体的に、掲載しておきますので、ご覧ください。
「社説余滴」「憎悪の倍返しはごめんだ」(箱田哲也)
どちらも記録的な猛暑だったというのに、日本と韓国の間には寒風が吹きすさぶ。
どう打開すべきなのか。日韓問題に一家言ある人たちによる民間人対話、日韓フオーラムが8月下旬、ソウルで開かれた。正しい歴史認識とは何か、2年後の日韓国交50年をどう迎えるべきなのか……。なかなか答えが見えない課題について意見が交わされた。民間対話とはいえ、21回目を数える会合は、両国関係のバロメーターともいえる。
昨年は過去最悪の環境下での会合と言われたが、「今年はさらに最悪度を更新した」と常連の一人は嘆いた。ただ、韓国側に微妙な変化もないわけではなかった。
たとえば集団的自衛権をめぐる問題。政治家の歴史認識発言などを根拠とする日本の右傾化批判は根強い。だが、北朝鮮の核問題や対中関係をめぐり日本が憂えるのは自然であり、「靖国参拝や歴史認識と、安保問題とは切り離して考えるべきではないか」との指摘が韓国側から出た。
むろん、知日派の発言だから世論全体がそうとは言えまい。だが、数年前の韓国なら公の場で堂々とはできなかったはずの発言である。冷静な視点は確実に芽生えている。
一方、討論の会場の外で何度も耳にしたのは、日本の放射能汚染に対する、すさまじい恐怖心だった。
「顔が三つの奇形魚を見たことがあるか」「安全な野菜はあるのか」
韓国メディアが東京発で伝える不正確な報道や、無料アプリなどで飛び交う心ないメッセージが、韓国の人たちの不安をかきたてている。
隣国に等身大の日本の姿が伝わらないのは何とも腹立たしい。だが一方で韓国の実像が日本に伝わっているかというと、これまた疑わしい。
最近の日本の一部メディアには、先方の日本報道の向こうをはるような韓国たたきの記事が目立つ。
人気ドラマの決めぜりふ「倍返し」を題材に、日本社会を批判的に論じた韓国紙のコラムに対し、「韓国がドラマにまで難癖をつけた」と、かみつく記事もあった。
これではそれこそ憎悪の倍返しではないか。
関係悪化は相手のせいだと開き直る政治。感情の対立の火にせっせと油を注ぐ人々。こういった面では日韓はどっちもどっちなのである。不毛な争いの果てに、もたらされる利益など、どちらの国にもない。(国際社説担当)