愛国者の邪論

日々の生活のなかで、アレ?と思うことを書いていきます。おじさんも居ても立っても居られんと小さき声を今あげんとす

安全保障論を口実とする特定秘密保護法案は人権民主主義平和主義を否定する擬装トリック、粉砕すべし!

2013-10-27 | 日記

人権と民主主義が成熟したといわれている国ニッポンに、毎日毎日蔓延する偽装ニュースには呆れます。しかし、安倍自公政権そのものが偽装政権ですから、この偽装の蔓延を払拭し、整理していくために必要なことは、政権交代という大手術しかないというのが、日々浮き彫りになて率直な感想です。その大手術をする経験は、国民参加型の政権です。

偽装の事例をあげれば、絶対支持率が3割にも満たない安倍自公政権そのものが偽装のシンボル的存在です。しかも安倍首相は、フクシマ汚染水問題を利用して東京五輪招致レースを勝ち抜くことができましたが、これもドーピングで勝ち得たものでした。安倍首相の外遊が、アベノミクス成長戦略という偽装戦略を売り込むためでした。ゲンパツの輸出と対中包囲網と東京五輪支持要請が目的でした。国民の税金、カネをつかって成し遂げたのです。

そうして出してきたのが、安全保障政策=積極的平和主義政策の断行するため、「特定」の「秘密」を「保護」するという「大義名分」です。これは、大日本帝国憲法が掲げた「安寧秩序ヲ妨ケス及臣民タルノ義務ニ背カサル限ニ於テ」「法律ノ範囲内ニ於テ」という人権と民主主義弾圧の象徴的フレーズを想起すれば判ることです。これが治安維持法 の「国体を変革し」という「国体護持」条項によって、アジアと臣民を塗炭の苦しみに、また悲惨な状態に陥れていったことです。

だからこそ、「政府の行為」によって「戦争の惨禍」を繰り返さないために、主権を天皇から国民に転換していった日本国憲法を制定したのでした。このことを歴史の教訓にしなければならないと思います。ということは、この悪法は、主権在民主義を根底から覆すものということを強調しなければなりません。

それはどういうことか、というと、国民の動向を調査することまでを「安全保障のため」「テロ対策」などという「理由」=「口実」「捏造」で正当化できるからです。これはあのドイツ首相の携帯電話を盗聴していたことを思い起こせば、誰でも判ることです。以前、共産党本部を玄関前のビルからカメラで盗撮していたことを思い起こせば、判ることです。このような政府の「スパイ」活動を告発すること、情報公開することすら、違法になるのです。まさにメチャクチャです。

しかし、このような視点での告発は極めて弱いと、声を大にして言っておかなければなりません。マスコミは「報道の自由」、マスコミの「知る権利」論を展開することをとおして、国民の「知る権利」を強調していますが、そうれはそうですが、根本は、国民の知る権利、思想信条表現の自由、国家を規制する権利の剥奪であること、このことをもっと強調しなければなりません。

以下の記事も、この視点は、少し弱いように思います。今日の赤旗の特集は、このあたりをしっかり強調しています。

秘密保護法案閣議決定/憲法くつがえす悪法 断固廃案に追い込む/志位委員長が会見

秘密保護法案/全国紙・地方紙社説 反対や強い懸念/「知る権利」書かれていても保障されない■「戦前を取り戻す」発想■善意の告発者が萎縮

国民の知る権利を奪う「秘密保護法案」に断固反対する/―「海外で戦争する国」づくりを許さない/2013年10月18日 日本共産党 [2013.10.19]

このことは、以下のブログで強調されていますが、もっと、公安警察や自衛隊のスパイ活動、企業の内部告発弾圧など、人権と自由と民主主義の発展、憲法を活かす国民の運動を弾圧するための装置づくりあることを、もっともっと声を大にしていかなければならないということです。

「軍機保護法」の復活か~秘密保護法の怖さ!!安倍政権の恐怖 ... 2013年10月18日

それでは、今日までに、各新聞が書いてきた社説を掲載しておきます。ご覧ください。

マスコミは、自らのペンが、合法的に成立した法によって、そのペンがポッキリと折られることを想像できるかどうか、そのことが試されているでしょう。そのためには、「安全保障」「テロ」「中国・北朝鮮の脅威」論が、いかに思考停止をつくりだしてきたか、また、各政党の活動を紹介する報道について、どのようにアンフェアーであったか、いや、国民の運動紹介について、如何に積極的でなかったか、消極的だったか、自らの報道の弱点を反省すること、このことも問われていることを自覚すべきです。何故か、この法案が憲法を押し付けたとされているアメリカの意向を受けたものであるからです。このことを明らかにしている社説は、どれくらいあるでしょうか。ご覧ください。

主張/NSC法と秘密法/「一体」が危険浮き彫りにする [2013.10.26]

それにしても、今、まさに大闘争、ゼネスト規模の大闘争が求められている局面になったことを強調しておきたいと思います。憲法を活かすか、覆すか、その矛盾が、ここまできたということでしょうか。

主張/国民運動の発展/統一戦線展望する壮大さで [2013.10.25]

 

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

共産党がはじめてまとめた政府綱領=政権構想!愛国者の邪論は、今、これを提案する必要があると主張!2

2013-10-26 | 国民連合政権

次は、この憲法案の視点を使ってつくられた、いわゆる61年綱領ですが、それは膨大なものです。これも本来は、共産党のHPで資料として掲載されておくべき問題です。過去の資料は、その時代その時代の課題を明らかにすると同時に、その時点における時代的制約やその後の政策的発展を検証するためにも、また誤りは誤りとして、どのように総括し、その後に活かされたか、国民に、その情報を提供すべきです。こうした営みこそが、国民的政党としての地位を確立することになるでしょう。

例えば、民主連合政府綱領が提起された時、「対等・平等の日米関係の確立」の項では、「日米安保条約の解消とともに、平和五原則にもとづいて、対等・平等の日米関係の確立、アメリカ国民との友好をはかる。日本経済の従属・依存関係を改革し、日米間の平等・互恵の経済交流を発展させる」とあります。政権交代マニフェストを経験した国民にとっては、これだけでは政権を託すことはできないかもしれません。

それでは、その後、この項目は、どのようになっていったでしょうか。以下の文章をお読みください。この時期は沖縄の米軍兵士による少女暴行事件や安保再定義など、安保条約の見直しが謀られましたが、共産党は、日米安保条約廃棄後の展望を具体化できていませんでした。極めて抽象的です。従来の方向性の踏襲に過ぎません。

第21回党大会にたいする中央委員会の報告 1997年9月22日

1、日米安保条約の大改悪に反対する

もともと、日米安保条約のもとでの日本の地位は、世界でも例のない異常な従属の体制です。

 沖縄は県ぐるみが基地化されているうえ、東京をふくむ首都圏が、沖縄につぐ第二の米軍基地集中地帯になっている。そこには海兵隊と空母機動部隊という海外遠征を主任務にする二つのなぐりこみ部隊が常駐基地をかまえている。その米軍が事実上の自由行動権をもっていて、しかも米軍基地の体制は、基地の施設建設費を全部日本が負担していることをはじめ、今年度分は二千七百九十八億円、過去から合計すれば二兆六千七百九十一億円にものぼる、条約上の義務もないばく大な「思いやり」予算によってささえられている。こういうことは、どれ一つとっても、世界で他に例がないものであります。…自民党政治には、日本の主権の回復への思いがまったくないといわなければなりません。(拍手)アメリカの対外干渉主義への批判も、日本の軍国主義的過去への反省もまったくないといわなければなりません…みなさん、戦争と平和という、国のもっとも重大な問題からいっても、二十一世紀を、自民党政治にこのまままかせるわけにはゆかないではありませんか。(拍手)

私たちは、決議案で、二十一世紀の日本がすすむべき進路――独立・主権・非同盟・中立の道を明確にしめしました。自民党の安保堅持・アメリカ追従の道が日本と国民をどこに導くのか、それがあからさまな姿であきらかになったいま、国民の先頭にたって、このくわだてをうちやぶるたたかいに力をつくすとともに、日本の新しい進路への国民多数の共感と支持をかちとる努力を、決定的につよめようではありませんか。(拍手)(引用ここまで

こうした、抽象的な言葉にもとづく政策が転換できるようになったのは、以下の綱領提案の会議の時でした。民主連合政府の提唱から、実に20年を要したのです。しかし、これでも、国民的合意を得ると言う点で、まだまだ検証すべき課題があるように思います。そのことは後日にします。

 第7回中央委員会総会 (2003年6月21日~ 23日) 第23回党大会議案 日本共産党綱領改定案

日本共産党綱領改定案についての提案報告 /中央委員会議長 不破哲三

国の独立・安全保障・外交の分野での改革

 「国の独立・安全保障・外交の分野」の改革としては、四つの項目をあげています。

 第一項は、日本を従属国家から真の独立国家に転換させることで、その中心は、日米安保条約を条約第十条の手続き(日本政府が廃棄の意思をアメリカ政府に通告する)によって廃棄し、対等・平等の立場にもとづく日米友好条約を結ぶことにあります。現在の従属関係は多面的ですし、条約や協定にも関連するいろいろなものがありますが、要(かなめ)をなすのは、日米安保条約ですから、そのことを中心にすえて国の独立の問題を解決してゆく、という方向です。

 第二項は、主権回復後の日本のあり方として、非同盟・平和・中立の道をすすむこと、その立場で非同盟諸国首脳会議に参加すること、こういう非同盟・中立の方向です。…これらの活動は、将来の非同盟・中立日本の外交路線にとっても、開拓的な意味をもっていると位置づけることができるものだと思います。

 第三項は、自衛隊についての問題です。この問題では、第二十二回党大会で、「自衛隊問題の段階的解決」として、安保条約廃棄前の段階、安保条約を廃棄して軍事同盟からぬけだした段階、国民の合意で憲法九条の完全実施にとりくむ段階と三段階にわたる解決策を明確にしました。このことを、簡潔に要約したうえで、綱領の上で明記したものであります。

八つの柱を中心にした平和外交

 第四項は、新しい日本が展開すべき平和外交の基本方向で、柱となる八つの方向を規定しています。 (1)は過去の侵略戦争や植民地支配の反省を踏まえたアジア外交、(2)は平和の国際秩序を擁護し、それを破壊するいかなる覇権主義の企てにも反対する活動、(3)は核兵器の廃絶、民族自決権の擁護、軍事ブロックの解体などの諸課題の追求、(4)は無差別テロにも報復戦争にも反対する活動方向、(5)は領土問題、(6)は民主的な国際経済秩序をめざす活動、(7)は人道的な諸問題での、非軍事的手段による国際支援の活動、(8)は平和共存の問題です

 最後の平和共存の問題は、これまでは、社会制度の異なる諸国、資本主義諸国と社会主義をめざす諸国のあいだの平和共存の課題としてとりあげてきましたが、今回は、それにくわえて、「異なる価値観をもった諸文明間の対話と共存の関係の確立」を、新たに提起していることが、重要な点です。(引用ここまで

 というように、日米軍事同盟を廃棄した後の日米関係と憲法9条にもとづく平和外交ついて、一定の展望が示されたことの意義は大きいと思います。以下日本共産党綱領全文をご覧ください。

 しかし、それから10年が過ぎたのです。第二の躍進以後の「失われた10年」というべきでしょうか。残念なことです。何故か、それは、共産党の方針転換以前に、すでに同様の提起がなされていたからです。以下ご覧ください。

 日米安保条約秘密合意 2000年10月1日 ..www1.jca.apc.org/iken30/News2/N62/N62-08.htm –

 朝日新聞』八月三〇日付朝刊は、一面のトップに大見出しで「日米安保密約の全容判明」「核寄港は事前協議せず」「朝鮮有事での出撃 ..今回の『朝日』の密約報道に応じた のは共産党の『赤旗新聞』だけで、それ以外の商業紙も朝日系列以外のテレビも、一切触れなかった。 . 日米安保条約の批判的検討を正面から開始し、軍事条約に代わって、この会が主張しつづけてきた「日米平和友好条約」を結び、そして 千葉の高校生は、沖縄の少女暴行事件をきっかけに、学習し、自分たちで条約案を起草していたのです。1996年から97年にかけて、でした。愛国者の邪論は、あの明治期の自由民権運動家たちが、憲法草案を起草していたことを想い出しました。政治が政党のものだけではなく、普通の高校生たちも、このような関係で、政治に参加できるということのすばらしさを、です。以下ご覧ください。

6.23慰霊の日のもう一つの視点、日米軍事同盟第10条を考え独立を考える日!大西照雄氏を受け継ぐ!(2013-06-23 18:46:29)

6.23は沖縄の「慰霊」を考える日だからこそ日米軍事同盟廃棄を考え日本の独立をめざす日としなければ!(2013-06-23 19:18:47 )

日米平和友好条約(案)  1996年1月15日 千葉県高校生平和ゼミナール実行委員会起草

それでは、最後に、70年代の第一の躍進の時代に発表した民主連合政府綱領の一部、憲法問題と安全保障に関する部分、9条と自衛隊に関する部分の一部を掲載しておきます。長谷川氏に、この政府綱領を調査していただくことを希望しておきます。それとも、百の承知ということでしょうか。

「民主連合政府構想についての日本共産党の提案」について(1973年11月14日~11月21日)

六、第三部―民主主義について 1、第一章について

(1)憲法問題

日本軍国主義の敗北の結果、一九四七年五月三日施行された現行日本国憲法は、明治憲法と比較して、はるかに進歩した憲法であることはいうまでもありません。

 この憲法は、第二次大戦における反ファシスト連合国の偉大な勝利にもとづく世界の民主勢力の力と要求を反映して、国民主権や平和主義を明記し、団結権、団体交渉権、集会・結社および言論・出版その他いっさいの表現の自由、すべての国民が健康で文化的な最低限度の生活をいとなむ権利、勤労の権利、地方自治など多くの平和的、民主的条項をふくんでいます。しかし他方では、当時日本を占領していたアメリカ帝国主義が、戦後の「民主化」措置をその対日占領に必要な範囲にかぎろうとしていたこと、および日本の反動勢力の要求を反映して、天皇条項や、民族の独立と主権擁護の保障の欠如その他、反動的なあるいは不徹底な条項をのこしています。

 当時、より徹底した民主主義的憲法の制定をめざして奮闘したわが党が、現行憲法の平和的民主的条項を積極的に評価するとともに、反動的な天皇条項をのこし、反戦平和と主権擁護、民主主義の点で不徹底な面をもつ現行憲法を無上のものとして絶対視する態度をとっていないのは、当然のことです。

 主権在民を真に徴底する立場から、「君主制を廃止し、反動的国家機構を根本的に変革して人民共和国をつくり、名実ともに国会を国の最高機関とする人民の民主主義国家体制を確立する」ことを綱領に明記している党として、わが党が天皇条項を支持できないのはあきらかです。

第二に、主権在民の原則は、今日のことは今日の国民がきめるが、将来のことは将来の国民がきめるという意味をも当然ふくんでいます。日本の国民がその自律的な歩みのなかで、主人公として決定するであろう将来の憲法問題について、今日、公明党が、あらかじめわくをはめようとすることは、きわめて不遜な非歴史的行為であるだけでなく、この主権在民の原則にたいする途方もない攻撃であると評せざるをえません。

 しかしわが党は、当面緊急の問題はこうした将来の憲法問題にあるのではなく、政府、自民党によって憲法違反の既成事実がすすめられ、公然たる憲法改悪の策謀が急速に表面化しているとき、軍国主義復活強化にたいして歯止めの役割をはたしている現行憲法の改悪に反対し、その平和的民主的条項の完全実施を要求する国民の団結と統一をつよめることにあるとみなしています。

 自民党の「憲法改正大綱草案」は、天皇の元首化、自衛隊と日米安保条約の合憲化、公共の福祉を口実とする基本的人権の制限、国会の立法権を制限する内閣の緊急立法権をもりこむなど、日本の平和と民主主義をあやうくする憲法の全面改悪をくわだてています。他方では、憲法の勝手な解釈をどんどんひろげ、自衛の範囲なら陸海軍をもってもいいと主張するなど、憲法の平和的民主的条項の空洞化をおしすすめています。多くの国民の生活にとっては、憲法第二十五条に規定された健康で文化的な最低限度の生活を営む権利は、絵にかいたもちにすぎなくなっているのでありませんか。

 このような反動的攻撃に直面して、将来の憲法問題でたとえ不一致があったとしても、すべての革新勢力が、憲法改悪反対、平和的民主的条狽の完全実施のために団結することが必要であり、それを妨げるなんの障害もありません。

 しかも、わが党は、革新三目標で接近している各党間の憲法問題での一致点を真剣に探求して、民主連合政府の実行すべき政策として、憲法改悪反対、平和的民主的条項の完全実施、政府としての現行憲法の尊重と擁護という三点を提起しました。これは憲法九十九条によって、政府は憲法の順守義務を課せられている点を考慮したものであります。しかし、それはけっして現行憲法の保守主義的な絶対視を意味するものではありません。もともと現行憲法にしても、主権在民の原則からいって当然なように、憲法改正が将来の国民の選択によってなされる可能性を前提としており、その場合の改正手続きを九十六条で定めてさえいるからです。

 われわれは公明党が、将来の憲法問題を共闘の障害とする態度をあらため、共、社、公三党とも政策的には一致あるいは接近しつつある革新三目標を基準として、国政革新をのぞむ国民の熱い期待にこたえた革新統一戦線結成にむかって、勇気ある一歩をふみだすことをのぞみたいと思います。

 党内討議のなかでも、天皇制の存続を認めるのはおかしいという意見がでています。

 現行憲法の天皇条項をわが党が支持していないことはいうまでもありません。同時に提案は、すでにのべた憲法についての三つの態度ですべての革新勢力の一致をはかる観点で、天皇の国政関与を禁止した憲法条項の厳守を政策として提案しました。このことは、自民党政府が、天皇の訪米とニクソソ訪日とを結びつける形で、日米軍事同盟の侵略的強化を促進する手段に天皇をつかおうとしたり、国会開会式で自民党政府の政策を支持する内容の「おことぱ」を発言させるなど、憲法の天皇条項すら逸脱したいっさいの行為をなくし、天皇を利用する政治反動と軍国主義復活の策謀をおさえるうえで一定の意義をもっています。現在わが党の独自の主張である天皇制の廃止には賛成できなくても、天皇の政治的利用に反対することでは、国民の大多数が一致しうるでしょう。政府綱領提案は、天皇の問題についても、このように統一戦線と国民の圧倒的多数が一致できる政策を提起しています。(略)

 四、第一部―安全保障・外交政策について    

2、平和・中立について

 また民主連合政府は、あらゆる軍事同盟を解体し、「社会体制のことなる諸国をもふくむすべての関係諸国が参加して、相互に侵略や干渉を抑制しあい、安全を保障しあう」集団安全保障体制の確立、さしあたりアジア・太平洋地域の地域的な集団安全保障体制の確立をめざして努力します。

 平和・中立の日本は、この集団安全保障体制に参加しますが、そのさい、侵略にたいする軍事的な制裁には参加せず、経済、運輸、外交など、非軍事的制裁に参加します。

 なお、いうまでもないことですが、わが党のいう「軍事的中立」とは、「政治的中立」や「局外中立」のことではなく、いかなる軍事同盟にも参加しないことであって、政府綱領提案にも明記してあるように、「自国の主権と安全をきびしくまもるとともに、諸民族の民族自決を支持し、独立と主権、自由と平和のためにたたかうすべての国および国民と連帯して、アジアと世界の平和、諸民族の独立のために奮闘する」政策をとります。集団安全保障体制が確立されたときも、そのなかで中立国として、積極的役割をはたすものであります。

 これらの国際的保障をかちとることができるならば、それらがきわめて有効な役割をはたすことはあきらかです。日本の中立の侵害は、目際法上確立された地位を公然とふみにじることであり、日本の中立を保障し、平和と民族的自決をまもろうとする諸国全体のつよい抗議と糾弾をうけることとなるからです。

 しかし、国際的保障が有効にははたらく前提は、なによりもまず日本国民自身の、独立・中立をまもりぬく意思と行動にあることはいうまでもありません。それゆえ、第二に政府綱領提案は、「中立日本の安全保障」として、まず政府の「平和政策の積極的推進」と、「独立・中立を擁護する国民の決意と政治的団結の強化」をあげ、ついで「中立日本の国際的保障」をあげてあるのです。

 平和・中立の日本が、中立の侵犯を許さずそれを防止する自衛の権利を行使することは、中立国として当然の義務であります。だからこそわが党は、将来は、独立・中立の日本をまもるための最小限の自衛措置をとるべきことをあきらかにしていますが、現在の日本の憲法は、たとえ自衛のためであっても、国が軍隊をもつことを禁止しています。民主連合政府と日本国民は、さきにあげた三つの手段を主として、他国の干渉や侵略政策に対処しなければなりません。

 ではなぜ民主連合政府は、すぐ憲法第九条を改正して、いまの自衛隊をつかうとか、必要最小限度の自衛措置をとるとかしないのか。それは第一に、憲法改正問題というのは、社会全体の歴史的発展に即して提起されてくる問題であって、第九条の問題だけで憲法改正に手をつけるべきではないからです。第二に、民主連合政府の安全保障上の最大の任務は、現実に日本の安全をおびやかしている日米軍事同盟を解消して平和・串立化を達成すること、アメリカ太平洋軍の一環にくみこまれて、日本軍国主義復活の推進力となっている違憲の自衛隊の増強に正しく対処することであるからです。

 一部の議論が指摘するように、独立した国家が一定の期間軍隊をもたず国の安全保障を確保しようとするのは、それとしてはたしかに一つの矛盾であります。しかしこれは、戦後二十八年間、アメリカ帝国主義の占領と半占領がつづき、なんら自衛軍の名に値しない違憲の従属的軍隊を増強させてきたアメリカ帝国主義と自民党政府が、平和・中立日本と民主連合政府におわせた悪しき遺産であり、かれらに責任のある矛盾にほかなりません。日本国民は、現行憲法の平和・民主条項を完全実施し、日米軍事同盟の解消と対米従属・ 国民弾圧、違憲の自衛隊を解散させるのに必要な歴史的段階を通過することなしには、この矛盾を解決して、真に独立・中立の日本にふさわしい、新しい自衛の措置をとりうるつぎの段階に前進できる国民的な条件をつくりだすことができないのです。

 それでもなおかつ、万一、中立日本の国際的保障をも無視して侵略があった場合はどうするかという問題が提出されてます。仮定の問題ですが、そうしたさい、すべての民族、国家がもっている自衛権にもとづいて、民主連合政府は、日本の中立を保障している諸国民と政治的に連帯し、国民とともに侵略者に断固抵抗するでしょう。

 このような事態は、現行憲法があまり予定しない事態ではありますが、自衛権が、国家が自国の主権または自国民にたいする急迫不正の侵害をとりのぞくためにやむをえず行動する正当防衛の権利であり、主権国家の基本権の一つとしての自衛権が憲法第九条によっても否定されていないことは、すべての憲法学者や国際法学者もみとめているところです。このような急迫不正の侵略にたいして、国民の自発的抵抗はもちろん、政府が国民を結集し、あるいは警察力を動員するなどして、この侵略をうちやぶることも、自衛権の発動として当然であり、それは憲法第九条が放棄した戦争や武力行使でもなく、同条で否認した交戦権の行使や戦力保持ともまったくことなるものです。(引用ここまで

どうでしょうか。今日と比べると、共産党がどのように政策を発展させてきたか、判るのではないでしょうか。憲法の位置づけ、天皇論、自衛隊論、日米安保条約論など、その時代その時代と格闘して、その政策を発展させてきたことを、是非とも検証してほしいものです。

その際に、どの部分が「一言で言えば、共産党は重要政策で自分たちの本音を隠して、国民に耳触りのいい議論をばらまいている」(長谷川氏)のか、具体的に検証をお願いしたいものです。そうすることで、国民的議論が巻き起こるのではないでしょうか。そのことで、国民が政治の主人公・主役となるのではないでしょうか。共産党を困らせるような多角的な質問をこそ、すべきことではないでしょうか。

しかし、それにしても、安倍自公政権の憲法無視の政治が、具体化されてきているのにもかかわらず、この政権を打倒して、新しい政権を樹立しようという動きが起こらない、起こさないのは、大変問題であると思います。本来であるならば、特定秘密保護法案などの上程にあたっては、大ストライキが提起されなければならないのではないでしょうか。或いは大デモンストレーションです。安倍首相を追い詰める国民の動きです。そして、それに替わる政権構想です。これについては、後日記事にしてみます。

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

共産党の憲法論・天皇制論・安全保障論は一貫している!それは主権は国民にあり!敗戦直後の文書から 1

2013-10-26 | 憲法

以下の文章を長谷川幸洋氏(東京・中日新聞論説副)が週刊誌に発表し、不肖愛国者の邪論、生意気にも、それを批判する記事を書いてきました。その理由は、マスコミ界に身をおくジャーナリストが、国民に対して正確な情報を報せていないことに対する愛国者の邪論なりの考えがあったからです。そのことは、マスコミとは何か、何であらねばならないか。愛国者の邪論の基本的スタンスを、ここでも述べたつもりです。

本来であれば、このような資料は、共産党が、その中央委員会付属組織・社会科学研究所としてHPを設置し、公開すべきことでしょう。ネット時代にあって、そうした活動があれば、共産党に対する様々な考えが払拭できるのではないかと思うところです。現在の共産党のHPには、その資料の「引き出し」が不十分と思いますので、改善を求めたいと思います。ま、視ているかどうか、判りませんが…。 

そこで、最後に、長谷川氏の最後の部分について、戦後共産党の原点を紹介することで、共産党のスタンスを紹介しておくことにしました。こういうこと書いたからと言って愛国者の邪論が、共産党の全てについて、賛成しているか、というと、必ずしも賛成してはいないことは、この間の記事で明らかにしてきましたので、再度ご確認いただければと思います。それもこれも、主権は個人にあり!民主主義の鉄則に基づくからです。その事を確認しながら、以下掲載しておきます。

護憲で知られる日本共産党 1946年当時は憲法9条に反対した 2013年10月24日(木)7時0分配信 NEWSポストセブン

http://news.nifty.com/cs/domestic/societydetail/postseven-20131024-223497/1.htm

…共産党が本音でどう思っているかといえば、実は自衛隊は最終的にいらず、象徴天皇制もいらないと思っている。それは討論で確認した。それなら、少なくとも天皇制については、絶対に護憲ではない。だいたい第9条だって、もともと共産党は反対だった。1946年当時、リーダーの1人だった野坂参三衆院議員は「自衛権を放棄すれば民族の自立を危うくする」といって9条に反対しているのだ。私がそこを指摘すると、小池は「当時の吉田茂首相が『9条には自衛権がない』と言ったからだ。後で自民党政権は『自衛権はある』と認めたから、いまの憲法でいい」という理屈を展開した。そんなことを言ったら、共産党が憲法に反対したり賛成したりするのは、政府の憲法解釈次第という話になってしまうではないか。独立した政党の主張がそれでいいのか。一言で言えば、共産党は重要政策で自分たちの本音を隠して、国民に耳触りのいい議論をばらまいている。経済政策ですっきり自分たちの主張を唱えているように、安保防衛・外交政策でも正々堂々、自分たちの本音で勝負してもらいたい。(引用ここまで

 以上の長谷川氏の指摘を読むにつけ、思うことは、共産党に対する不理解というか、不信感があるように思います。何故、このような不信感が生じるのでしょうか。勿論、一般的には、不理解や不信感があってもいい訳です。問題は、繰り返しますが、ジャーナリストとして、ということです。

 この不理解・不信感は、この文章だけでは判りませんが、それにしても、共産党のことをどれだけ調べて文章をまとめたのか、番組の中での会話から判断したようでもあります。しかし、文章にする以上、それまでの共産党に対する長谷川氏の印象と小池氏などの発言と具体的な資料を踏まえて文章にすべきでしょう。何故かと言えば、この文章が独り歩きしていくからです。このことはジャーナリストとして、どうでしょうか。ここが問題と思うのです。

 ところで、愛国者の邪論に言わせれば、「本音を隠して、国民に耳障りのいい」ことを言っているのは、安倍首相ではないでしょうか。このことは、この間、たくさん記事にしてきました。長谷川氏は、「政府の規制改革会議委員」を勤めているとありました。長谷川氏は規制改革会議においても、週刊誌で展開しているような共産党論、共産党印象論のような手法で発言しているのでしょうか。そうではないと思います。具体的な資料に基づいて発言もしていることでしょう。そうでなければ、とても委員には選出されないでしょう。

 ま、近著に『政府はこうして国民を騙す』(講談社)もあるようです。共産党も自民党もどっちもどっちということでしょうか。ま、どのような考え方をお持ちか、今度、近著を読んでみることにします。

 それでは、まず憲法論・天皇論・安全保障論がまとめられている歴史的文書を紹介します。ここが出発点です。戦前のものは、省きます、というか、ありません。これこそ、共産党にお願いしたいと思います。

 ところで、以下の文章を読んで思うのは、主権が国民、人民にあると言うことです。ここから全てが組み立てられているように思います。戦前の主権者は、天皇でした。国民は臣民でした。8月15日を境に逆転したのです。正確には、国体護持かどうか、支配層内部と連合国の間で鋭く問われている中で発表されたのです。また、いわゆる「政治犯」が10月10日に釈放されて一ヶ月で、どの政党よりも早く新憲法の骨子を発表するのです。このことの意味と、拘束していたのは誰か、などを含めて、拘束されていたことの意味をどのように国民が考えるか、です。

 次の憲法草案の前文と日本国憲法の前文を比べると、共産党の憲法草案の言葉との共通性があることに気づきます。また当時他の団体や政党がどのような憲法草案を提出していたか、そのことを踏まえると、この憲法草案の持つ意味が浮き彫りになってきます。特に廃墟のなかで、武装解除がなされている中で、天皇の人間宣言がなされている中での第一章の位置づけです。特に第5条と、その後の憲法第9条の関連に注目です。

1 日本共産党の新憲法の骨子(一九四五年十一月十日決定)

一、主権は人民にある。

二、民主議会は主権を管理する。民主議会は十八才以上の男女の選挙権、被選挙権の基礎に立つ。

 民主議会は政府を構成する人々を選挙する。   

三、政府は民主議会に責任を負ぶ。議会の決定を遂行しないか、又は其の遂行が不充分であるか、

 或は曲げた場合、其他不正の行為あるものに対しては即時やめさせる。

四、民主議会の議員は人民に責任を負ふ。選挙者に対して報告をなさず其他不誠実、不正の行為ありたる者は即時やめさせる。

五、人民は政治的、経済的、社会的に自由であり、且つ議会及び政府を監視し批判する自由を確保する。

六、人民の生活権、労働権、教育される権利を具体的設備を以て保障す。

七、階級的並に民族的差別の根本的撤廃。

            〈「赤旗」 一九四五年十一月二十二日付〉

 

2.新憲法草案の発表に際して一九四六年六月二十九日  日本共産党中央委貝会憲法委貝会

一、わが党はここに新憲法草案を発表し全人民大衆の広汎な討議にゆだねる。わが党の望むところは、大衆的な民主主義的討議によって民主主義日本建設の指標としての新憲法草案を完成し、人民の手による真の民主憲法のために全人民とともに奮闘することである。

ニ、天皇制政府の無条件降伏によるポツダム宣言の受諾によって、日本人民は思想と言論の自由および自由に表明された意思によって自己の政体を決定する権利を保証された。わが党は公然と活動をはじめて以来、人民を奴隷的圧制のもとに呻吟させた根源は、天皇制・寄生的大土地所有制・労働者の植民地的搾取にあることを立証して、欽定憲法の露骨な反動性と政府の天皇制憲法案の非民主性を指摘した。わが党の草案は断じて主権在君憲法案または似而非主権在民憲法ではなく、真の人民の民主的憲法として人民共和政体を内容としている。人民の権利も客観的に可能な範囲内でできるだけ具体的に保証することに留意した。

三、わが党は行動綱領および本憲法草案の示すように、一切の封建的、特権的身分制度に反対し、この廃止を目標の一つとしている。従って特権的身分制度としての皇室は当然廃止さるべきであるが、人民共和政府が実現し人民大衆の民主的教育が徹底したのち、この問題を人民投票に問うて決定する方針であることはわが党がかねて声明したとおりである。

四、本憲法草案は政治、経済における封建的遺制の撤廃にもとづく民主主義革命の実現を内容としている。社会主義社会を通じての共産主義社会においてこそ一切の搾取制度が根絶され、能力に応じて働き、必要に応じて分配され、人類最高の目標が到達されるものであるが、それは民主主義の徹底を通じてのみ実現されるものである。原則として憲法とは単なる綱領ではなく到達された社会的、政治的発展の法制化である。しかしブルジョア民主主義革命の端緒にたつ当面の日本では目前の現実の法制化ではなんらの進歩的意義ももちえず、かえって民主主義の徹底を阻害する。少くともブルジョア民主主義革命の実現を内容とするものこそ民主主義憲法といいうる最小限度のものである。その意味で本案はわが党の最小限憲法綱領の具体化である。さらにそれは現実にブルジョア民主主義革命の課題が達成された後には、現実の具体的条件と到達した民主主義的諸成果を基礎として、さらによりよき完成を期待しうるであろう。

〈「アカハタ」 一九四六年七月八日付。『前衛』 一九四六年七月一日号(第八号)〉

3.日本共産党憲法草案(一九四六年六月二十八日決定)

    前  文

 天皇制支配体制によってもたらされたものは、無謀な帝国主義侵略戦争、人類の生命と財産の大規模な破壊、人民大衆の悲惨にみちた窮乏と飢餓とであった。

 この天皇制は欽定憲法によって法制化されていたように、天皇が絶対権力を握り人民の権利を徹底的に剥奪した。それは特権身分である天皇を頂点として、軍閥と官僚によって武装され、資本家地主のための搾取と抑圧の体制として勤労人民に君臨し、政治的には奴隷的無権利状態を、経済的には植民地的に低い生活水準を、文化的には蒙昧と偏見、迷信と盲従とを強制し、無限の苦痛をあたえてきた。これに反対する人民の声は、死と牢獄とをもって威嚇され、弾圧された。この専制的政治制度は日本民族の自由と福祉とに決定的に相反する。同時にそれは近隣植民地・半植民地諸国の解放にたいする最大の障害であった。

 われらは苦難の現実を通じて、このような汚辱と苦痛にみちた専制政治を廃棄し、人民に主権をおく民主主義的制度を建設することが急務であると確信する。この方向こそかつて天皇制の下にひとしく呻吟してきた日本の人民と近隣諸国の人民との相互の自由と繁栄にもとづく友愛を決定的に強めるものである。

 ここにわれらは、人民の間から選ばれた代表を通じて、人民のための政治が行われるところの人民共和政体の採択を宣言し、この憲法を決定するものである。天皇制はそれがどんな形をとろうとも、人民の民主主義体制とは絶対に相容れない。天皇制の廃止、寄生地主的土地所有制の廃絶と財閥的独占資本の解体、基本的人権の確立、人民の政治的自由の保障と人民の経済的福祉の擁護―これらに基調をおく本憲法こそ、日本人民の民主主義的発展と幸福の真の保障となるものである。

日本人民の圧倒的多数をしめる勤労人民大衆を基盤とするこの人民的民主主義体制だけが帝国主義者のくわだてる専制抑圧政治の復活と侵略戦争への野望とを防止し、人民の窮極的解放への道を確実にする。それは人民の民主的祖国としての日本の独立を完成させ、われらの国は国際社会に名誉ある当然の位置を占めるであろう。日本人民はこの憲法に導かれつつ、政治的恐怖と経済的窮乏と文化的貧困からの完全な解放をめざし、全世界の民主主義的な平和愛好国家との恒久の親睦をかため、世界の平和、人類の無限の向上のために、高邁な正義と人道を守りぬくことを誓うものである。

    第一章 日本人民共和国

第一条 日本国は人民共和制国家である。

第二条 日本人民共和国の主権は人民にある。主権は憲法に則って行使される。

第三条 日本人民共和国の政治は人民の自由な意思にもとづいて選出される議会を基礎として運営される。

第四条 日本人民共和国の経済は封建的寄生的土地所有制の廃止、財閥的独占資本の解体、重要企業ならびに金融機関の人民共和政府による民主主義的規制にもとづき、人民生活の安定と向上とを目的として運営される。

第五条 日本人民共和国はすべての平和愛好諸国と緊密に協力し、民主主義的国際平和機構に参加し、どんな侵略戦争をも支持せず、またこれに参加しない。

第二章 人民の基本的権利と義務(略)

第三章 国会(略)

第四章 政府(略)

第五章 国家財政(略)

第六章 地方制度(略)

第七章 司法(略)

第八章 公務員(略)

第九章 憲法改正(略) 

4.日本共産党の憲法修正案の要点

〔編者注〕一九四六年七月二十五日、憲法改正案委員小委員会に提出された修正案の要点。

▽前文 「主権在民」を明記

▽第一章 天皇 全文削除

▽第二章 戦争の拠棄 「他国征服の戦争に反対する」及び「他国間の戦争に絶対に参加しない」むねを明記

▽第三章 国民の権利及び義務 「国民の自由と権利は物質的に保障される」むねを明記する、すなはち(イ)集会、結社、言論、出版の自由(ロ)資力なき青年が高等教育を受ける権利(ハ)勤労の権利と失業者が保護を受ける権利(ニ)休息の権利(ホ)勤労婦人の特殊保護(へ)寡婦の保護(ト)老年、疾病者、労働災害者の保護(チ)住宅の保障等を明記私有財産の補償規定については「公共の必要あるときは補償しないこともある」ことを明記、耕作権の保障、陪審制、冤罪者にたいする補償も明記

▽第四章 国会 参議院の規定を削除し一院制とする、また比例代表制をとり、人民の罷免権を規定する

▽第十一章 補則第九十七条の生存中の華族貴族を認める規定を削除

▽第百条に「国務大臣、衆議院議員、裁判官その他の公務員はこの憲法執行のためその地位を失ふ」ことを規定する

      〈「アカハタ」 一九四六年八月二十七日付〉

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

長谷川幸洋氏―東京・中日新聞論説副主幹はジャーナリストとして共産党の憲法論の再学習を!報せる責任!

2013-10-25 | 日記

長谷川氏の文書は前回に紹介しました。ここで再度検証してみたいと思います。

まず第一に

日本共産党が注目を集めている。志位和夫委員長はテレビのインタビュー番組に引っ張りだこだし、政治討論番組は共産党抜きに番組が成立しないくらいの勢いだ。(引用ここまで)

 

長谷川氏の観想的論評のきっかけの一つが、「引っ張りうだこ」「成立しないくらいの勢いだ」という言葉に象徴的であるように思いました。

 

第二に、

 私も出演した先日の「たかじんのそこまで言って委員会」は「共産党大会スペシャル」と題して、同党の国会議員など8人をゲストに激論を交わした(10月6日放送)。共産党をどうみるか。

まず、評価してもいい部分から言おう。

彼らは公正な所得再配分重視の姿勢で徹底している。私は「所得再配分には経済成長が前提になる」と思うから意見は違うが、それはそれでいい。共産党は「所得再配分をしっかり」と望む声を代弁していて、そこには正統な存在理由がある。引用ここまで

読売テレビ 異例の共産党特集/政策めぐり激論2013年10月7日

 

意見は違っても良いことは当然ですが、事実はどうか、そこが問題です。以下のことを参考にしていただければと思います。大企業が儲かっても、国民の懐が温かくなったという話はありません。或いは、労働者・国民の長時間過密労働とその報酬、大企業の儲けの割合はどうでしょうか。そのことに目を向けていただければ、いわゆる国民の目線が見えてくるのではないでしょうか。

第6回中央委員会総会/志位委員長の幹部会報告 - 日本共産党中央委員会  2013年2月11日

 ... 働く人の所得が減り続け、経済成長が止まった」――この点で日本は、文字通りの「例外国家」といわなければなりません。 .... 安倍晋三氏も歴代自民党政権の担い手の一人として、危機に直接の責任を負っています。 .... の拡大や賃金の上昇をもたらす好循環を生み出す」などという旧態依然とした「トリクル·ダウン」理論(おこぼれ理論)で 言い訳をしています。(引用ここまで)

 

党紹介(第24回党大会期)|日本共産党 - 日本共産党中央委員会

安倍内閣は、「成長戦略」、最近では「成長底上げ戦略」といいかえたようですが、そう 称して「大企業さえ成長すれば、いずれは家計におこぼれがまわる」という、すでに 破たんが証明ずみの大企業中心主義の政策に固執しています。(引用ここまで

 

内部留保 トヨタで生きる 2013年9月26日

日本共産党 JCP酒田: アベノミクスQ&A 2013年6月20日

愛国者の邪論の記事もご覧ください。

 毎日 今沢真氏の不勉強と曇った「社説:視点」に大喝!共産党の大企業政策を具体的に議論しないのは何故か!(2013-07-14 10:34:01 )

消費税増税を煽る全国紙が絶対にメスを入れない内部留保!共産党だけではないぞ!目を開けろ!その2(2013-08-13 19:29:58)
消費税増税を煽る全国紙が絶対にメスを入れない内部留保!これでは財政危機の荒療治はできません!その1(2013-08-13 19:25:33 )

 

第三は、以下の部分です。

これに対して、ダメな部分は外交と憲法についてだ。自己矛盾や見え透いた言い逃れがあって、話が首尾一貫しないのである。たとえば、中国や北朝鮮の脅威にどう対応するか。小池晃副委員長は「軍事力に依存しない外交力」という。残念ながら、外交力の背景には軍事力があるのが現実だ。引用ここまで 

あまりに「一般的な意見」です。ジャーナリストであるならば、また「論説副主幹」という立場の人であるならば、このような世間的な風潮的見解はやめたらどうでしょうか。もう少し思慮が必要ではないでしょうか。この問題で言えば、今回のシリアへの軍事介入回避の最大の要因は、軍事力の否定でした。国際法に違反したイラク戦争を経験した国際社会の、非軍事的手段による解決を求める世論でした。以下ご覧ください。

 

シリア軍事介入反対64%に増/国際法上の正当性に懸念/フランス世論調査 2013年9月2日

主張/安保理シリア決議/軍事介入封じ政治解決でこそ 2013年9月29日

シリア軍事攻撃回避/国際世論発展が背景に [2013.9.16]

志位委員長、シリア代理大使と会談/化学兵器廃棄、内戦の政治解決を提起 [2013.9.12]

 

次です。「脅威」論に対して何を対峙していくか、そうです。憲法平和主義です。紛争の解決は非軍事・平和的手段を使うことです。「威嚇」は永久に放棄するのです。

 

北朝鮮が核ミサイルで威嚇し、中国が尖閣諸島を脅かしているとき、日米同盟を否定し自衛隊もなくて、話し合いで尖閣を守れるか。そう言うと、小池は「いま自衛隊をなくせとは言っていない。将来の話だ」と反論する。彼らは自衛隊は憲法違反という立場なのだから、護憲を唱えるなら「自衛隊をなくせ」になるはずなのに「現実問題として、すぐなくせない」という。その場しのぎのご都合主義なのだ。引用ここまで

 

長谷川氏のようなジャーナリストが言うべき内容でしょうか。あまりに機械的論法を使った「ためにする」主張と言わなければなりません。これも「一般的世論」の代弁と言えます。こうした「一般的世論」が形勢されてきたのは、日本のマスコミの思考停止報道に大きな原因があるのではないでしょうか。

 

もし長谷川氏が、本当に、このような論法に確信をもっているとしたら、一つには、情報収集不足と言わなければなりません。二つには、憲法の平和主義に対する無知と言わなければなりません。三つには、もし判って言っているとしたら、それは確信犯と言えます。

なぜ、このようなことを言うか、それは、今日の記事のなかでも紹介していることですが、以下をご覧ください。

日米安保条約をなくしたらどういう展望が開かれるか 全国革新懇総会 志位委員長の記念講演2012年05月12日

尖閣問題 いま必要なことは 日本共産党の見解と論戦から2012年08月18日

野党外交のチャンスを逃すと都議選と参議選躍進は厳しい共産党 機敏な ... 2013年5月21日

更に言えば、すでに10年以上も前に、共産党の外交政策・安全保障政策は、あらゆるところで紹介されているのです。まず、この政策を読んでいるかどうか、そのことが試されているのです。これらを読めば、「自己矛盾や見え透いた言い逃れがあって、話が首尾一貫しない」「その場しのぎのご都合主義」などということになるか、です。長谷川氏は、以下の政策について、具体的に質問するなり、応えるべきです。井戸端会議的な話では、国民に謝った見解と印象を流すことになりませんか。

日本共産党第22回大会決議2000年11月20日~24日

第22回党大会にたいする中央委員会報告──書記局長・志位和夫

軍事同盟中心から平和・中立の日本へ──安保・外交政策の転換

安保・外交問題──日朝関係、安保廃棄の課題の重大性などについて

憲法九条と自衛隊の問題について──討論をふまえて

…それでは、憲法九条と自衛隊の現実との矛盾をどう解決するか。わが党は、改憲派がとなえるような自衛隊の現実にあわせて九条をとりはらうという方向での「解決」ではなく、世界史的にも先駆的意義をもつ九条の完全実施にむけて、憲法違反の現実を改革していくことこそ、政治の責任であると考える。この矛盾を解消することは、一足飛びにはできない。憲法九条の完全実施への接近を、国民の合意を尊重しながら、段階的にすすめることが必要である。

──第一段階は、日米安保条約廃棄前の段階である。ここでは、戦争法の発動や海外派兵の拡大など、九条のこれ以上の蹂躙を許さないことが、熱い焦点である。また世界でも軍縮の流れが当たり前になっている時代に、軍拡に終止符をうって軍縮に転じることも急務となっている。

──第二段階は、日米安保条約が廃棄され、日本が日米軍事同盟からぬけだした段階である。安保廃棄についての国民的合意が達成されることと、自衛隊解消の国民的合意とはおのずから別個の問題であり、自衛隊解消の国民的合意の成熟は、民主的政権のもとでの国民の体験をつうじて、形成されていくというのが、わが党の展望である。この段階では、自衛隊の民主的改革──米軍との従属的な関係の解消、公務員としての政治的中立性の徹底、大幅軍縮などが課題になる。

──第三段階は、国民の合意で、憲法九条の完全実施──自衛隊解消にとりくむ段階である。独立・中立の日本は、非同盟・中立の流れに参加し、世界やアジアの国々と、対等・平等・互恵の友好関係をきずき、日本の中立の地位の国際的な保障の確立に努力する。また憲法の平和原則にたった道理ある平和外交で、世界とアジアに貢献する。この努力ともあいまって、アジアの平和的安定の情勢が成熟すること、それを背景にして憲法九条の完全実施についての国民的合意が成熟することを見定めながら、自衛隊解消にむかっての本格的な措置にとりくむ。

 独立・中立を宣言した日本が、諸外国とほんとうの友好関係をむすび、道理ある外交によって世界平和に貢献するならば、わが国が常備軍によらず安全を確保することが、二十一世紀には可能になるというのが、わが党の展望であり、目標である。

 自衛隊問題の段階的解決というこの方針は、憲法九条の完全実施への接近の過程では、自衛隊が憲法違反の存在であるという認識には変わりがないが、これが一定の期間存在することはさけられないという立場にたつことである。これは一定の期間、憲法と自衛隊との矛盾がつづくということだが、この矛盾は、われわれに責任があるのではなく、先行する政権から引き継ぐ、さけがたい矛盾である。憲法と自衛隊との矛盾を引き継ぎながら、それを憲法九条の完全実施の方向で解消することをめざすのが、民主連合政府に参加するわが党の立場である。

 そうした過渡的な時期に、急迫不正の主権侵害、大規模災害など、必要にせまられた場合には、存在している自衛隊を国民の安全のために活用する。国民の生活と生存、基本的人権、国の主権と独立など、憲法が立脚している原理を守るために、可能なあらゆる手段を用いることは、政治の当然の責務である。(引用ここまで

 

どうでしょうか。批判は、具体的であるべきです。愛国者の邪論は、以下の記事を書いています。ご覧ください。

戦争放棄条約締結に積極的発信をしない憲法9条を戴く日本のマスコミの知的退廃の根源に何があるか(2013-10-15 17:29:42 )
赤旗はマスコミのふりまくデマイデオロギーと対峙せず!ネットに戦争放棄条約記事を配信せず!大渇!(2013-10-14 10:11:23 )

 

長谷川氏の所属する東京・中日新聞の社説で紹介した田中正造は、実は軍備全廃論者でした。そこで「外交力の背景には軍事力があるのが現実だ」論の誤りを検証してみます。それは核兵器「抑止力」論を前提にしています。これでは、長谷川氏の強調する中国や北朝鮮の「脅威」を認めることになってしまいます。以下ご覧ください。

 

東京社説 田中正造、百年の問い/足尾鉱毒と福島原発 2013/9/2 8:00

田中正造翁の100回忌法要に際して思うこと: 熊倉テルオと受験法律研究会  2012年9月14日

憲法メディアフォーラム - 田中正造の思想を現代に生かす 2013年9月24日

東京社説 核不使用声明/廃絶を目指す一歩に 2013/10/24 8:00

核兵器不使用声明/「核抑止力」論は相いれない 2013年10月24日(木) 

最後は天皇制と憲法9条の関係です。これも、今日の記事で紹介していますので、ダブらない点を強調しておきます。それにしても、捉え方が、あまりに機械的すぎます。これも、共産党の見解を知っていて言っているのか、全く知らないのか、ジャーナリストとして恥ずかしいと思います。

 

天皇についても同様だ。彼らは「1人の人間や家族が象徴になるのはおかしい」と言う。象徴天皇制反対である。実際、天皇が出席する国会開会式には欠席している。それなら憲法改正を唱えるべきなのに、けっしてそうは言わない。(引用ここまで)

 

ブログ旗旗 » » 天皇の「公的行為」に関する憲法論ノート - 旗旗 - 草加耕助 2009年12月29日

 

以下の発言についても、綱領や大会決定で、明らかにしています。特に、別項に掲載する民主連合政府綱領で、すでに明らかにしているのです。長谷川氏は、ここでも不勉強ぶりを露呈してしまいました。このような、いわばジャーナリストとしての「無知」がなぜ起こるか、その事を反省すべきではないでしょうか。それとも意図的に発信しているのでしょうか。

国民は政党を選べない」というのも、日本の選挙制度が小選挙区制だと錯覚しているのでしょうか。小選挙区であっても、個人の背後に政党があるのは常識中の常識でしょう。小選挙区制度が政権交代可能な制度を煽ってきたのは、他ならぬマスコミでした。その弊害については、ここでは論じませんが、長谷川氏には、現行選挙制度の、民主主義に反する側面は見えないようです。「一見もっともらしいから、ついだまされてしまう」という表現ですが、共産党が国民をだまして議席増を謀っているとでも言いたいのでしょうか。そうであるならば、「一見もっともらしい」ことを言っているという共産党のことを、もっと報道すればいいのです。国民はだまされないと思いますよ。

 

天皇をどうするかは「将来の国民の議論に委ねる」などという。私は、この「国民の議論に」という論法が最大のごまかしであると思う。政党なんだから「自分たちはこう考える」と主張するのが筋ではないか。判断を国民に投げられたら、国民は選挙で政党を選べない。それでも一見もっともらしいから、ついだまされてしまう。共産党が本音でどう思っているかといえば、実は自衛隊は最終的にいらず、象徴天皇制もいらないと思っている。それは討論で確認した。それなら、少なくとも天皇制については、絶対に護憲ではない。(引用ここまで)

 

以下の見解についても、今日の記事で紹介しておきました。実に面白い展開です。憲法制定議会で、現行憲法に共産党は反対し、自民党の先輩政党は賛成した。ところが、時代とともに、逆転したのです。このことをもっと掘り下げるのが、ジャーナリストである長谷川氏たちの責任でしょう。 

だいたい第9条だって、もともと共産党は反対だった。1946年当時、リーダーの1人だった野坂参三衆院議員は「自衛権を放棄すれば民族の自立を危うくする」といって9条に反対しているのだ。私がそこを指摘すると、小池は「当時の吉田茂首相が『9条には自衛権がない』と言ったからだ。後で自民党政権は『自衛権はある』と認めたから、いまの憲法でいい」という理屈を展開した。引用ここまで

 

これもあまりに不勉強ですし、機械的です。反対したのは、天皇主権を象徴天皇制として遺したこと、憲法9条が自衛権を否定したことだったことは、今日の記事に紹介しておきました。これなども、公然と、国会でも発言していることです。それを報道したでしょうか?その後アメリカも日本も国家の自衛権を承認し、しかも日米軍事同盟にもとづく米軍駐留と自衛隊の認知のために憲法9条を変えていこうとする事態が50年代に起こります。憲法の平和主義と民主的制度の擁護のために、共産党は憲法改悪に反対していきます。これは、共産党が現行憲法制定の前に発表した憲法草案をみれば、その立ち居地が判るはずです。

 

同時に現行憲法制定時の最大の関心が憲法第9条ではなく、主権が天皇にあるか、国民にあるか、そのことが最大の関心だったことを、長谷川氏は、確認すべきです。また、これまで明らかにしてきたように、共産党は、「安保防衛・外交政策でも正々堂々、自分たちの本音で勝負」していることを、再確認すべきです。資料は山ほどあるのです。

 

そんなことを言ったら、共産党が憲法に反対したり賛成したりするのは、政府の憲法解釈次第という話になってしまうではないか。独立した政党の主張がそれでいいのか。一言で言えば、共産党は重要政策で自分たちの本音を隠して、国民に耳触りのいい議論をばらまいている。経済政策ですっきり自分たちの主張を唱えているように、安保防衛・外交政策でも正々堂々、自分たちの本音で勝負してもらいたい。文中敬称略

 

では、現行憲法の制定を急いだ日本の保守層の思惑は、「皇室の御安泰」「危機一髪」を回避することだったのです。憲法9条は、そのための、ある意味交換トレードのようなものだったのです。そうした点からすれば、安倍首相の「押し付けられた」論は「正解」でしょう。9条は天皇の戦争責任、「戦争犯罪人の処罰」をくいとめるための防波堤のようなものだったのです。以下ご覧ください。杉原泰雄『平和憲法』(岩波新書1987刊)

杉原 泰雄 枢密院における幣原首相の憲法草案説明要旨 1946年3月20 | 日本国 ...

 1946年(昭和21)年3月20日、幣原首相は、枢密院で以下のような説明をしているが、そこには権力担当者の当時における考え方の一部がよくわかる。

 「尚、申添えたきは2月末頃からの国際状勢である……極東委員会……の第1回の会議は2月26日ワシントンに開催され其の際日本憲法改正問題に関する論議があり、日本皇室を護持せんとするマ司令官の方針に対し容喙の形成が見えたのではないかと想像せられる。マ司令官は之に先んじて既成の事実を作り上げんが為に急に憲法草案の発表を急ぐことになったものの如く、マ司令官は極めて秘密裡に此の草案の取纏めが進行し全く外部に洩れることなく成果を発表し得うるに至ったことを非常に喜んで居る旨を聞いた。此の状勢を考えると今日此の如き草案が成立を見たことは日本の為めに誠に喜ぶべきことで、若し時期を失した場合には我が皇室の御安泰の上からも極めて憚るべきものがあったように思われ危機一髪ともいうべきものであったと思うのである。(引用ここまで

 

つづく

コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

長谷川幸洋氏(東京・中日新聞論説副)の不勉強さが明らかになった週刊ポスト印象操作記事の意味を考える!

2013-10-25 | 日記

予想どおり!都議選と参議院選挙の結果を受けて、始まった臨時国会における共産党の活躍が席巻しないようなことを願う記事が書かれました。一つは、以下の記事です。

 

護憲で知られる日本共産党 1946年当時は憲法9条に反対した 2013年10月24日(木)7時0分配信 NEWSポストセブン

http://news.nifty.com/cs/domestic/societydetail/postseven-20131024-223497/1.htm

この種の記事は、使い古されたもので、筆者の不勉強ぶりを晒すだけでしょう。何故ならば、共産党は、公然と文書で発表しているからです。むしろ、共産党の主張を記事にしないマスコミの側に問題があるというものです。共産党の記事は、赤旗を読まない限りは判らない。マスコミは徹底して、共産党の主張を黙殺するか、ねじまげて報道するか、ソ連共産党や中国共産党、朝鮮労働党の蛮行・人権と民主主義弾圧記事は垂れ流すことで、同じ名前をもつ日本共産党のイメージダウンを狙っていて、その手口は、今のところ成功しているのです。

 

例をあげれば、大企業の内部留保問題です。もう一つは原発ゼロ問題です。このことに関する共産党の主張をどれだけ報道しているでしょうか。これは、共産党の「自力」によってのみ世間に知らされているのです。自らのメディアを持たない他党とは決定的に違うところです。このことは政党交付金を拒否していることと無関係ではありません。

 

二つ目は、以下の大島町の町長の災害対応と行動について、です。

伊豆大島 土石流の教訓(上)】「人災だ」-災害慣れした島で、なぜ行政の不作為は起きたのか2013.10.23 10:07 (1/3ページ)天気・気象

http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/131023/dst13102310210003-n1.htm

毎日社説:伊豆大島の災害 命を守る策尽くしたか  2013年10月17日 02時35分http://mainichi.jp/opinion/news/20131017k0000m070141000c.html

次の『週刊新潮』(10月31日号)の広告が朝日新聞に掲載されたのは10月24日(木)でした。以下、見出しを掲載しておきます。

「大土石流」死亡不明46名悲劇は人災か 「赤旗」が書かなかった町長の不作為

出張先で酔っていた 伊豆大島「共産党町長」

気象庁の土砂災害警報に警視庁からの避難勧告要請。にもかかわらず、なぜ避難指示は出なかったのか。不要不急の出張先で共産党町長は島民の危険を忘れ、4時間の宴会に興じていた。

 そこで、ネットで検索してみました。以下ご覧ください。

【 伊豆大島共産党の川島理史町長台風26号接近中に女性のいる店で ...

大島共産党町長」進退浮上 台風接近中に女性のいる店で飲酒、町民 ...

【伊豆大島】町長、台風接近の夜に2次会まで飲酒 週刊誌報道認める2013.10.24 23:57 地方行政

出張先で酔っていた伊豆大島「共産党町長」-大土石流の悲劇は人災か 台風26号、東京都大島町・川島理史町長、土石流被害 週刊新潮(2013/10/31), 頁:22

 この問題については、今後検証してみたいと思います。当初は、町長の不手際を、降雨と避難勧告などを時間系列で検証するテレビを視ていて、そのとおりだと思いました。何をやっているんだ、この町長は、と。そこで想い出しました。安倍首相のフクシマ汚染水と関西の水害被害の際の対応について。大島町は、あれだけの人が亡くなっていますので、当然ですが、安倍首相の時と比べると、どうもアンフェアーだな、と思ったのでした。

安倍政権の特別警報後の対応は遅くないか、しかも徹底は?災害の脅威を抑止する政権の安全保障政策は×!?
(2013-09-17 17:17:39 )

こんな首相に国民の生命と安全を任せておくことはできない!災害に疎い安倍首相はどんな行動をしたか!
(2013-09-16 22:44:19 )

そうしたら、やはり、感想が違ってきました。それは、大島町の町長と副町長が、出張したのは何のためか、大島町の公務員の多忙化の問題、あの嵐の中で放送が島民に聞こえたかどうか、あの時間帯に高齢者を戸外に避難させることにどのような危険が伴うのか、など検証されないまま、避難勧告に従わなかったことだけが取り立たされているように思いました。専門家というか、コメンテーターの見解も単純ではありません。それだけ難しい判断だったように思います。

 

しかし、これが『週刊新潮』記事によって摩り替わってしまったと思うようになりました。「女性のいる店」「出張先で酔っていた」という言葉は非常に意図的です。この記事が、ネット上に、また週刊誌の広告が電車内に掲示されることで、どれだけの人の目に触れるのか、まさに印象操作の狙いが見えてきます。これが日本的ナチスの手口ということです。

 

目下のところ情報不足ですので、今日のところはこれくらいにしておきます。

 

さて、もう一つの「護憲で知られる日本共産党 1946年当時は憲法9条に反対した」問題です。以下に掲載しておきます。

 

これに対して、ダメな部分は外交と憲法についてだ。自己矛盾や見え透いた言い逃れがあって、話が首尾一貫しないのである。たとえば、中国や北朝鮮の脅威にどう対応するか。小池晃副委員長は「軍事力に依存しない外交力」という。残念ながら、外交力の背景には軍事力があるのが現実だ。北朝鮮が核ミサイルで威嚇し、中国が尖閣諸島を脅かしているとき、日米同盟を否定し自衛隊もなくて、話し合いで尖閣を守れるか。そう言うと、小池は「いま自衛隊をなくせとは言っていない。将来の話だ」と反論する。彼らは自衛隊は憲法違反という立場なのだから、護憲を唱えるなら「自衛隊をなくせ」になるはずなのに「現実問題として、すぐなくせない」という。その場しのぎのご都合主義なのだ。天皇についても同様だ。彼らは「1人の人間や家族が象徴になるのはおかしい」と言う。象徴天皇制反対である。実際、天皇が出席する国会開会式には欠席している。それなら憲法改正を唱えるべきなのに、けっしてそうは言わない。天皇をどうするかは「将来の国民の議論に委ねる」などという。私は、この「国民の議論に」という論法が最大のごまかしであると思う。政党なんだから「自分たちはこう考える」と主張するのが筋ではないか。判断を国民に投げられたら、国民は選挙で政党を選べない。それでも一見もっともらしいから、ついだまされてしまう。共産党が本音でどう思っているかといえば、実は自衛隊は最終的にいらず、象徴天皇制もいらないと思っている。それは討論で確認した。それなら、少なくとも天皇制については、絶対に護憲ではない。だいたい第9条だって、もともと共産党は反対だった。1946年当時、リーダーの1人だった野坂参三衆院議員は「自衛権を放棄すれば民族の自立を危うくする」といって9条に反対しているのだ。私がそこを指摘すると、小池は「当時の吉田茂首相が『9条には自衛権がない』と言ったからだ。後で自民党政権は『自衛権はある』と認めたから、いまの憲法でいい」という理屈を展開した。そんなことを言ったら、共産党が憲法に反対したり賛成したりするのは、政府の憲法解釈次第という話になってしまうではないか。独立した政党の主張がそれでいいのか。一言で言えば、共産党は重要政策で自分たちの本音を隠して、国民に耳触りのいい議論をばらまいている。経済政策ですっきり自分たちの主張を唱えているように、安保防衛・外交政策でも正々堂々、自分たちの本音で勝負してもらいたい。(文中敬称略)(引用ここまで

 

どうでしょうか。天皇については、現行憲法の遵守を内閣に求めていること、自衛隊については、憲法違反であること、対米従属軍であること、しかし、現行憲法にもとづく憲法違反の自衛隊を改組することは国民的合意を前提にしていること、だからと言って国家の自衛権を否定していないこと、これらのことは繰り返し文書で明らかにしていることです。

 

ただ、愛国者の邪論にも意見があります。長谷川幸洋氏のような「感想的意見」が出てくるのは、ある意味仕方ないということです。それは共産党自身の努力不足にも問題があるからです。

以下ご覧ください。

 

野党外交のチャンスを逃すと都議選と参議選躍進は厳しい共産党 機敏な発信が問われる共産党の存在価値!(2013-05-21 13:10:06 )

共産党は中国共産党と日米安保廃棄の最大の障碍である偽りの「抑止力」論を研究して廃棄を実現すべき!(2013-02-03 00:15:32 )

日本共産党の政権論について 不破哲三委員長に緊急インタビュー(2012-12-27 00:08:23 )

尖閣問題にみる日本共産党の取り組みは国民的共感を得ることは難しい。直ちに中国共産党と会談を!(2012-09-21 16:02:40 )

自力がないから勝てないと言ってしまった!中国にバシッと言っていないと見られてしまった共産党!(2012-09-09 10:01:13)

日本共産党は科学的社会主義の立場から領土問題の解決を中国共産党へ訴えるべき、日米安保廃棄のために(2012-07-08 15:16:33 )

 

それでは、共産党の政策について、ご覧ください。これらが、マスコミで議論されていれば、もっと安倍自公政権の政策にも影響を与えているだろう、という予測が可能であることを強調しておきます。

 

ここが知りたい特集/日本共産党綱領と天皇制、自衛隊/より明らかになっ ... 2004年3月7日

日本共産党は日米安保、憲法九条と自衛隊をどう考える? - 未来を信じ ... 2008年10月25日

日本共産党/政策·見解/憲法 - 日本共産党中央委員会

1 憲法制定過程とその問題点 - 参議院憲法審査会

日本国憲法制定時に憲法法案に反対した日本共産党ですが、いつ頃から .2010年1月18日

護憲で知られる日本共産党 1946年当時は憲法9条に反対した – SNN ...

第90回帝國議会 : 野坂参三 vs 吉田茂|freeml 2010年4月4日

共産党自衛隊を事実上容認 中央委総会の大会決議案で(毎日新聞) 2000年9月19日

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本初の8時間労働制を実現したのは官営八幡製鉄所の大ストライキ!人権認知には多大な犠牲があった!

2013-10-24 | 歴史

以下の記事をご覧ください。 

ブラック企業に殺される若者たち!「みなし労働時間制 ... - J-Castニュース 2013年9月20日

戦後民主主義の出発点を象徴する一つとなった労働基本権が、自民党政権によってないがしろにされてきた「結果」、引き起こされた事実がリアルに描かれていると思います。しかし、昨日の記事にも書いたように、誰が、何のために、このような制度をつくったのか、この結果をつくりだすためにどのような手口を使ったか、このことは、この記事にあるように、忘却の彼方に封印されてしまっています。それは何故でしょうか。恐らく、この事実がバレると、天と地がひっくり返るからかもしれません。だからこそ、この事実を暴いていかなければならないと思います。

非正規労働を増やしてきた真因を隠蔽する東京など日本のマスコミの大罪は深刻!これは選挙報道でも同じ!(2013-07-15 10:17:42)

1、労働·雇用(2013年参議院選挙各分野政策) - 日本共産党中央委員会

自民党・公明党連立政府が、2003年に労働基準法を改悪して「解雇自由条項」を盛り込もうとしたときに、日本共産党は、労働者・労働組合と協力してこれをやめさせ、逆に解雇を規制する条項をはじめて盛り込ませました(この条項はその後、労働契約法に移行)。さらに、「解雇規制・雇用人権法」を提案して、労働者の人権をまもり、ヨーロッパ並みの労働契約のルールの確立をめざしています。具体的内容は、最高裁の判例などで確立している「整理解雇4要件」(①差し迫った必要性、②解雇回避努力、③選定基準・人選の合理性、④労働者・労働組合の合意)を法律に明文化して解雇制限のルールを法律に明記するとともに、裁判などで解雇を争っているあいだは雇用を継続する、解雇無効になった場合には職場に復帰するという就労権を保障しています。

 希望退職・転籍についても、本人同意・取消権、労働組合の関与などのルールを確立します。解雇を目的としたパワーハラスメント(いじめや嫌がらせ)を禁止し、人権侵害をきびしく取り締まります。労働基準監督署が、退職強要などを日常的に監視し、取り締まるようにします。会社分割などにともなう雇用と労働条件のルールをつくります。55歳一律転籍など、年齢による雇用契約の不利益変更や採用制限を禁止します。事業所の閉鎖、移転、縮小の際の自治体との協議の仕組み(リストラ・アセスメント制度)をつくります。(引用ここまで

20036月 - 労働時間短縮研究所

キラキラ日誌 集会・学習会

もう一つあげておきます。それは、八幡製鉄所のストライキ時もそうですが、8時間労働制を掲げただけで、弾圧されたというのが、日本の現実でした。それは社会民主党 (日本 1901年) にみることができます。しかし、日本社会主義運動史 - マルクス主義同志会 にも書かれていません。詳しくは別項に掲載することにしますが、1901年の段階、八幡製鉄所のストライキの19年前においては、禁止条項の一つだったのです。逆に言えば、社会民主党に結集した人たちの先見性にはアッパレ!です。

このような日本近代史の輝かしい歴史を継承している日本国憲法と労働基本権ですが、それが、今土台から崩されようとしているのですから、呆れるばかりです。日本の労働者諸君!たたかおうじゃないか!です。以下ご覧ください。

「八幡製鉄所争議」(『溶鉱炉の火は消えたり』)-史料日本史(1162)

47八幡製鉄所東田第1高炉 | 日本の近代遺産50選 2009年4月2日

浅原健三の気骨。溶鉱炉の火は消えたり | 日本の偉人 列伝 2005年12月9日

八幡製鉄所争議 とは - コトバンク

それでは、犬丸義一・中村新太郎『物語 日本労働運動史上』(新日本選書74年9月刊)に書かれていた官営八幡製鉄所の大ストライキの記事をご覧ください。

1920年という歳は、フレームアップ事件といわれている大逆事件が演出され、いわゆる「冬の時代」から10年でした。第一次世界大戦による、いわゆる「大戦景気」は、大量の労働者を作り出した結果、労働者のたたかい、学生・婦人の運動、普選運動、社会主義運動などを復活させていきます。それは、1917年にはロシア革命、1918年には米騒動、19年には3.1独立運動、5.4運動などの運動の後でした。日本が国際聯盟に加入したのは、このストライキの直前の1月でした。こうした日本における資本主義の発展と戦争後の国際社会における反戦平和、人道主義と人権尊重主義が広がっていく時期でした。

19 “溶鉱炉の火は消えたり” ―八幡製鉄所のストライキ―

陸海軍拡張の心臓部で

一九二〇(大正九)年二月五日、その日は朝から冷たい雨が降りしぶいていました。この日、日本重工業の基地北九州の一角にそびえたつ官営八幡製鉄所の煙突は、朝から煙りをはかず、七十万坪(約二万三千百四十ヘクタール)の工場敷地には、労働者の影もまばらでした。翌六日付の『大阪朝日新聞』は、

  「八幡製鉄所の同盟罷工

  一万三千の職工業務を投げうち

 大鎔鉱炉の火はことごとく消え

  五百の煙突けむりを吐かず」                        

 という大見出しで、この日本最大の工場に大ストライキがおこったことを報道しました。

 官営八幡製鉄所は、日清戦争の講和条約で清国から二億テール(約三億円)の賠償金をとり、これの大部分を陸海軍拡張費にあてたとき、その一部を創設費にまわして、天皇制の軍事的要請のもとにつくられた工場でした。当初兵器生産を主とし、かたわら鋼材生産(多くは鉄道用)が目的でした。一九〇一(明治三十四)年十一月、伊藤博文の手により、第一溶鉱炉に火がいれられ操業が開始されてから十九年間、一度も消えたことのない火が、ここにはじめて消えたのです。陸海軍拡張の心臓部である官営工場が大ストライキにはいった報道は、それまでのどのストライキよりも、世の人びとをおどろかせました。政府や資本家たちがおどろいたのはもちろんです。

 八幡製鉄所は、ドイツ人技師トッペの技術指導で、中国の大冶鉄山から良質な鉄鉱石を輸入し、筑豊炭田の石炭をコークスの原料炭として生産を開始しました。のち大冶には多額の借款をあたえ、さらに悪名たかい対華二十一ヵ条要求で、この鉄鉱石を独占しました。朝鮮の植民地化がすすむにつれて、国営にして朝鮮の鉱山からも良質な鉄鉱石を八幡にまわしました。こうして、八幡製鉄所は、一九一三(大正二)年には、日本の全銑鉄生産高の七三パーセント、全鋼材生産高の八四パーセント(三十七万五千トン)をしめ、軍需生産の主柱となりました。製鉄所ではたらく労働者も、一九〇一年四千人から一九一三年一万三千人、一九二〇年二万七千人と増加していきました。

友愛会と労友会

 日本の製鉄労働者は、ながいあいだ、労働条件の劣悪さと低賃金に苦しめられてきました。それが八幡のような官営になると、何段階もの複雑できびしい身分制(職階制)にしばられ、職工長でさえも官庁身分の雇員以下の地位におかれるようなありさまでした。労働時間は、十二時間昼夜二交代制がつづけられていました。

 さて、ロシア十月革命や米騒動ののち、労働者のたたかいが高揚してきたので、八幡の労働者たちもふるいたちました。八幡製鉄所に友愛会八幡支部がつくられたのは、これよりさき、一九一七(大正六)年六月でした。ところが、ほとんど活動らしい活動をしないまま、月日がすぎてしまいました。それで、友愛会とは関係のない据えつけ工場の西田健太郎という二十五歳の一青年労働者が、待遇改善の火ぶたを切ることになるのです。西田は、佐賀の甲種工業学校を卒業し、工手という身分の低い職種でくるしんでいたのですが、一九一八(大正七)年秋ごろから、活動を開始しました。かれは、ひそかに、仲間たちに、

 「もっと待遇をよくしようじやないか。食堂、浴場、便所を改善してもらおうじやないか」

 と、といてまわったところ、多くの労働者たちがこれに共鳴してくれました。翌一九一九(大正八)年夏、かれは十人ほどの仲間だちと、たたかう労働組合をつくろうとしましたが、会社がわにわかり、たちまち解雇されて、郷里の佐賀に帰りました。

 西田と入れかおるように、八幡市出身の浅原健三という二十三歳の青年が、東京から八幡に帰ってきました。鉱夫のむすこに生まれた浅原は、少年時代に、渡り鉱夫の経験があり、のも上京して日本大学専門部(夜間)の法科に学び、いつかしら、労働運動に心をひかれるようになりました。かれは、郷里で労働運動をはじめようと思って、八幡に帰り、木戸料十五銭の労働問題演説会をひらいたところ、新聞がこれを大きく報道してくれました。西田健太郎は、これを新聞で読むと、さっそく八幡へ浅原をたずねていき、八幡に労働組合をつくることで意見が一致しました。ふたりは、夜もろくろく眠らずに、かげまわりました。そして、八幡製鉄、九州製鋼、旭硝子、安川電気など、横断的に約千名の労働者を組織し、一九一九(大正八)年十月十六日、日本労友会を発足させました。会長には浅原、副会長には西田が選ばれました。

 いっぽう、労友会の組織に刺激されて御用組合的な企業内組合結成もすすめられ、まもなく八幡製鉄所内には職工同志会(会員三千人という)がつくられました。

第一欠ストに決起

八幡製鉄所では、年の瀬のおしせまった一九一九年十二月末に「職工規則」を改め、明年二月一日から時間外勤務を厳重に規制すると発表しました。ところが、ほとんどの労働者が超勤手当を当てにしてくらしてきたのですから、その規制は、大動揺をひきおこし、不満の声がみなぎりました。かねてから闘争準備をすすめていた労友会では、翌一九二〇(大正九)年一月、浅原会長が単身上京して、やはり上京中の製鉄所長白仁武と会見して、                                                   

 「会社がわが自発的に職工の要求をいれないと、公然と要求書が提出されますぞ」

 と、勧告しました。しかし所長は耳をかさず、会談は決裂しました。浅原は、すぐ八幡の同志に暗号電報で、「開戦ヲ準備セヨ」と打電し、自分も八幡へいそぎました。

 二月四日朝、吉村真澄ら労友会の幹部四人は、製鉄所事務所で中川次長代理の竹下工場課長らにあい、一通の「嘆願書」形式の要求を提出しました。要求事項は、つぎのとおりです。

(一)、臨時手当および臨時加俸を本給になおして支給されたい。

(二)、割増し金は従来三日以上の欠勤者にたいしては付けられなかったが、これを廃し、日割りをもって平等に支給されたい。     

(三)、勤務時間を短縮せられたい。

(四)、住宅料を家族をもつものには四円、独身者に二円を支給されたい。

(五)、職工の現在賃金にたいして三割を増給されたい。

 しかし、製鉄所がわは、この四人を代表者とはみとめず、嘆願書の受理を拒否しました。その

夜、駅前の松屋旅館で労友会の幹部会がひらかれ、労働者の闘争を触発するため、三隊の行動隊が組織されました。翌二月五日、二万数千名の労働者が、労友会の指導のもとに決起し、消えることのなかった溶鉱炉の赤い火が、ついに消されたのでした。

 この日早朝、人夫に変装した西田健太郎は、わらじばきで、製鉄所構内にもぐりこんで、演説してまわりました。交渉のすえ、七日夕刻までに回答するという所がわの言質を得て、労働者たちは歓声をあげながら、製鉄所を見下す豊山公園に向かってデモ行進をはじめました。さらに、夕方になると、夜業勤務に出社してくる労働者たちに、門外で「ストライキに参加せよ」とよびかけ、不夜城をほこっていた製鉄所は、夜半まで、なお暗黒につつまれていました。

 はげしい弾圧に抗して

 治安当局は、このストライキを鎮圧することにし、小倉・若松・門司の各警察署から、警官隊がぞくぞくと、八幡に動員され、憲兵も出動しました。八幡には、警官隊があふれ、戒厳令下におかれたかのようでした。はやくも五日午前十時、労友会本部がおそわれ、会長浅原健三、副会長西田健太郎らが検束され、めぼしい労働者たちも捕えられ、その数は三百人をこえました。夜おそく、役付工など一部復業した労働者によって、溶鉱炉の一部に火が入れられましたが、作業は、六日も七日もなお停止状態でした。所がわでは、七、八両目を臨時休業にすると公表し、賃金、手当の改善については、予算を議会に提出中というだけで、具体的にはなにも回答しませんでした。

 はげしい弾圧のため二月八日、労働者の結束はくずれ、翌九日になると、ほとんど全員にちかい労働者が就業し、五百本の煙突はふたたび黒煙をはきはじめました。しかし、労働者の不満はくすぶりました。福岡の坑夫協会、総同盟友愛会本部は、労友会に応援を申しでてきました。そこで、労友会は態勢を建てなおし、ビラで「再罷工」をよびかげました。これは労働者たちに大きな反響をよび、二月二十三日の夜からサボタージュがはじまり、翌二十四目吹雪の朝からは、二万五千名が、いっせいに職場を捨て、ストライキに突入しました。

 翌二十五目、製鉄所はロックアウト(エ場閉鎖)を宣言し、在郷軍人の労働者がかりあつめられて入所しました。警察は、はげしい弾圧をくわえ、会社がわは、切りくずしにやっきとなりました。

労働者はしだいにストライキをつづける余力がつきていき、三月二十日、八幡の大ストライキは、惨敗のうちにおわりました。製鉄所は二百二十四人の首を切り、裁判所は、「治安警察法違反、騒擾罪」で、浅原ら七十人を起訴しました(うち二十九人が有罪)。浅原は控訴審で無罪となりますが、実兄の鉱三郎は懲役一年六ヵ月の刑をうけました。このため、労友会も、まもなく壊滅してしまいます。

 四月上旬、製鉄所がわは、八時間三交代制をはじめ、労働者の要求をほとんどいれた「職工優遇案」を発表しました。犠牲のおおかったストライキも、けっしてむだではなかったのです。なお浅原健三は、のち北九州労働運動の立役者から無産党の代議士、さらに戦時中は労働者を裏切って軍部とむすぶ労働ボスに転落しますが、このときは、かれも全力をあげて、運動に身をささげていたのでした。(引用ここまで

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

NHKスペうつ病防衛本能がもたらす宿名が描く現代日本資本主義の病理の原因と対策と民主主義の大切!

2013-10-24 | 日記

先日NHKスペシャル病の起源 第3うつ病防衛本能がもたらす宿命~」を見ました。うつ病と認知症、生活保護・ワーキングプア・非正規雇用(労働)が現代日本資本主義の病理現象だという問題意識があったからです。

 

うつ病については、これまでの放送を大きく前進した内容だったように思いました。脳科学という分野でしょうか、その科学・学問の根底には、経済、暮らし、現実があることを浮きぼりにした放送だったように思います。

 

ここまで来た!うつ病治療/NHKスペシャル - 心と体の不調全般 - 専門 ..2012年2月19日

NHK「クローズアップ現代」職場で孤立する“大人の発達障害” | うつ病...

大人の発達障害” - NHK クローズアップ現代 - NHKオンライン 2013年3月13日

 

この放送は、まさにマルクスが「人間は、彼らの生活の社会的生産において、一定の、必然的な、彼らの意志から独立した諸関係に、すなわち、彼らの物質的生産諸力の一定の発展段階に対応する生産諸関係にはいる。これらの生産諸関係の総体は、社会の経済的構造を形成する。これが実在的土台であり、その上に一つの法律的および政治的上部構造が立ち、そしてこの土台に一定の社会的諸意識形態が対応する。物質的生活の生産様式が、社会的政治的および精神的生活過程一般を制約する。人間の意識が彼らの存在を規定するのではなく、逆に彼らの社会的存在が彼らの意識を規定する」(『経済学批判』の「序言」)と述べたように、「新自由主義」政策の「規制緩和」という「美名」の結果としてつくりだされた現代日本資本主義の病理現象を浮き彫りにしました。

 

印象的だったのは、魚類のメダカから哺乳類、しかもサルの仲間であるチンバンジーに、そして人類・ヒト・人間にどのように継承されていたか、でした。その中で面白かったのは、「人類は元々平等の精神を持っていたからこそ、うつ病となりえる原因の多い状況でも、うつ病を発症せずに生きてこられた」という指摘でした。その説明に「タンザニアの狩猟採集生活」を描いていたことは圧巻でした。まさに原始共産制の説明でした。その社会は「平等という仕組みで発症を防いでいた」のですが、「農耕社会への転換」「文明社会になり平等が崩れる」という言葉を使って、すなわち労働によって創りだした富の分配の独占によってうまれた不平等社会、階級社会への発展によって、「再びうつ病への道を歩む事となってしまった」という説明こそ、現代社会の病理現象のルーツを示すものだったのです。

 

その「文明社会」が更に発展することで、分業化、細分化がすすみ、うつ病が発展していくことを次のように説明していました。それは「自らの判断で仕事を行う専門職や技能職ではうつ病は少ないが、上司からの指示で仕事を行なう営業・事務・非技能職ではうつ病が倍以上も多く確認」したというものです。

 

ここにうつ病だけでなく、現代資本主義の病理現象を打開・解決する重要なヒントが映し出されていました。それは一言で言えば、職場の、日本社会の「民主主義」です。「自らの判断」という「民主主義」の当たり前の原則です。それに反する言葉は、「上司からの指示」です。「成果主義」と「ほうれんそう」です。「上意下達」です。

 

人権と民主主義が成熟したと言われているニッポンにおいて、「自らの判断」を奪う装置が、学校で、地域で、職場で、社会で、様々に張り巡らされている日本社会を顕微鏡で検証するような作業が必要になっていることを改めて強調しておきたいと思います。そのことと合わせて政治や経済や文化、放送・マスコミや地域社会などなどにおいて、徹底して民主主義を貫く装置を創っていくことの大切さを、NHKは、そのような自覚はないとは思いますが、改めて描いていたと思います。

 

具体的には、労働者が、自らの会社の経営にどれだけ口をさしはさむ(経営参加)ことができるか、株主・資本家(しかも機関投資家と個人投資家)と経営者間の民主主義をどのように考えるか、株主総会の運営をどのように民主的に運営するか、などということは、労働者と経営者と資本家と消費者の間の民主主義をどのように構築するか、ステークホルダーの民主主義などなど、現在の労働者の病理現象であるうつ病や貧困問題などの解決のための方策をどのように描いていくか、そのことが鋭く問われた番組であったように思いました。

 

このことは東電や王子製紙はみずほなど、日本を代表する巨大企業、「官」と比べると、非常に優秀で、良好な、常識があるとされる「民間」企業ですが、これらの企業に最も欠けている「民主主義」をどのように充実・具体化していくかという問題・課題です。これらの巨大企業群が自由と民主主義という価値観を強調する安倍自公政権を支えているのです。このことを告発することと合わせて、民主主義の担い手として、どのように職場の労働者の役割を強調していくか、そのことこそ、うつ病などに見られる現代日本資本主義の病理を解決していくことができると、番組を視ていて思ったのでした。

 

ところが、番組は、そのような視点には全く立っていませんでした。そこにNHKの立ち居地があるように思いました。しかし、そのようなNHKの思惑は別として、物事をまともに、リアルに見ていけば、アメリカであっても、「共産主義」(訳語表現は別として)という思想に接近していかざるを得ないことが浮きぼりになったように思います。その点で、共産党の綱領に描かれている「未来社会」論の国民的議論(賛成・反対・批判を含めて)が必要であると思います。

 

「綱領教室」志位委員長の第12回講義/第5章 社会主義·共産主義の ... 2012年3月8日

3、日本の未来社会――社会主義·共産主義の展望 - 日本共産党中央 ...  

何故ならば、日本の政党のなかで、共産党だけが、日本の未来社会を展望した綱領をもっているからです。このことをマスコミは一貫して黙殺しています。勿論共産党独自の努力が必要であることは当然のことですが、それにしても、このような番組が放送されるのですから、大いに議論を巻き起こしていくことが求められているのだと思います。

 

繰り返しますが、これは、うつ病や認知症、非正規雇用によるワーキングプアや生活保護受給を余儀なくされている数千万の国民の苦悩を解決するためです。このような腐敗した、行き詰まった日本をどのように打開していくか、当面の問題と未来の問題を含めて国民的議論が必要でしょう。愛国者の邪論は、徹底した民主主義こそが、問題を解決していく唯一の思想と運動と制度ではないかと思っているのです。

 

そのためにも、大企業・財界は、これらの国民の苦悩のために、彼らが作り出してきた富を、彼らのために使うべきです。これこそが人道主義の具体化です。これこそが憲法の原則の具体化です。この富の還流は大企業・財界のためでもあるのです。このことを強調しておきたいと思います。このことは共産主義を支持するかどうかなど、思想信条の違いは別として、資本主義があみだした人道主義と民主主義の原則を使うのですから、一致できるのではないかと思うのです。

 

それでは、この番組を紹介したブログを掲載しておきます。愛国者の邪論の指摘のようなものはほとんどありませんでした。ご覧ください。

 

NHKスペシャル『病の起源』第1集「がん ~人類進化が生んだ病 ... 2013年5月19日

うつ病は防衛本能がもたらす宿命だが - 散歩好きの絵描き - ココログ

うつは人類の進化が作り出した産物か?(NHKスペシャル 病の起源) うつ ...

病の起源「うつ病」防衛本能がもたらす宿命|NHKスペシャル - テレビの ...

 

以下のブログは、愛国者の邪論の指摘と同じでした。しかし、どうするかについては、ありませんでした。ご覧ください。

 

NHKスペシャル「シリーズ·病の起源 うつ病の秘密に迫る」をみて,考える。

…うつ病を発症する原因は,人類の進化の順に合わせて,天敵(生存競争),孤独,記憶,言葉,という四つのキー・ワードで整理されていましたが,そこまで言えるのであれば,それらの原因を除去する方法も,いとも簡単にまとめられるのに・・・・というのがわたしの不満です。貧富の差を少なくし,可能なかぎり平等な社会を目指すこと,そういうコンセプトを日常生活の隅々にまで行き渡らせること,こんな単純なことを,なぜ,NHKは言えないのか。ちょっと奇怪しい。それを無視して,最後にとってつけたような結論を出していました。これにはいささかあきれ返ってしまいました。それは,TLC(生活改善法)を導入すればうつ病を克服することができる,と。つまり,定期的な運動をしなさい,規則正しい生活をしなさい,といった当たり前のことの列挙です。もう,繰り返すまでもありませんが,問題は,そんなところにはありません。そういうTLCが提唱するような健康的な日常生活が送れなくなってしまっているからこそ「うつ病」が激増しているのですから。まともな日常生活をとりもどすこと,それを不可能にしている原因を除去すること。少なくとも,そちらに舵を切ること。(引用ここまで

 

それでは最後に番組の要約版を掲載しておきます。ご覧ください。

 

[NHKスペシャル 【病の起源 第3集「うつ病〜防衛本能がもたらす宿命 ...

NHKスペシャル|2013/10/24(木)放送 | TVでた蔵

ドイツで行なわれたうつ病の最新治療。脳の奥深くに電極を埋め込み電流で刺激して、脳の働きを改善する…というもので、画期的な治療方法として注目を集めている。最新の研究からうつ病は脳の最も古い部分が影響している事が判明した。700万年前に誕生した人類。高度な文明を築き上げた人類だが、その影で人間の身体には病気の種が埋め込まれていた。NHKスペシャル病の起源。今回は世界でも患者が急増しているうつ病に迫る。日本人のうつ病患者数は増加傾向に。うつ病とは悲しみや気持ちの落ち込み、意欲がわかない、興味を失う…などの症状が2週間以上続くというものだった。

解明が進むうつ病のメカニズム

うつ病がどのようなメカニズムで発生するのか?7年前にうつ病と診断された男性を取材。現在薬による治療を受けている男性は、日々大量の薬を服用していた。「国立精神・神経医療研究センター」(小平)で、男性の脳の構造などを詳しく検査したところ、異変が起きている場所が発見。脳の一部が軽度に萎縮している事が判明。萎縮を起こした原因は脳の奥にある扁桃体だった。

 うつ病を生んだ“防衛本能”

うつ病になると強く働く扁桃体の秘密に迫る。太古の昔節足動物が繁栄していた頃に誕生したのが、我々人類の祖先「魚」だった。魚には、外敵から生き延びるため身体を集中制御する脳が誕生し、その脳に生まれた扁桃体は天敵が近づくと活動する場所だった。ニューオリンズで行なわれた、北米ストレス行動学会では、この仕組みこそうつ病と深く関わりあっているとの報告がなされた。学会ではうつ状態のゼブラフィッシュを使い説明が行なわれたが、うつ状態のセブラフィッシュは水槽の中に天敵とともに同居して飼育されていた。様々な分析の結果、セブラフィッシュのストレスホルモンは大量に分泌され続け、これがうつ病へと繋がっていたのだった。

元々天敵から逃れるために魚類が獲得した、脳の中の扁桃体という機関。しかしそこから出されるストレスホルモンによってうつ病が引き起こされている事が判明。ただ、哺乳類の時代となり扁桃体は天敵以外にも反応するようになっていた。

チンパンジーもうつ病に!

哺乳類が進化する中で、本来天敵に反応するはずの扁桃体が、別のものにも反応するようになってきた。アメリカ・ワシントン州にあるノースウエスト・チンパンジー保護施設飼育されている、ネグラという名前のチンパンジーはうつ病だと診断されていた。ジョージ・ワシントン大学のホープ・フェードシアン教授によれば、ネグラがうつ病となったのは、ネグラが以前1年半もの間隔離され飼育されていたからではないかと指摘した。うつ病と診断されたチンパンジーは、長い間孤立して飼育されたため、うつ病になったと考えられている。仲間との絆の強い生き物は、天敵だけでなく孤独にも脳の扁桃体が反応するようになっていた。更にこれがヒトに近づくと、記憶にまで扁桃体が反応するようになった。

恐怖の記憶がうつ病に!

370年前に誕生した人類の祖先アウストラロピテクス・アファレンシス。暮らしていたサバンナは猛獣の暮らす場所で、厳しい環境で生き延びるのに重要なのが危険の記憶だった。現在も狩猟採集で暮らすタンザニアのハッザの人々は、現在も恐怖の記憶を頼りに生きていた。ニューヨーク大学のエリザベス・フェルプス博士は恐怖の記憶は、うつ病の原因となる扁桃体に大きく影響していると指摘。それは扁桃体と海馬が連動する事で、衝撃的な出来事などに関して、強い記憶が生まれる事と関連していた。

言葉が生まれうつ病がさらに!

フロリダ州立大学のディーン・ホーク博士が、人類の頭蓋骨を示しつつ、ブローカ野という部分が脳に出来た事で言葉を使い、情報を伝え合えるようになったと指摘。ただこのコボ場により、他人から恐怖を言葉で伝えられるだけで、うつ病の原因となる扁桃体が働くようになっていた。

うつ病との原因となる扁桃体。進化の歴史で天敵だけではなく、孤独や記憶、さらに言葉により扁桃体が暴走してしまう結果に。人類は進化するたびにうつ病の種を抱えてきたのである。

うつ病に無縁な人々

うつ病患者の多い現代社会。それは人類がうつ病の原因を次々と抱え込んできた事に要因があった。しかし人類はうつ病を防ぐ仕組みを持っていた。タンザニアに暮らす狩猟採集で生活するハッザ人々にうつ病のテストを行なったが、うつ病の人はいなかった。ペンシルベニア大学のコリン・アピセラ博士は、集めた食料をほぼ100%分け合うなど、平等な暮らしで、現代社会の人々が抱える悩みが無いのが、原因ではないか?と推測した。

うつ病を防ぐ“平等”

獲物を平等に分け与えて生活をしている、タンザニアの狩猟採集生活をしているハッザの人々にはうつ病が無い事が判明。獲物を分け与える平等な生活は、かつて人類が獲物をしとめるために人々の結束が欠かせないときに無くてはならないものだった。平等はうつ病の発症をどのように防ぐのか?「脳情報通信融合研究センター」(吹田)で平等と扁桃体の働きに関する実験調査を行なっている春野雅彦博士によれば、平等性や公平性に扁桃体が関与しているのだという。人類は元々平等の精神を持っていたからこそ、うつ病となりえる原因の多い状況でも、うつ病を発症せずに生きてこられたのだった。しかし何故人類は平等の精神を持っているのに、多くの人がうつ病に苦しめられているのか!?

人類が歩んだうつ病への道

平等な暮らしによってうつ病を防いでいた人類。しかしある時代から、うつ病への道を歩み始める事に。ミッチェル・ロスマン博士はペンシルベニア大学博物館にある展示物を指し示し、農耕社会への転換が行なわれ、持つものと持たざるものが別れたメソポタミア文明がその起源であると指摘した。うつ病の原因とされる扁桃体の暴走。人類は天敵や孤独、記憶、言葉などうつ病への原因を多く抱えてきたが、それを平等という仕組みで発症を防いでいた。しかし文明社会になり平等が崩れると、再びうつ病への道を歩む事となってしまったのだった。うつ病と職業の関連を調査した、ヴァンダービルト大学のジェイ・ターナー博士によれば、自らの判断で仕事を行う専門職や技能職ではうつ病は少ないが、上司からの指示で仕事を行なう営業・事務・非技能職ではうつ病が倍以上も多く確認された。番組冒頭から登場している、うつ病と診断された男性も、営業の仕事をしていた。上司からの命令で大きな仕事を任されてから、うつ病の症状が出るようになった。この男性は毎日長時間の仕事をしないと、仕事が終わらない状態で労働していたのだった。(引用ここまで

コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

現代日本資本主義の労働基本権思想は1919年より後退している!恥ずかしい!民主主義闘争の伝統を今こそ!

2013-10-23 | 日記

続きです。

現代日本の若者を、展望の光から閉ざし、展望を創出するのではなく、喪失させています。若者が自殺を余儀なくされる社会はトンデモナイ社会です。これは戦前の徴兵制に基づく人権否定思想と同じです。人生20年で諦めさせるのです。裕福な、塾に通える力のある家庭の子どものみが、高学歴を保障される社会。大学に進学しても高校生以下の学力しかない大学。その大学も3年生から進学指導を余儀なくされている実態。およそ教育と研究の場にふさわしくないと言われている日本の大学。そのような状況に追い込まれている若者が、50社も訪問しなければならない実態。それでも非正規労働が精一杯なのです。就職が決まらないのは「自己責任」と、マジで思い込んでいる若者。

「一部の貧困は、全体の繁栄にとって危険」と自覚する若者はどれだけいるでしょうか。「独りは皆のため、皆は独りのため」、いわゆる「ONE FOR ALL ALL FOR ONE」、これはラグビー精神であり、学校の校舎の壁や教室に掲げられている標語・スローガンです。活発なはずの部活動では、まさに、この思想が具体化されなければならないことは誰が見ても判ることです。

あの松井選手の野球哲学は、「チームのためは自分のため、自分のためはチームのため」を文字通り実践した人ではなかったのでしょうか。チームプレーにおいては、まさにフォーメーションが決定的であることは、サッカーをみても判ることです。勿論、サッカーだけではありませんが。そのような当たり前のことが、いざ、地域社会や職場に目を向けてみるなり、全く真逆のことが行なわれているのです。そのキーワードは「自助」「自己責任」思想です。

こんな世の中誰がした!と怒り、職をよこせ!未来を保障しろ!家庭を持たせろ!子どもを!老後を!飯を食わせろ!と叫ぶ若者がどれだけいるでしょうか!自分だけはない要求を、同じ境遇の若者同士で、実現のために連帯する若者がどれだけいるでしょうか。スポーツで視ている思想が、ここではちっとも役に立っていないのです。

「多数の人民に対する不正、困苦及窮乏を伴ふ現今の労働状態は大なる不安を醸生し惹て世界の平和協調を危殆ならしむへきに因り」という視点はそのまま現代日本社会そのものです。憲法第25条の空洞化は、憲法第9条を根底から崩すものです。人権思想がないがしろにされている状態は平和とは言えないということです。

「労働は単に貨物又は商品と認むへきものに非す」とは、資本主義経済制度に基づく社会は労働力は商品として捉えられています。しかし、ここでは人道主義に基づいて「商品に非ず」と規定しているのです。という思想を、現代社会にあてはめると、どうでしょうか。若者を非正規労働者として扱い、水分が、これ以上出てこないほど雑巾(人間)を絞り、その人間的価値を搾りとるのです。そうして、搾り取るものがなくなった時、ボロ雑巾のようにお払い箱とするのです。それが現代日本資本主義社会ではないでしょうか。

このような実態は、あの職工事情や女工哀史、野麦峠の世界、炭坑節の世界です。日本国民や世界の労働者が血を汗と涙で築いてきた人権思想の発展と諸権利を踏みにじるものです。日本の労働者が使えなければ、他国の労働者を使えば良いのだという、およそ愛国者とは無縁の思想が、根底にあるのです。これだけ非正規労働とワーキングプアを増大させ、内部留保を腹いっぱい溜め込んでも、それを貧困のどん底に落としている国民のために使うなどという道徳心は微塵もないのです。

このように、現代の若者の働く権利を奪う、命を奪う装置、国民貧困に落としている装置の数々を何としても打ち破らねばなりません。

そこで、今日は、昨日に続いて吉岡義典『ILOの創設と日本の労働行政』(大月書店09年12月)のつづきを紹介することにしました。94年も前に、世界では、すごいことが議論されていたのです。現代日本資本主義社会に生きる、虐げられている人間が、今こそ、日本国憲法の源流でもある、これらの事実から学ぶことは多いのではないでしょうか。

 

ベルサイユ平和条約

その出発点になったのは、国際的な労働者階級の闘争といち早く八時間労働制を宣言したロシア革命の影響とこれを反映した第一次大戦後の一九一九年のパリ講和会議におけるベルサイユ平和条約、とくにその第十三編「労働」として採択された国際労働憲章である。パリ講和会議で採択されたベルサイユ平和条約は、第一編「国際聯盟規約」第二十三条で「男女及び児童の為に公平にして人道的なる労働条件を確保するに力め且之が為に必要なる国際機関を設立維持」することなどつぎの規定を設けていた。 

第一編 国際聯盟規約

 締約国は、戦争に訴へざるの義務を受諾し各国間に於ける公明正大なる関係を規律し各国政府間の行為を律する現実の規準として国際法の原則を確立し組織ある人民の相互の交渉に於て正義を保持し且厳に一切の条約上の義務を尊重し以て国際協力を促進し且各国間の平和安寧を完成せむが為茲に国際聯盟規約を協定す

   (中略)

  第二十三条       

聯盟国は現行又は将来協定せらるべき国際条約の規定に遵由し

(イ)自国内に於て及其の通商産業関係の及ぶ一切の国に於て男女及児童の為に公平にして人道的なる労働条件を確保するに力め且之が為必要なる国際機関を設立維持すべし

(ロ)自国の監理に属する地域内の土着住民に対し公正なる待遇を確保することを約す

(ハ)婦人及児童の売買並阿片其の他の有害薬物の取引に関する取極の実行に付一般監視を聯盟に委託すべし

(ニ)武器及弾薬の取引を共通の利益上取締るの必要ある諸国との間に於ける該取引の一般監視を聯盟に委託すべし

(ホ)交通及通過の自由並一切の聯盟国の通商に対する衡平なる待遇を確保する為方法を講ずべし 右に関しては千九百十四年乃至千九百十八年の戦役中荒廃に帰したる地方の特殊の事情を考慮すべし

(ヘ)疾病の予防及撲滅の為国際利害関係事項に付措置を執るに力むべし

 ベルサイユ平和条約は、この規定にとどまらず、さらに第十三編で「労働」(国際労働憲章)をとりきめた。その第一款は冒頭で、「世界平和は社会正義を基礎とする場合に於てのみ之を確立し得」るとし、「多数の人民に対する不正、困苦及窮乏を伴ふ現今の労働状態は大なる不安を醸生し惹て世界の平和協調を危胎ならしむべきに因り」労働時間など労働条件を制定し、「前記労働状態を改善することは刻下の急務」と宣言している。つまり、「人道的労働条件」の実現を「世界恒久の平和を確保」する基礎としてとらえたのである。

第十三編 労働 第一款 労働機関

国際聯盟は世界平和の確立を目的として世界平和は社会正義を基礎とする場合に於いてのみ之を確立し得べきものなるに因り

 多数の人民に対する不正、困苦及窮乏を伴ふ現今の労働状態は大なる不安を醸生し惹て世界の平和協調を危殆ならしむへきに因り彼の労働時間の制定殊に一日又は一週の最長労働時間の規定、労働供給の調節、失業の防止、相応の生活を支ふるに足る賃銀の制定、労務傷害及疾病に対する労働者の保護、児童年少者及婦人の保護、老年及廃疾に対する施設、自国外に於て使用せらるる労働者の利益の保護、結社の自由の原則の承認、職業及技術教育の組織等の如き手段を以て前記労働状態を改善することは刻下の急務なるに因り

一国に於て人道的労働条件を採用せさるときは他の諸国の之か改善を企図するものに対して障碍となるべきに因り

茲に締約国は正義人道を旨とし世界恒久の平和を確保するの翼望を以て左の諸條を協定す

第一章機関  第三百八十七條

前文記載の目的を達せむか為茲に常設機関を設置す

国際聯盟の原聯盟国は右常設機関の原締盟国たるへく今後国際聯盟の聯盟国と為るものは同時に右常設機関の締盟国たるへきものとす(以下略)

第二款

 第二款は、労働保護に関する基本原則をしめしたもので、つぎの九原則を「特別緊急の必要あるもの」として規定した。

一 労働は単に貨物又は商品と認むへきものに非すとの前記の基本原則

二 使用者又は被用者か一切の適法なる目的の為結社するの権利

三 其の時及其の国に於て相当と認めらるる生活程度を維持するに足る賃銀を被用者に支払ふへきこと

四 一日八時間又は一週四十八時間の制を実行するに至らさる諸国に於ては之を其の目標として採用すへきこと

五 日曜日を成るへく包含し二十四時間を下らさる毎週一回の休息を與ふるの制を採用すへきこと

六 児童労働を廃止すへきこと及年少者の労働に対し其の教育を継続することを得且身体の正当なる発達を確保すへき制限を設くへきこと

七 同一価値の労働に対しては男女同額の報酬を受くへき原則

八 各国か其の法令に依り定むる労働條件に関する標準は適法に其の国に居住する一切の労働者に対する衡平なる経済上の待遇を確保すへきこと

九 各国は被用者の保護を目的とする法令を励行する為監督の制度を設け婦人をして之に参加せしむへきこと                                

この九項目を平和条約に挿入することをまとめたパリ講和会議の国際労働立法委員会の講和会議への報告書は、「委員会結論の第二部は、労働界で最も重要な事項に関する宣言を含んだ条項の形式をとっている。委員会の開会の席上、諸国代表は、平和条約にこれらの宣言を挿入し、これによって今や世界大戦にまで立ち至った時代が終了し、より良き社会秩序が始まり、新しい文明の生まれたことを告げる必要を認めることに一致した」とのべている(日本ILO協会編『講座ILO(国際労働磯関)』日本ILO協会、一九九九年、上巻、五六ページ)。 

ワシントン国際労働総会(第一回ILO総会)

 ベルサイユ平和条約の「国際連盟規約」および、第十三編「労働」のとりきめにそって、一九一九年十月、ワシントンで第一回国際労働総会が聞かれた。同会議については、「第十三編 労働」の「附属書」で議題にいたるまできめられていた。

会議事項

一 一日八時間又は一週間四十八時間の原則の適用の件

二 失業に対する予防又は救済の件

三 婦人使用の件

(イ)産前産後(産婦に対する手当問題を含む)

(ロ)夜間

(ハ)健康上有害なる作業

四 児童使用の件

(イ)使用の最低年齢

(ロ)夜間

(ハ)健康上有害なる作業

五 産業に使用せらるる婦人の夜業の禁止及燐寸製造に於ける黄燐使用の禁止に関する千九百六年「べルヌ」国際條約の拡張及適用の件(注 ベルヌ国際条約=婦人夜業禁止・黄燐使用禁止)

ワシントン国際労働総会=第一回ILO総会は、八時間労働制の確立をはじめ、つぎの六つの条約を採択した。 

(一)工業的企業に於ける労働時間を一日八時間且一週四十八時間に制限する条約(第一号)

(二)失業に関する条約(第二号)

(三)産前産後に於ける婦人使用に関する条約(第三号) 

(四)夜間に於ける婦人使用に関する条約(第四号)

(五)工業に使用し得る児童の最低年齢を定むる条約(第五号)

(六)工業に於て使用せらるる年少者の夜業に関する条約(第六号)

 しかし日本政府は、この六つの条約のうち第五号を批准しただけである。このことについてはあとであらためてふれる。ILO第一号条約となった「工業的企業に於ける労働時間を一日八時間且一週四十八時間に制限する条約」は、つぎのように八時間労働の原則を規定した。

 国際労働機関の総会は、

 亜米利加合衆国政府に依り千九百十九年十月二十九日華盛頓(ワシントン)に招集せられ、

 右華盛頓総会の会議事項の第一項目たる「一日八時間又は一週四十八時間の原則適用の件」に関する提案の採択を決議し、且該提案は国際条約の形式に依るべきものなることを決定し、

 国際労働機関の締盟国に依り批准せらるが為、国際労働機関憲章め規定に従い、千九百十九年の労働時間(工業)条約と称せられるべき左の条約を採択す。

 第一条〔略〕

 第二条

 同一の家に属する者のみを使用する企業を除くの外、一切の公私の工業的企業又は其の各分科に於て使用せらるる者の労働時間は、一日八時間且一週四十八時間を超ゆることを得ず。

 但し、左に掲ぐる場合は、此の限に在らず。

⒜本条約の規定は、監督若は管理の地位に在る者又は機密の事務を処理する者には之を適用せず。

⒝法令、慣習又は使用者の及労働者の団体、若は斯る団体なき場合に於ては使用者の及労働者の代表者聞の協定に依り、一週中の一日又は数日に於ける労働時間を八時間未満と為したるときは、権限ある機関の認許又は前記団体若は代表者の間の協定に依り、該週中の他の日に於て八時間の制限を超ゆることを得。但し、本号に規定する如何なる場合に於ても一日八時間の制限を超ゆること一時間より多きことを得ず。

⒞被用者を交替制に依り使用する場合に在りては、三週以下の一期間内に於ける労働時間の平均が一日八時間且一週四十八時間を超えざる限り、或日に於て八時間又或週に於て四十八時間を超えて之を使用することを得。

 八時間労働制は世界各国の労働者の共通の要求、たたかいの目標であり、日本でもこの時期に八時間労働制を要求する労働者のたたかいがひろまっていた。それはまた、マルクスが特別の意義をあたえ、「国際労働者協会」でも提起し、重視しつづけてきたことでもある。同様に、児童や年少者の保護、教育も労働者階級の重要な任務として、マルクスが強調しつづけてきた問題であることも指摘しておこう。それが、国際条約として採択されるにいたったのである。 パリ講和会議は、労働条件の改善という点でもきわめて重要な画期的意義をもったのである。 適用除外例などもあるとはいえ、一九一九年、すなわち八十三年前の時点での労働条件についての世界の到達点をしめすものである。 なお、ILO事務局は、ベルサイユ平和条約第十三編労働を、一九三四年九月の第六八回理事会の議事委員会の承認を得て、国際労働機関憲章(Constitution of the lnternationa1 Labour organization)と呼称するとともに、第三八七条を第一条とした。この名称は、その後、例えば一九三六年の第二〇回総会が土民労働者募集条約(第五〇号)を採択するにあたって、その第十五条で国際労働機関憲章の名称を使用したごとく、条約中にも使用されるようになった。しかし、国際労働機関憲章という名称がはじめて正式に用いられたのは、一九四五年の第二七回総会で採択された憲章改正文書においてである。

 フィラデルフィア宣言

 ILOの歴史でもう一つ注目しなければならないのが、一九四四年の第二六回ILO総会が採択した「フィラデルフィア宣言」、正確には「国際労働機関の目的に関する宣言」である。 フィラデルフィア総会が聞かれた一九四四年四月二十日から五月一日という時期は、反ファシズム・反軍国主義連合の勝利が確定的となり、連合国、とくにアメリカは戦後の世界構想をねっている時期であった。 この時期にILO総会がフィラデルフィア宣言を採択し、これをILO憲章にならぶ宣言にしたことは、第二次大戦後の世界に対処するためであったと、飼手真吾・戸田義男『ILO・国際労働機関』(日本労働協会、一九六六年)は指摘している。

  「ILOがこのような宣言を採択したのは、一九一九年に設置されて以後における経験とこれから学び得た教訓に照らして、第二次大戦後の世界に対処するため、前文または憲章第四一条に掲げる目的・原則を、あるいは修正しあるいは拡張する必要があると認めたからにほかならない。ルーズヴェルト大統領(FranklnD.Roosevelt)も、このフィラデルフィア宣言について、二回の大戦を経験した一時代の願望を要約したものであり、アメリカの独立宣言に比すべき歴史的価値を当然に獲得するであろうと述べた。総会は、さらに二日後の五月一二日にフィラデルフィア宣言を平和条約の中に合めるべきであるという決議(Resolt concerning social provision in the peace settlment)を採択した。第二九回総会(一九四六年九月一九日~一〇月九日 モントリオール)は、右の決議に表明された希望を実現する最良の方法はフィラデルフィア宣言をILO憲章に織りこむことであると認め、ILOの設置は前文のほかにフィラデルフィア宣言に掲げた目標を達成するためであると改めると共にフィラデルフィア宣言をILO憲章の附属書とする憲章改正文書を採択した。フィラデルフィア宣言は、このようにILO憲章に織りこまれることによって憲章の規定たる効力を与えられることとなった。」(同書、三四ページ)                                 

「フィラデルフィア宣言」は、第一項で、国際労働機関の根本原則を再確認する四原則をあげている。

労働は、商品ではない

表現及び結社の自由は、不断の進歩のために欠くことができない

一部の貧困は、全体の繁栄にとって危険である。

欠乏に対する戦は、各国内における不屈の勇気をもって、且つ、労働者及び使用者の代表者が、政府の代表者と同等の地位において、一般の福祉を増進するために自由な討議及び民主的な決定にともに参加する継続的且つ協調的な国際的努力によって、遂行することを要する。

 さらに第三項では、「完全雇用及び生活水準の向上」はじめ十項目をあげ、これを達成するための計画を世界の諸国で促進することをILOの「厳粛な義務」としている。

 総会は、次のことを達成するための計画を世界の諸国間において促進する国際労働機関の厳粛な義務を承認する。 

⒜完全雇用及び生活水準の向上

⒟熟練及び技能を最大限度に提供する満足を得ることができ、且つ、一般の福祉に最大の貢献をすることができる職業への労働者の雇用

⒞この目的を達成する手段として、及びすべての関係者に対する充分な保障の下に、訓練のための便宜並びに雇用及び定住を目的とする移民を含む労働者の移動のための便宜を供与すること。

⒟賃金及び所得並びに労働時間及び他の労働条件に関する政策ですべての者に進歩の成果の公正な分配を保障し、且つ、最低生活賃金による保護を必要とするすべての被用者にこの賃金を保障することを意図するもの

⒠団体交渉権の実効的な承認、生産能率の不断の改善に関する経営と労働の協力並びに社会的及び経済的措置の準備及び適用に関する労働者と使用者の協力

⒡基本収入を与えて保護する必要のあるすべての者にこの収入を与えるように社会保障措置を拡張し、且つ、広はんな医療給付を拡張すること。

⒢すべての職業における労働者の生命及び健康の充分な保護

⒣児童の福祉及び母性の保護のための措置

⒤充分な栄養、住居並びにレクリエーション及び文化施設の提供

⒥教育及び職業における機会均等の保障  

いずれも、今日生きている課題である。フィラデルフィア宣言がしめす連合国とILOの戦後構想は、完全雇用と福祉増進を軸にした福祉国家である。ポツダム言言の受諾にともなって制定された日本国憲法もこの流れにそったものである。いま吹き荒れているリストラの名の解雇の嵐と福祉の後退は、ILOに復帰し、日本も認めるILO宣言に完全に逆行するものであるが、そのことについてはあとでもう一度ふれることにする。    

国際連合のもとで

 第二次世界大戦後国際連盟は解体し、一九四五年十月二十四日、国際連合が創設されたのにともない、ILOは国連と協定を結んで、国連の専門機関として活動することになった。国際連合憲章は、前文で、「基本的人権と人間の尊厳及び価値と男女及び大小各国の同権」「一層大きな自由の中で社会進歩と生活水準の向上」「すべての人民の経済的及び社会的発達」をうたっている。 そして第九章に「経済的及び社会的国際協力」を設け、つぎのようにのべている。

第9章 経済的及び社会的国際協力

第55条 人民の同権及び自決の原則の尊重に基礎をおく諸国間の平和的且つ友好的関係に必要な安定及び福祉の条件を創造するために、国際連合は、次のことを促進しなければならない。

a一層高い生活水準、完全雇用並びに経済的及び社会的の進歩及び発展の条件

b経済的、社会的及び保健的国際問題と関係国際問題の解決並びに文化的及び教育的国際協力

c人種、性、言語又は宗教による差別のないすべての者のための人権及び基本的自由の普遍的な尊重及び遵守

第60条 この章に掲げるこの機構の任務を果たす責任は、総会及び、総会の権威の下に、経済社会理事会に課せられる。理事会は、このために第10章に掲げる権限を有する。

 国連憲章は、国際連盟憲章と同様、国際の平和と安全、「永続する平和」の基礎として経済的、社会的進歩を考えたのである。世界人権宣言では「人類進歩のすべての構成員の固有の尊厳と平等で譲ることのできない権利とを承認することは、世界における自由、正義及び平和の基礎である」(前文冒頭)と宣言されるのである。 ILOは、戦後を見通しての「フィラデルフィア宣言」で発展させた方向で活動することになるのである。 ILOの戦後の条約、勧告をみても、「結社の自由及び団結権の保護に関する条約」(第八十七号、一九四八年)、「団結権及び団体交渉権についての原則の適用に関する条約」(第九十八号、一九四九年)、「同一価値の労働についての男女労働者に対する同一報酬に関する勧告」(第九〇号、一九五一年)、「強制労働の廃止に関する条約」(第百五号、一九五七年)などをはじめ、今日にいたるまで労働者階級に役立つ多くの条約、勧告を採択している。そして日本国憲法が、「国民の権利及び義務」について先駆的な規定をおこなったことについては、先にのべたところである。それにしても、一九一九年-つまり八十三年まえ、二つの帝国主義ブロックの双方からの帝国主義戦争であった第一次大戦の講和会議=パリ講和会議で、どうして以上みたような労働条件に関する条約が生みだされるにいたったのであろうか。結論を先にいえば、労働者階級の歴史的なたたかいの成果の到達点としての産物である。 (引用ここまで 

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

本気で死にたい若者が増えた経済大国ニッポン!命を奪った徴兵制下の日本と同じ!若者よ、闘うしかない!

2013-10-23 | 日記

TBSのニュースを視て驚きました。とうとう、ここまで来てしまったか!ため息が出てしまいます。以下ご覧ください。

TBS「本気で死にたい」就活学生の2割が回答(18日17:37)

20代の若者による自殺のうち、就職に失敗したことが原因の、いわゆる“就活自殺”が増えています。こうした中、就職活動中の学生への意識調査で2割の学生が「本気で死にたい」と考えたことがあると回答しました。警察庁の統計では、去年、全国の自殺者の数は15年ぶりに3万人を下回りましたが、20代の若者の自殺が増加していて、このうち、“就活自殺”したとみられる若者は149人に上っています。さらに、東京のNPO法人が7月に都内で就職活動中の大学生122人を対象に意識調査を行ったところ、2割にあたる26人が「本気で死にたい。消えたい」などと考えたことがあると回答しました。「正社員にならなければ、生活が成り立たないというくらい、安定的な職に緊急避難的にでも就かなくてはならないという意識が非常に強いのではないか」(NPO法人「ライフリンク」清水康之 代表) 背景には、内定を取れないことに対する不安や焦りに加えて、7割の学生が企業側から不採用の連絡すら無かったという経験もしていて、企業の対応も問われています。(引用ここまで

こうした事実は、以下の本に予告されていました。95年に日経連が発表した「新日本的経営」路線以降、とりわけ顕著になったきたように思います。職場でも、この路線の変更を求める運動を論じ合ったものでした。しかし、その後の日本は、この路線の何たるかを浮き彫りにしました。

今野晴貴『ブラック企業』(文春新書12年11月刊)

森岡孝二『就活とは何か―<まともな働き方>の条件 』(岩波新書11年11月刊)

島本慈子『ルポ解雇 ―この国でいま起きていること―』(岩波新書03年10月21日刊)

ところで、愛国者の邪論の青年時代は、遠い世界に 五つの赤い風船 君の祖国_などを涙しながら歌い明日のあることを信じて、「青春の門」や「青年は荒野をめざす 」を読み歌い、「啄木の時代閉塞の時代」などを読みふけり、マルクスやレーニンの著作、宮本顕治『日本革命の展望』などを読み、ベトナム・沖縄・安保を「学友」と論じ合ったものでした。貧乏学生でありながらも、島田豊『現代の知識人』(青木書店)などを読み、卒業後の進路、生き方を模索したものでした。

こうした青年の苦悩と模索は、いつの時代でも同じであることは、学ぶなかで励まされたものです。「俺だけではない」「俺のようなものこそ」でした。そのことは、あの明治「維新」に走り回った青年たちも同じでした。いつの時代にも、次の時代のさきがけとなるのは青年だからです。これはレーニンの「青年同盟の任務」やニコラーイ・オストロフスキー 『鋼鉄はいかに鍛えられたか』にも書かれていたことでした。

現代日本社会は、人間を息苦しくさせてしまう社会でありながら、日々垂れ流される諸事実は、ある意味他人事であり、ある意味他人をバッシングすることであり、ある意味イノベーションであり、人間の尊厳を奮い起こし、連帯を創出する報道は少ないように思います。格差がなくなるのではなく、日々拡大している現状が、どうのような風潮の下で行なわれているか、社会の深部に入り込んで解明していくことが必要なような気がします。

愛国者の邪論の記事が、こうした若者へのメッセージを込めて発信していることを強調しておきたいと思います。愛国者の邪論などは、年齢的にみても、残された時間は、限りが見えてきています。日々の言葉は遺言のようなものです。

坪野哲久 憎むより愛することのやすらぎをわが生涯の結語となさん

というような心境に、未だ達しない日々ではありますが、以下の心境でおります。

あの頃は命が終わることなどは考えたことなどありません

今はただ平和のための言の葉をキーに打ちつつ結語となさん

ロスタイム息ある限り楽しまん歴史の息吹見届けながら

今日もまた生きる証を遺しつつ古池に棲む蛙とならん

今思う臨終までにできること今の大切繰り返すのみ

限りある命燃やして果てる瞬間(とき)歴史に生きた証さがして

限りある時の大切刻みつつさえずる鳥に唇舌(くち)で応えて

それでは、何故、このような息苦しい世の中になったのか、以下をご覧ください。

島本慈子『ルポ解雇 ―この国でいま起きていること―』(岩波新書03年10月21日刊)

はじめに

 二〇〇三年六月二七日、参議院本会議で、解雇ルールの新設を含む労働基準法改正案が可決され成立した。日本の戦後の転換ともいえる有事法制と、ほぼ同時進行で審議されてきたこの法律は、メディアの注目を浴びることもなく、ひっそりと成立した。しかし、その審議の過程に現われたものは、有事法制に劣らず、あるいはそれ以上に、この国のいまを映しだしている。解雇について取材を始めていた私か、労基法の改正について、「このままではとても怖いことが起きる」と感じたのは、二〇〇二年一二月。上京して、日本労働弁護団の鴨田哲郎幹事長を訪ねたときである。そのころ、厚生労働省の労働政策審議会・労働条件分科会で、労基法改正についての審議が大詰めを迎えていた。改正の最ホンネのポイントは「解雇ルールの新設」である。(略)          

第一章 構造改革のホンネが現われた解雇ルール……1

解雇自由宣言          2

ラッピングと爆弾        7

最も身近な構造改革       21

審議会という傀儡        27

ホンネ迷走とホンネ         38

第二章 不当解雇の実態が語るモラルの崩壊………41

解雇理由はこうして作られる   42

リストラはこうして遂行される  49

刑事犯はこうしてでっちあげる  56

内部告発はこうして潰される   65

第三章 労働裁判に見る『法の下』の不平等………75

法曹がつくる嘘つき天国  76

警察と化した会社で    91

人の心が見えますか?   98

労働司法の後進国から   102

解決にならない勝訴    114

第四章 クビ切りさえも溶けていく ………………125

理屈がねじれた改正案   126

ものいうパートヘの凌辱  131

青年を飲みこんだ水脈   138

すりきれていく憲法    144    

第五章 ILO条約はなぜ批准されない?…………151

「解雇できる」の破壊力  152      

グレーゾーンの攻防   157   

エリートとアザーズ   163

雇用の解体と人間の解体  178

ILO条約はなぜ批准されない?  191 (これについては昨日の記事をご覧ください)

資料              206

改正労働基準法(抜粋)/衆議院厚生労働委員会   

附帯決議/参議院厚生労働委員会附帯決議(引用ここまで

次は、森岡孝二『就活とは何か―<まともな働き方>の条件 』(岩波新書11年11月刊)です。

働き方はなぜ改善されないか

結論から先にいえば、働き方が改善されないのは、政治と政府がこの課題に取り組まなかったからである。というより、政府は働き方に関して、一九八七年以降、一連の規制緩和を行い、働きすぎにブレーキをかけるどころかアクセルを踏む役割を果たしできたからである。労働時間制度を例にとれば、八七年の労基法改定によって、「一日八時間・一週四八時間」から「一週四〇時間・一日八時間」に変えられたが、この移行を無条件に評価することはできない。もともとは一日の労働時間の上限がまずあって、そのうえで一週の労働時間の上限が決まっていた。ところが、改定後は一週の労働時間の限度がまずあって、一日八時間は一週四〇時間の割り振りの基準に?とされた。その狙いの一つは、人びとの生活の基本的単位である一日を伸縮可能なものとして取り扱って、一日の労働時間の規制を緩和し、変形労働時間制〔一週平均四〇時間以内の範囲で、割増賃金を支払うことなく、業務の繁閑や特殊性に応じて、法定労働時間を超えて労働させることができる制度〕を拡大することにあった。

 また、八七年の改定では、事業場外みなし労働時間制と裁量労働制が導入された。前者は、使用者の指揮監督が及ばず、労働時間の算定がむずかしい事業場外の労働について、実際に働いた時間と関係なく、所定労働時間または通常必要とされる時間だけ働いたものとみなして、その時間を基準にして賃金を支払う制度をいう。後者の裁量労働制は、業務の性質上、使用者が時間配分に関し具体的な指示をすることが困難であるという理由で、労働時間の決定を労働者本人の裁量に任せ、労使間で合意した時間を労働したものとみなす制度をいう。この二つの制度は、残業を何時間したかを逐一管理しない点で、労働時間規制の通用を緩和し、サービス残業を「合法化」する面がある。(引用ここまで

どうでしょうか。スリカエを許してきた社会というか、権力の思惑を何としても打ち破る国民的知恵を編み出していく必要があるように思います。以上の二つ著作で、重大なことを落としていることに気づきます。ここに現代日本の病理があるように思います。それは労働法制を「改正」したのはどの政党か、とうことです。

憲法の議会制民主主義の時代です。国権の最高機関である国会で、法律が制定されて、それが私たちの暮らしに突き刺さってくるのです。誰が、何故、このように国民を苦しめる法律を制定しているか。私たちは「正当に選挙された国会における代表者を通じて、われらとわれらの子孫のために行動」するのが民主主義です。このことを暴いていかなければと思います。

そこで、今日の朝のNHKラジオでとんでもないことが話されていました。NHKの解説委員さん曰く、国会で野党がまとまらないのは、共産党が悪いということのようです。それは、いい面ではスジを通すこと、もう一つはユーズーが利かないからだそうです。他の野党が共産党と一緒になれないのは、そのような共産党の側の問題、しかも他の野党の支持者のもつ共産党アレルギーがあるので、共産党とは一緒になれなれないのだ、ということのようです。

一つひとつの法律について、具体的な政策の中身を抜きにした、曖昧な風評的な、井戸端会議的談義、うわさ話のような話が公然と電波をとおして流布されているのです。これぞ共産党政治風評と言えないでしょうか。フクシマと聴いただけで、避けてしまう、この風評被害と同じではないでしょうか。共産党風評被害が、どのような「効果」と「害悪」をもたらしているか、以下記事にしましたので、ご覧ください。

こうした共産党風評被害、政治風評被害が、政治不信を煽り創り出し、国民をいじめる政権とそれをささえる財界やアメリカを免罪しているのです。ここに目を向ける、顕微鏡のような国民的目を創り出していくことが、今こそ、求められているのだと思います。

実体経済論を主張しているようでマネーゲーム路線の転換に踏み込まない朝日の規制緩和論はこれだ!4(2013-07-16 15:10:14)
非正規労働野放しの規制緩和論を徹底批判しない朝日がアベノミクスの枠内で日本再生を、とゴマカス!3(2013-07-16 14:45:12)
これが大企業優先派を鮮明にしながら国民目線と憲法遵守精神を忘れた朝日新聞綱領違反社説だ!大喝!2(2013-07-16 12:25:28)
政党と国民に我慢を説く朝日の安倍応援偏向浮き彫りに!富裕層弁護の裏の非正規貧困者今こそ決起せねば!(2013-07-16 10:35:26)
毎日新聞の世論調査は、経済大国ニッポンの真実を明らかにしない偽りの世論調査・誘導選挙だ!大大喝!(2013-07-15 22:59:31)
多国籍企業・大企業と国民との格差拡大の真因を探らないマスコミの報道では真の対決構図は見えない!(2013-07-15 13:12:25)
非正規労働を増やしてきた真因を隠蔽する東京など日本のマスコミの大罪は深刻!これは選挙報道でも同じ!(2013-07-15 10:17:42)
非正規労働者と正規労働者などの団結連帯を強め暫定救国国民連合政権構想提唱で美しき流れと風を!の声を!(2013-07-14 20:46:01)

コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

経済成長・規制緩和のゴマカシスリカエ言葉ではなく憲法と労働法の徹底化による労働者人間保護を今こそ!

2013-10-22 | 日記

「特区」「特区」ばやりです。「特区」と名が付けば、経済はバラ色であるかのような印象操作が行なわれています。同時に「経済成長」「成長戦略」という言葉にみられるように「経済が成長」すれば、これまた国民の暮らしも変わるのではないだろうかという印象操作が行なわれています。このことは「景気回復」「新自由主義」などという言葉も同様です。

同時に「規制緩和」という言葉も、誰が考えたのか、実に巧妙です。これはコメ輸入「自由化」も同じです。「規制」からの「自由」とか、「緩和」というだけで、何か、良いことであるかのような印象があるのではないでしょうか。新聞のテレビのニュースもテレビに登場する多くのコメンテーターも、この言葉を無自覚的に、或いは意図的に使っています。

このようなスリカエ言葉は、憲法「改正」という言葉に象徴されています。本来は「改悪」なのに、「改正」なのです。「憲法は旧くなったから新しいものに」論は、旧くなった家を買い換える話のレベルと同じように振りまくのです。また「新しい人権の問題も出てきた」、いわゆる「活憲」論も同様です。極め付きは「アメリカに押し付けられた」論です。TPPやアメリカの核の傘の下における安全保障政策を積極的に使っている安倍自民党なのに、この「押し付けられた憲法」論が、「改正」の根拠になって、世論調査では、時には憲法「改正」が多数派になることがあるのです

こうした偽り・ゴマカシ・スリカエの犯罪性は歴史的にも証明されています。その象徴的用語は「治安維持法」です。「治安」を「維持」する法律だから、良いのではないかという印象を持ちます。具体的な中身など何も知らなくても、です。この治安維持法が、当初は「違反者」には懲役10年を課していましたが、それでも共産党の活動が根絶やしにできないので、制定後の約3年後、今度は、「死刑」条項に「改正」することになったのです。しかし、これは当時の国会では議論すらせず、昭和天皇の「勅令」という命令で「改正」したのです。この「改正」「治安維持」法が、どのような役割を果たしたか、その後の歴史を、ありのまま見れば、またそのまま勉強すれば、誰の目にも判ることです。

その「改正治安維持法」の思想を受け継ぐ「特定」「秘密保護」法案が国会に上程されようとしています。これまた「特定」という日本語が巧妙です。しかもその「特定」の部署、「特定」の情報に対して、それが公開、暴かれると、国家的損失、「安全保障」上問題だからということで、「秘密」を「保護」しようという法案が準備され、上程することを自民党と公明党が決定したと報道されています。

公明党などは、知る権利など、「配慮」することが取り入れられたと胸をはっているのです。ブレーキ役を任じていましたが、実は、いつものように悪政推進の背中を押しているのです。これが「決める政治」の実態、「ねじれ」解消の実態だったのです。しかし、このようなことは、前々から判っていたことです。歴史を見れば、の話です。

ところで、権力者というか、権力者をとりまくイデオログーというか、取り巻き連中というか、ブレインというか、彼らのつくる言葉を垂れ流すマスコミ・マスメディアの無批判的な報道と言葉の印象操作というものは、実に上手いものだ、巧妙だなと思います。そうした企みをどのように暴き打ち破るか、国民的課題のような気がします。

この「特定秘密保護法」問題については、別項で記事にしますが、今日の本題は、労働者・人間の尊厳を根底から崩す巧妙な日本語、「特区」に焦点をあててみようということです。下記の社説を読み比べながら、その違いと、日本国憲法の人権規定、とりわけ労働基本権について、更に、この労働基本権が国際社会の、今や死滅語となった感のある労働者階級、別の言葉で言えば働く人びとのたたかいによって創り出されたもの、憲法第97条の言葉で言えば、「人類多年にわたる自由獲得の努力の成果」「過去幾多の試錬に堪へ」た権利、「現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託された」権利であることを検証してみようと思うのです。

まず、国民・労働者の立場から書かれたものは、愛媛新聞でしょうか。これはアッパレ!記事です。しかし、最後の「政府に求めたい」という部分は、どうでしょうか。こうした表現が、本当のところで憲法の理念を前提にしているかどうか、大いに疑問です。政府にも、国民にもいい顔をしていると言われても仕方ないのではないでしょうか。基本的人権は「国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない」ものです。この視点は新聞とて同じです。

愛媛 「解雇特区」見送り/改革の方向性人重視に転換を 2013/10/22 10:06
http://www.ehime-np.co.jp/rensai/shasetsu/ren017201310222629.html

…解雇の条件や手続きを明確化し、事前の契約に沿えば解雇できる—とする制度の導入は、企業や経済界に都合がよく、立場の弱い労働者には圧倒的に不利。急速に進む雇用の非正規化、不安定化を一層加速させかねず、到底容認できない。「解雇特区」「ブラック特区」という批判は免れず、見送りは当然だ。そもそも、労働者の権利を守る労働法制の理念や、憲法が保障する基本的人権の一つである雇用ルールの適用を、特区だからといって除外することは許されない。政府は、安易な解雇を助長するような「雇用の質」の悪化に加担してはならず…急ぐべきは正規非正規を問わず安定的に働ける仕組みづくりと、賃金増などによる雇用の底上げであることを強調したい。…何度もついえたはずの規制見直しの議論も、手を替え場を変え、続いている…企業重視から人材重視へ、グローバル化にのまれないための改革こそを、政府に求めたい。引用ここまで

次は信濃毎日新聞です。これもアッパレ!記事ですが、せっかく労働基本権擁護の立場から書きながら、やはり最後の「これまで同様、結局は当事者の企業や自治体の知恵とやる気にかかっている」と、第三者的な表現になってしまっているのです。憲法擁護の立場はどうでしょうか。「経済界には労働規制の緩和を求める声が根強い」「働く人の権利を弱める」風潮が強い中、どうすれば、労働者の人権を守れるか、そのことを曖昧にするような立場で、労働者は共感するでしょうか。問題と言わなければなりません。

信濃毎日 国家戦略特区/雇用分野はなじまない 2013/10/21 10:05
http://www.shinmai.co.jp/news/20131021/KT131019ETI090006000.php

特定の地域に限って規制を緩める「国家戦略特区」の具体策が決まった。焦点となった従業員を解雇しやすくする「労働特区」は見送られた。当然の判断だ。いくら外資系企業の進出を促すためでも、働く人の権利を弱める規制緩和は問題がある。この特区が口火を切り、全国に広がる可能性もあった。経済界には労働規制の緩和を求める声が根強い…特区内では、企業と労働者が解雇の条件や手続きを事前に契約しておけば、解雇をめぐる裁判においても契約に基づく解雇が優先される、というルールを提案していた。これでは契約通りに仕事を達成できなければ「即刻解雇」ともなりかねない。働く人の権利は、ほかの規制とは根本的に異なる。憲法が保障する基本的人権の一つである。解雇ルールの緩和は「特区になじまない」とする厚労省の言い分はもっともだ。最終的に決まった特区の具体策は▽公立学校運営の民間委託を認める▽東京五輪に向け都心の高層ビルを建てやすくする▽農地に農家レストランを認める▽外国人の医師、看護師を広げる—など。小泉政権の「構造改革特区」などは地域からの提案によってつくられたが、今度は国主導で規制緩和策などを決めている。何百とできて空振りも多かった今までに比べ、特段の利点はあるのか。経済再生につながるかは疑問だ。特区は関連法案の成立後、来年度から各地で始まる。これまで同様、結局は当事者の企業や自治体の知恵とやる気にかかっている。引用ここまで

次はスリカエの極致、姑息の朝日新聞の社説です。テーマは労働者の味方のようで、勇ましいようですが、いつものようによく読むと玉虫色、解雇容認なのです。それは、「政府の産業競争力会議」批判に徹しているかのように書かれていますが、実は、同じ「政府の規制改革会議の雇用ワーキンググループ」の「仕事の内容を具体的に決め、さらに解雇が有効になる判断基準について労使と司法のコンセンサスをつくろう」「最終的には、立法や通達で明確にしよう」との「提案」を評価し、「実現しても権利の乱用は認められないことを確認することも忘れなかった。こちらの方がはるかに建設的な提言」だというのです。

同盟を引き継いだ連合のような労使協調路線の労働組合が跋扈している日本、政労使会議など政府機関への参加やその運動を新聞で紹介されない全労連を差別している実態を見れば、トリック極まりないことが判ります。「すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ」(憲法27条)の勤労の権利擁護の思想はまるでありません。これは労働者・国民の立場からすると、容認と言えます。 

朝日新聞の労働者と労働組合、或いは新聞関係の労働組合と労働者は、このような社説を書く委員の皆さんをどうのようにみることでしょうか? 

ところで朝日新聞は、時間が経過するとネット上では抹消されてしまいますので、全文を掲載しておきます。

朝日 解雇特例特区/あまりに乱暴な提案だ 2013/9/27 4:00
http://www.asahi.com/paper/editorial.html#Edit1?

いくら「特区」だからといって、雇い主の権利の乱用は認められない。政府の産業競争力会議で、解雇や労働時間などの規制を緩和した特区をつくる提案があり、安倍首相が厚生労働省に検討を指示した。特区内にある開業5年以内の事業所や、外国人社員が3割以上いる事業所への適用を想定しているという。特に問題なのは、解雇規制の緩和だ。現行ルールでも、企業には従業員を解雇する権利がある。ただし労働契約法16条で、その解雇が「客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合」は権利の乱用になり無効としている。今回の提案は、ここに特例を設け、「特区内で定めるガイドラインに適合する契約に基づいていれば、解雇は有効」と規定するという。解雇へのハードルが下がり、トラブルも防げるので、企業が多くの人を雇ったり、高い給料を払ったりできるようになる。そんな主張である。雇用契約に、解雇の要件を明確に記すこと自体は、推進すべきことだ。だが、実際に解雇が正当かどうかでもめた場合、契約の文言だけでなく、働かせ方の実態をみて判断するしかない。社員の成果の測り方ひとつとっても、業務に必要な資源や環境を与えられていたかどうかに左右されるはずだ。競争力会議側は、仮に裁判になった場合、契約を優先させるよう求めているが、あまりに乱暴な議論だろう。今回の提案は企業側が一方的にリスクを減らすだけではないか。日本で正社員の解雇が難しいといわれるのは、ある仕事がなくなっても、従事していた人をすぐに解雇せず、他にできる仕事がないか探す義務が企業側にあるとされるからだ。ただ、それは「辞令一本で、どこででも、なんでも、いつまでも」という無限定な働かせ方と表裏一体の関係にある。そこで、仕事の内容を具体的に決め、さらに解雇が有効になる判断基準について労使と司法のコンセンサスをつくろう最終的には、立法や通達で明確にしよう——。政府の規制改革会議の雇用ワーキンググループは今年5月末にこんな提案をしたただし、それが実現しても権利の乱用は認められないことを確認することも忘れなかった。こちらの方がはるかに建設的な提言ではないだろうか。引用ここまで

最後です。憲法が保障している、労働基本権すなわち企業の横暴を規制する労働基本権を崩す「規制緩和」路線の模範的社説を以下紹介しておきます。

日本経済 「限定正社員」を意義ある制度にするには 2013/9/26 4:00
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO60196670W3A920C1EA1000/

読売 競争力強化法案/成長戦略の具体化へ成立急げ 2013/10/20 2:00
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20131019-OYT1T01127.htm

日経 規制改革の再起動で既得権打ち破れ2013/9/30 4:00

 

社説以外の典型的憲法違反・形骸化論である「規制緩和」論を吹聴するイデオログーたちとその所属している部署の一つを以下に掲載しておきます。ご検討ください。これらをマスコミがどのように報道しているか、そこに「世論」の実態があるのではないでしょうか。 

五輪向け東京を特区に規制緩和 - YouTube 2013年9月12日

平成25年9月13日 経済財政諮問会議 - 首相官邸 2013年9月13日

諮問会議「予定通り増税ならリスク小」 消費税で意見まとめる :日本経済 .2013年10月1日

経済財政諮問会議の民間委員「投資促す成長戦略を」 :日本経済新聞 2013/10/17 19:54

法人税率下げ選択肢、来週に政労使協議開始へ=経済財政諮問会議 ... 2013年9月13日

経済財政諮問会議とは - はてなキーワード - はてなダイアリー

ところが、こうした報道に対して、日本国憲法下のベクトルは、「規制緩和」論に比べれば、少数ですが、まだ働いています。これも国民的運動と世論の力の一端でもあります。以下をご覧ください。 

国家戦略特区を考える~ 9/10 NHKラジオ 内橋克人さんのお話 - いま ... 2013年9月10日

第5回 規制緩和の経済学 ―内橋·中野 ... - 農業協同組合新聞

クローズアップ現代が見つめた17年 - NHKオンライン

最後は、「新自由主義」「規制緩和」の名の下に現在の労働者・国民を、資本主義の始まった頃、すなわち産業革命期に引き戻し、まさにボロくそ扱い、ボロ雑巾のように使い捨てる現代日本を日本国憲法と労働基本権思想と条文を使っていかに守るか、それらが国際社会と日本における労働者などの血みどろのたたかいのなかで創られたものであることを記した書物を紹介しておきます。

吉岡吉典ILOの創設と日本の労働行政』(大月書店09年12月)より

はしがき

 私は、一九九八年八月七日から二〇〇一年一月三十日まで、参議院労働社会政策委員会の委員長をつとめた。委員長となると委員会での質問の機会がいっさいない。それにくわえて。不偏不党の立場を貫くうえからも委員長として委員会外での活動はおこなわないという慎重な配慮にもとづいてとられた方針にそって委員会外での行動はいっさいひかえ、委員会運営に専念した。こういう事情で労働組合にあいさつに行くことも、職場の視察やたたかう労働者の職場を訪れることもあえておこなえなかったことをお許しいただきたい。                         

 私が委員長をつとめた二年半は、労働基準法の抜本改定―私は抜本的改悪と考えるが-をはじめ、日本の労働法制、労働行政が大きな転機に直面したきわめて重要な時期だった。私はこのことに深い憂慮をもちながら、二年半の間日本と世界の労働者階級のたたかい、労働運動の到達点をふまえて今日の労働問題、労働行政、労働法制をとらえようと努力してきた。とくに世界の労働運動の成果としてのILOの創設と労働保護政策の発展などについて調査研究をしてきた。

 私の問題意識は、つぎの二点であった。

 第一は、八時間労働制をはじめ労働基本権確立の世界の到達点を正確にとらえておきたいこと。第二は、世界第二の経済大国といわれる日本で過労死が問題になり、サービス残業という名のただ働きがまかりとおっているという世界各国に比してのおくれがなぜおきるのかを明らかにすることであった。

 私は、この問題もふくめてここ数年、二十世紀をみつめ直す作業をおこなってきたが、そのなかで明らかになってきたのは、日本は、国際連盟にもILOにも本心から加盟したのではなく、国際的孤立をさけるために心ならずも加盟したものであったこと、したがって世界史の流れにも、世界の到達点にもまた本心から学ぼうとしてこなかったことである。そのことを端的にしめすのが、ILO第一号条約(一九一九年)をいまだに批准していないことである。

 こうした政府のもとで、日本の労働の権利を高めるうえでもっとも必要なことは、労働組合と労働運動をつよめることだというきわめて当たり前のことであるということである。労働者階級の解放は、労働者階級自身の手でたたかいとらなければならないこと、「資本は社会によって強制されるのでなければ、労働者の健康と寿命にたいし、なんの顧慮も払わない」(マルクス)ということは、いまも生きている真理だと考えるからである。

 二十世紀は、戦争と平和の問題でも、民族自決の問題でも、人権の面でも、労働者階級の権利と労働条件の問題でも大きな歴史的進歩をとげた世紀であった。

 もちろん、これらの問題が根本的に解決したわけではなく、そのすべての分野で今日も進歩と反動の激しいたたかいがつづいている。

労働者階級の生活と権利という問題をみても、わが国では世界でも例のない。“過労死”“サービス残業問題”などにくわえて、この数年日本の労働者階級が日々体験しているようにいわゆる。“リストラ”という名による解雇と賃下げ、労働条件の悪化の攻撃と労働基準法の歴史的な改悪をはじめとする労働法制の全面的改悪が強行されるなかで二十一世紀を迎えた。

 労働者階級の生活と権利の新たな向上をかちとり、二十一世紀を労働者階級にとって希望のもてる世紀にするために、労働者階級にとって二十世紀がどんな世紀であったかを、ILO結成、八時間労働制の確立を中心にすえてあらためて検討しながら、日本の労働行政の実態を明らかにしてみたい。

序章 ILOの到達点と日本の現状

1.労働条件についての国際的到達点

日本の労働者は今日、法的には、日本国憲法第二十七条(勤労の権利及び義務、動労条件の基準、児童酷使の禁止)にもとづく労働基準法、第二十八条(勤労者の団結権)にもとづく労働組合法をはじめとする一連の労働関連法によって、八時間労働制をはじめとする労働条件および労働三権(団結権、団体交渉権、争議権)を保障されている。労働基準法は、「労使の対等」の基本理念を宣言している。戦前の労働条件とくらべれば画期的な変化である。問題は、これが実際に守られているかどうか、どうしたら守らせることができるかということである。ここでは、まずこうした法的到達点がどのようにして実現したのかということからみてゆくことにしよう。(引用ここまで 

ということを踏まえて、日本、日本のマスコミは、真実を書いているか!検証しながら、吉岡氏の遺言を、遺された者が、いかに受け継ぐか、そのような問題意識で、今、この愛国者の邪論の記事を日々まとめているのです。

それでは筆者が紹介している国際労働基準-ILO条約·勧告一覧 - International Labour Organization をご覧ください。民主主義の成熟した国と言われている日本が憲法の労働基本権問題では、いかに後進国か。中国や北朝鮮をあげつらう前に、日本にける人権の現状を改善しろ!と言うことです。この視点は、愛国者の邪論の一貫した視点です。ご覧ください。

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする