ラジオ放送で、惡七兵衞景清をシテとする謠曲二番を、觀世流銕仙會の出演で聴く。
平家方の武将であった惡七兵衞景清は、平家滅亡後も生き延び、落ちぶれてもなほ源氏打倒の闘志を燃やす忠将で、初めの「大佛供養」では奈良東大寺の大佛再建法會に臨席する源頼朝を狙ふが果せず、手にした刀の靈威を借りてひとまず姿をくらます壮年期の有様、
續く「景清」では、つひに日向國へ流罪となり盲目の老人と成り果てたかつての忠将の、娘との再會にも抵抗を覺える件りが謠はれる。
おそらく同流の大成版謠本「大佛供養」の“曲趣”の項が元ネタだらうが、解説者は両曲とも安徳帝の御座船に侍って周りから羨ましがられたほどの身が、いまでは駑馬(どば)にも劣る身に成り果てたと嘆く一節があり、そこを聴き比べるやう促す。
たしかに前者では壮年者らしい氣骨漲る謠ひだが、後者では年月に晒されて骨も心も脆くなった老ひの現實が、殘酷なまでの冩實さで謠はれる。
天運は尽きても生命(いのち)はまだ尽きず、しかも時勢に遅れて居場所(ところ)を失なへば、昔日以来の忠義もただ虚しいものでしかないことは、どこか現代にも通じる示唆のやうに、私には響いた。