三日間の実習を終へたその道の卵が、挨拶に訪れる。

モノになるもならぬも、
私にもさういふ時があったな──これから自分が飛び込まんとしてゐる世界の空気に触れて、気持ちが高揚したものだ。
その卵に、これからは会ふこともないだらう。
大ひに、問題にぶち当たるべし!
人は、悩むことが生涯のシゴトだ。
あの頃の、活字化された自分の文章を読み返すと、さういふことを真剣に悩むおのれの姿が直情で綴られゐて、その“若さ”が懐かしく、おもしろい。
答へは、その後の人生のなかで、いつの間にか見つけ出してゐるものだ。
あの時の悩みの延長線上に、いまの人生がある。
答へ──現在の生き方そのものが、すなはち答へなり。
その答へに、私は満足してゐる。
それが、分相応な生き方と云ふことだからだ。

モノになるもならぬも、
要は自分次第。
他人(ひと)は、けっきょく最後には他人でしかない。
目標への道筋は、いくらでもある。
おのれで探し当てた道筋の数が、
そのまま人生の幅となる。
そのためにも、
せいぜいアタマの体操をすべし、じゃ。