迦陵頻伽──ことだまのこゑ

手猿樂師•嵐悳江が見た浮世を気ままに語る。

要はアタマの運動会。

2019-05-18 20:35:55 | 浮世見聞記
三日間の実習を終へたその道の卵が、挨拶に訪れる。


私にもさういふ時があったな──これから自分が飛び込まんとしてゐる世界の空気に触れて、気持ちが高揚したものだ。



その卵に、これからは会ふこともないだらう。



大ひに、問題にぶち当たるべし!


人は、悩むことが生涯のシゴトだ。




あの頃の、活字化された自分の文章を読み返すと、さういふことを真剣に悩むおのれの姿が直情で綴られゐて、その“若さ”が懐かしく、おもしろい。


答へは、その後の人生のなかで、いつの間にか見つけ出してゐるものだ。


あの時の悩みの延長線上に、いまの人生がある。


答へ──現在の生き方そのものが、すなはち答へなり。


その答へに、私は満足してゐる。

それが、分相応な生き方と云ふことだからだ。  




モノになるもならぬも、

要は自分次第。


他人(ひと)は、けっきょく最後には他人でしかない。



目標への道筋は、いくらでもある。


おのれで探し当てた道筋の数が、

そのまま人生の幅となる。



そのためにも、

せいぜいアタマの体操をすべし、じゃ。






コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« てつみちがゆく──原町田驛の... | トップ | 文字通りの笑ひ。 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。