迦陵頻伽──ことだまのこゑ

手猿樂師•嵐悳江が見た浮世を気ままに語る。

場所柄のこと。

2018-09-01 23:14:00 | 浮世見聞記
横浜市港北区大豆戸町の八杉神社へ、奉納里神楽を見に出かける。


見たのは「熊襲征伐」。

暴れ者ゆゑ持て余し気味の小碓命(おうすのみこと)をわざと負傷させて大人しくさせるべく、父の景行天皇が熊襲健(くまそたける)の征伐を命じる場面が前半、



後半は敵を油断させるため女に扮した小碓命が、



見事に熊襲健を征伐、



熊襲武の勧めで“倭健命(やまとたける)”と名を改める場面の、二場構成。


若い人たちで構成された社中で、まだ不慣れなのか、囃子方がその場面で演奏するはずの囃子を間違へたり、舞ひ手も振りの“間”を誤ったりなどが散見したが、そのたびに客席側へまわってゐた“座頭”が、舞台へ叱声を飛ばす様が見受けられた。

それで気が引けたのか、それまで最前列にいた幼子連れの若い母親は、途中で席を立ってしまった。


何年か前、某流の猿楽師が能楽堂を借り切り、自分の素人弟子たちのために謡曲仕舞の発表会を開ひたのを、目にしたことがある。

素人弟子の何人かは、緊張で頭が真っ白になったのだらう、舞の途中で棒立ちになってしまった。

すると、諸先輩たちと地謡をつとめてゐたかの猿楽師は、たちまち険しい表情(かお)で激しく自分の膝を打ちながら素人弟子に叱声を飛ばし、ときには立ち上がって素人弟子の手首を掴み、型を矯正した。

見所(客席)には、演者の身内関係者たちが、座って見てゐる。

その目がありながらの猿楽師の振る舞ひに、私は強ひ疑問と不信を覚へた。


──今日、久しぶりにそのことを思ひ出した私は、最後の演目は見ずに、神社をあとにした。
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