大田區立郷土博物館の特別展「矢を放て! ~関東の弓矢、一万年~」を觀る。
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縄文時代の遺跡から大量に出土する鏃(やじり)から、その頃にはすでに存在してゐたと考へられる弓矢を、前半は出土品をもとに考古學的に、中世以降は武士必携の武器として歴史的に繙いていく、かなり内容量の濃い企画展。
主に狩猟道具だったと考へられる古代については、考古學の下地が無い私などには難しかったが、上州高崎の保渡田(ほどた)遺跡から發掘された背中に矢を受けた姿の猪型埴輪の、傷から流血してゐる様を赤い染料で表現までしてゐる藝の細かさには、壱萬年がにわかに最近のことのやうに迫って来るものがあった。
現代手猿樂「那須與一」を舞ふにあたりお参りしたことのある大田區中央六丁目の大田神社のご本尊──“那須與一守本尊”も出品されてゐるのはなかなか貴重であり、この場においてしっかり合掌する。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/0e/8c56f7cc2bbc590e824032445102ef03.jpg?1729770148)
この那須與一も参戰した合戰は、私などは「源平合戰」の名稱で認識してゐるが、近年の研究で“源氏對平氏”と單純化できない諸々の歴史が解明されてゐるらしく、現在では一般的にこの時代の年號を取って「治承・壽永の亂」と呼んでゐるとは、いやはや知らなんだ。