東京都文京區の永青文庫にて、細川藤孝(幽齋)へ宛てた織田信長直筆の書状を數多公開した「信長の手紙 珠玉の60通大公開」展を觀る。
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細川藤孝から始まる肥後細川家の下屋敷跡に建つ永青文庫にて、信長直筆と判明した書状が令和四年に一通發見されたことにより、全六十通の信長直筆の文書を所藏となった當館がこれら貴重文書を通して、戰國の世に強烈な個性を放った織田信長の素顔の一片を照らし見る、興味深い企画展。
誤って逆さまに展示してあってもさうとは氣付かぬであらう無學者の私に筆文字はサッパリだが、“模様”として見ると、グイグイと筆を進めた様子が窺へる雄渾な書体と、丁寧な訳文付きの解説から、究極なところでは孤独であったらう織田信長の姿が浮かんでくる。
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(※案内チラシより)
足利義昭、荒木村重、そして総仕上げが明智光秀と、心許せぬクセ者たちを相手にし、一向に従はない一向宗の「根切(殲滅)」を連呼してゐた信長の唯一頼りにしてゐたのが細川(長岡)藤孝だったと云ふ點からして、すでにこの武将の運命は定まってゐたのではないか。
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今日の友は明日の敵であり、その逆は無かった亂世の有様、令和現在も全く變はらない。
ただ、強烈な牽引力のゐない點だけが、異なるばかりだ。