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迦陵頻伽──ことだまのこゑ

手猿樂師•嵐悳江が見た浮世を気ままに語る。

ごゑんきゃうげん19

2017-04-06 05:18:29 | 戯作
衝撃的だった。

考えてみたら、僕は嵐昇菊がいつ、どこで亡くなったのか、金澤あかりから聞いていない。

女人禁制のしきたりを改めて起用された少女の、その父親が焼失した八幡宮から、遺体となって発見される―

なんと因縁深い事件だろう!

中学生というムズカシイ年頃の金澤あかりが、この事件でいかなるショックを受けたか―

その後東京へ転居したことが、まさにそのあたりの事情を物語っているようだ。

結局、この事件に書き消されたかのように、金澤あかりが奉納歌舞伎で助六を演じた様子を伝える記事は、見つからなかった。

が、朝妻八幡宮の全焼と、嵐昇菊の死を伝える記事の文面から、確かに彼女が助六を演じたことはわかる。

あと一歩のところで、目標に届かなかったもどかしさが、僕のなかに残った。

女の子も起用しようという試み―つまりしきたりを改めようとした試みは、この事件で頓挫したらしい。

翌年の記事を見ると、場所を市民会館へ移して、再び男の子だけの出演で狂言舞踊の「棒しばり」が演じられている。

しかも“振付さん”は、溝渕静男だ―

そしてその年の、前年と同じ九月一日付けの地元紙には、

『ご当地から初の振付師誕生』

と、またもや初物記事で、溝渕静男が取材されている。

そこには、熊橋老人から聞いたものと同じ経歴の羅列があって―もっとも、前々任の振付師に嫌われて追い出された云々はカットされていたが―、嵐昇菊指導時代には、

“歌舞伎の奉納に先立って舞われる三番叟の振付を、既に手掛けており云々……”

の一文が、僕の目を引いた。

「三番叟……?」

初めて知る事実に、僕はすぐに、他の資料を当たってみた。

それによると、朝妻八幡宮の奉納歌舞伎は神事として行われるため、上演に先立っては「舞台清めの儀」として三番叟が舞われる―

とあった。

しかもそれは、

“八幡宮の宮司家に代々伝わる独特のもので、毎年氏子の長男が宮司本人より教えを受けてつとめるしきたりである”

ともあった。

なぜ、宮司家伝来の三番叟を、一介の漆器屋が教えているのだろう……?

僕は、また新たな疑問にぶち当たった。

振付の代行―と云うことは考えられる。

あるいは、場所が市民会館という、神域ではない場所だったから、可能だったのか?

しかし、昨日いちど溝渕静男を見ただけでも、そんなキレイ事で請け負うような人物とは、思えなかった。

前々任の振付師の“助手”時代にやらかした嘴の入れっぷりを聞いても、また昨日のお師匠サマ気取りなところを見ても、どうやら『オレが、オレが』と、人を掻き分けて前に出たがるタイプのようだった。

なんとも鬱陶しい、僕のキライなタイプだ。

おそらく、宮司家になにか事情があったのに乗じて、権利の“横盗り”をしたのではないか―?

もちろん推測にすぎない。

しかし、愛想良さげな“仮面”のウラで、それくらいのことはやりそうな“悪臭(におい)”が、どうもあの男からは漂う……。

この振付師デビューの年は、かの「三番叟」と「棒しばり」の両方を振付し、以来それが毎年続いている。

溝渕静男の得意そうな顔が、目に浮かぶようだ。

それにしても、金澤あかりが女の子で初めて奉納歌舞伎に出たという“画期的”事実は、これですっかり消し去られてしまった印象がある。

なるほど、集会所にその年の集合写真がないわけだ。

「だけど……」

朝妻八幡宮の宮司家―金澤あかりの母方の実家は、いまどうなっているのだろう?

僕は、昨日見た粗末なプレハブ社殿を思い出した。

八年前の火事で、宮司宅も含めて境内そのものが全焼し、いまも再建されていない現実。

「もう一度、行ってみるか……」

僕は、自分の正直な気持ちに、どうしても勝てなかった。


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