迦陵頻伽──ことだまのこゑ

手猿樂師•嵐悳江が見た浮世を気ままに語る。

ごゑんきゃうげん18

2017-04-05 05:12:53 | 戯作
翌朝、僕は熊橋老人からの外線電話で目を覚まされた。

松羽目の色付けもお願いしたい―と云うものだった。

僕は、たぶんそう来るだろう、と思っていた。

昨日の稽古を見た様子では、奉納歌舞伎の実際は溝渕静男が一手に握っていて、保存会長の熊橋老人は、何も口出しできない名誉職の立場にある感じだった。

それだけに僕を使って、横からチャチャを入れたいのではないか―

古くからの“確執”が絡んでいるとなれば、つねにどこかで、一矢報いたいところだろう。

僕がその“一矢”になるのは、御免だ。

脳裏に、近江家代々の“家訓”がよみがえる。


『紅旗征戎、吾が事に非ず』
―世の中の争い事に、自分はかかわらない―


これが、祖・源章雅卿いらいの家訓だ。

それ代々守られて来たからこそ、近江家はあらゆる時代を潜り抜け、いまこうして、章彦(ぼく)という子孫がいる。

これだけは、決しておろそかには出来ない。

僕は熊橋老人に、「すぐに東京へ帰らなくてはいけない用事が出来た」、と断りを入れた。

熊橋老人は電話の向こうで絶句したのか、あるいは言葉を読もうとしたのか、少し間をおいてから、「わかりました……」と静かに答えて、電話を切った。

僕はふうっ、とため息をついた。

「やれやれ……」

しかしこれで、姫哭山の向こう―旧朝妻宿へは、行きづらくなってしまった。

やはり昨日、あのお爺さんに付き合ったのは失敗だったかな―そんな後悔すら、頭をよぎる。

一方で、

もう充分かな?―

そんな気持ちも、芽生えていた。

姫哭山はただの山で、奉納歌舞伎が演じられる社殿は、八年前の火事で無くなっていた。

その奉納歌舞伎もいかなるものか、立ち稽古ながらこの目で見ることも出来た。

それで、よしとするべきではないか?

僕は携帯電話を開くと、金澤あかりのアドレスを検索した。

べつに発信するつもりはなく、僕は画面を見つめながら、

「やはり……」

せめて最後に、この女性が奉納歌舞伎に出たという確かな記録だけは見ておきたい、と思った。

その方法は、一つある。

僕はホテルから歩いて五分ほどの、葛原市立図書館へと向かった。

ここの郷土史料室に所蔵されている地元新聞の縮刷版から、八年前の奉納歌舞伎に当時中学生の金澤あかりが出ると云う記事を、見つけ出した。

『朝妻歌舞伎、初の女子中学生参加へ』

それは九月一日付となっている。

“過疎化と少子化により存続が危ぶまれている朝妻歌舞伎では、打開策としてこれまでの女人禁制のしきたりを改め、女の子の参加も認めることに踏み切った”―

“その第一号となったのは、振付を担当している元歌舞伎役者・嵐昇菊氏の長女で、金澤あかりさん(13)”―

“金澤さんは、傾城に変装して吉原に潜伏する兄の曽我十郎と共に、家宝の刀を探し求めて吉原で活躍する主役の花川戸助六を演じる”―

記事の真ん中に載っている、中学校の制服姿で微笑む少女の写真は、まちがいなく金澤あかりだった。

「ああ……」

僕はつい、吐息とも唸りともつかぬ声を出して、近くの人たちから非難の視線を食らった。

僕は首をすくめ、再び資料に目を落とした。

しかし、彼女に関する記事は、それだけだった。

なぜか、どこを探しても、このあとに奉納歌舞伎が行われたことを伝える記事は、見つからなかった。

その代わり見つけたのは、祭礼の済んだ深夜、朝妻八幡宮が漏電による出火で全焼した、という記事だった。

そして、その火事で嵐昇菊が死亡した、という事実だった。


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