迦陵頻伽──ことだまのこゑ

手猿樂師•嵐悳江が見た浮世を気ままに語る。

ごゑんきゃうげん20

2017-04-07 05:13:53 | 戯作
僕は一度ホテルに戻ると、とりあえずスケッチブックはバッグに入れて、姫哭山へ向かった。

旧朝妻宿へは、あの山城跡を越えて行くのが、一番近い。

昨日に続いて二度目ということもあって、例の獣道も大して苦にならず、頂上に着いた。

“山の天気は変わりやすい”の言葉どおり、葛原市街の晴天に対して、山頂は灰色の重たい雲がかかっていた。

そして強めの冷たい風が吹いて、昨日スケッチした松の枝を揺らしていた。

どうも、いやな感じの風だ。

僕は煽られるまま、向こうへ下ろうとした時だった。

背後でヒューッと、鋭い口笛のような音がして、僕は思わず振り返った。

が、そこには雑草ばかりの風景があるのみ。

あれかな……?

僕はあの松を見た。

風に揉まれて波打つように揺れている枝が、風を切る音なのか……?

ところが、次第にこの風音に呼応するように、

ヒューッ!

ヒョーッ!

と、鋭い不協和音があちこちから響いて、僕は「うわっ……」とたじろいだ。

しかし、その高い調子の風音が、若い女性の泣き声に聞こえなくもないことに、僕は気が付いた。

もしやこれが、“姫哭山”の名前の由来か……?

しかし、その推測を吟味する余裕のないほど、風は次第に強まって、おまけにポツリポツリと、雨まで降りだしてきた。

こんな逃げ場のない場所で、立ち往生などごめんだ。

僕は足許を注意しながら、逃足に山を下った。

そしてなんとか朝妻八幡宮の境内までたどり着くと、そこは葛原と同じ晴天下、

「……」

と、僕は呆れて空を見上げたものだった。

僕は気を取り直して、例のプレハブ社殿に歩み寄った。

昨日は熊橋老人に促されるままここを出たので、参拝をしていない。

八年前の全焼の後、いかにも間に合わせでここに据えたものらしく、いまでは屋根や外壁が、すっかり痛んでいる。

僕はお賽銭を出そうと、ポケットの財布に手をかけた時だった。

とつぜん社殿の格子戸が開いて、中から人が出てきたのだ。

僕はぎょっとして固まった。

現れたのは、箒と塵取りを手にした、下鶴昌之だった。

下鶴氏も、「あっ」と驚いて立ち止まったが、その理由はまた別だった。

「おや近江さん……、東京へ帰らはった、と聞きましたが……」

話しがもう伝わっているのか―

さすが田舎は情報の伝播が早い、面倒なことになるかな、と思いながら、

「まあ……」

と僕は曖昧に返事をすると、下鶴昌之は真顔で、意外なことを言った。

「いや、それが賢明ですわ」

「え?」

「朝妻歌舞伎には関わらん方がよろしい、言うことです」

下鶴昌之は格子戸を閉めて錠をかけると、打って変わった穏やかな表情で、

「週に一度、こうして社殿と境内とを、掃除しているんですわ。……せやないと、ここは荒れ放題になってまうによって」

それまで呆気にとられていた僕は、はっと我に返って、訊いた。

「神主さんは、おられないのですか?」

すなわち、金澤あかりの母方の家族は……。

「ここが全焼してからは、無人になってます。現在(いま)は、遠縁にあたる京都の宮司さんが、とりあえず掛け持ちで管理してはりますが……」

遠方で手が回らないので、自分たち氏子が管理を代行しているのです、と下鶴昌之は菷と塵取りを示してみせた。


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