
9日20:06、間質性肺炎のため神奈川縣内の病院にて逝去云々。
七十七歳とはまだ若いな、と驚く。
私が數十年前の學生時分、初めて歌舞伎座で芝居を觀た時に中村屋親子の「連獅子」で立三味線をつとめてゐたのが、故人となった杵屋勝国氏だった。
當時は芳村伊四郎師と組んで歌舞伎の舞臺に出演してゐて、前述の故人十八代目の中村屋や坂東玉三郎(やまとや)の長唄舞踊では、必ず故人が立三味線だった。
當時芳村伊四郎師の長唄が好きだった私は、その相三味線だった勝国氏の杵勝派らしい力強い音色を付随的に樂しんでゐたが、伊四郎師が坂東玉三郎と仲違ひして芝居から離れ、立唄が先代杵屋六左衞門の孫に替はってからはかつてほどの興味を失なったものの、杵屋淨貢(七代目杵屋巳太郎)師に次ぐ好きな三味線方ではあった。
十年以上前、たしか狂言は「喜撰」であったと記憶してゐるが、清元が一ヶ所しくじって長唄との掛け合ひの間がコケたところ、立三味線の勝国氏が紅潮した憤怒の形相で下手の山台に居並ぶ清元連中を睨みつけた一瞬を目撃し、オヤオヤと思った。
──いま思へば、あれが杵屋勝国氏の出演してゐる舞臺を觀た最後だった。