迦陵頻伽──ことだまのこゑ

手猿樂師•嵐悳江が見た浮世を気ままに語る。

ごゑんきゃうげん9

2017-03-27 05:11:40 | 戯作
僕は松から少しさがったところに腰を下ろして、スケッチブックをひらいた。

時代(とき)は戦国の世、朝妻氏が守る山城に、一本だけそびえる松―

それを縁側に立って眺める、一人の美しい姫君―

やがて織田信長の軍勢に攻められて炎上する城、そして庭の松の下で、まさに短刀で喉を突こうとしている白装束の姫君―

すべてが焼け落ちて荒涼たる景色のなか、一本だけ、そのままの姿をとどめる松―

それは時が移った現代も、かわることはない―

僕はそんな物語をイメージしながら、松をスケッチした。

とその時、僕は背後に気配を感じて、ペンを走らせる手を止めた。

振り返ると、いつの間にかそこには、白いキャップを被った老人が立っていた。

老人は僕と目が合うと、キャップのつばに手をかけて、すこし頭から浮かせながら、

「失礼……」

と微笑んでみせた。

どうやら僕のスケッチを、覗いていたらしい。

野外で、後ろから他人(ひと)にスケッチを覗かれるのは慣れている。

が、自分以外は誰もいないと思っていた場所へ、いつの間にか人が現れるのは、さすがにぎょっとする。

僕は老人に、つとめて愛想よく会釈で返すと、再びスケッチブックに向かおうとした。

すると老人は、

「お上手ですな」

と、土地訛りのある言葉で、話しかけてきた。

「どうも……」

僕はもう一度振り返り、会釈した。

「プロの、絵描きさんですか?」

老人は相変わらず微笑んで、僕の脇へとまわって来た。

「まあ、一応……」

僕はペンをおいた。

「そうですか。いや、失礼ながら手つきが、素人やないな、と思ったもので……」

どうも、と僕は苦笑してみせた。

そして、あなたも絵を描くのですか、と訊いてみようとして、ふと、姫哭山の伝説をこの老人に訊いてみようと思った。

しかし、老人のほうが先に口を開いた。

「お兄さんは、どちらから……?」

「東京からです」

「ほう……」

と、老人は口をすぼめて、僕の顔を凝視した。

そして、

「ご旅行か何かで……?」

笑顔ながらも、目はなにかを探っているようだった。

山深い田舎の人間は、よそ者に対して、警戒心を抱きやすいと聞く。

先祖代々、狭く閉鎖的な土地で、いつも同じ人間たちと顔を付き合わせて生活しているため、外界との触点がなく、“外来種”に対する免疫が無いためだ。

老人のその目には、まさにそういった症状が窺えた。

僕はそれが不快になって、姫哭山について訊ねる気をなくした。

「お兄さんは、いつまでここに、ご滞在で……?」

なんて答えようか考えているうち、老人は意外なことを言った。

「もし、しばらく滞在されのやったら……、いや、今日一日でも滞在しはるんやったら、お兄さんの力を借りたいんですわ……」

え? と僕は思わず、訊き返した。

すると老人は、

「いや……、その、ですな。ようするに、芝居の書割(かきわり)を、下書きしてほしいのですわ」

と、急にはにかんだように、小鬢をかいた。


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