僕は松から少しさがったところに腰を下ろして、スケッチブックをひらいた。
時代(とき)は戦国の世、朝妻氏が守る山城に、一本だけそびえる松―
それを縁側に立って眺める、一人の美しい姫君―
やがて織田信長の軍勢に攻められて炎上する城、そして庭の松の下で、まさに短刀で喉を突こうとしている白装束の姫君―
すべてが焼け落ちて荒涼たる景色のなか、一本だけ、そのままの姿をとどめる松―
それは時が移った現代も、かわることはない―
僕はそんな物語をイメージしながら、松をスケッチした。
とその時、僕は背後に気配を感じて、ペンを走らせる手を止めた。
振り返ると、いつの間にかそこには、白いキャップを被った老人が立っていた。
老人は僕と目が合うと、キャップのつばに手をかけて、すこし頭から浮かせながら、
「失礼……」
と微笑んでみせた。
どうやら僕のスケッチを、覗いていたらしい。
野外で、後ろから他人(ひと)にスケッチを覗かれるのは慣れている。
が、自分以外は誰もいないと思っていた場所へ、いつの間にか人が現れるのは、さすがにぎょっとする。
僕は老人に、つとめて愛想よく会釈で返すと、再びスケッチブックに向かおうとした。
すると老人は、
「お上手ですな」
と、土地訛りのある言葉で、話しかけてきた。
「どうも……」
僕はもう一度振り返り、会釈した。
「プロの、絵描きさんですか?」
老人は相変わらず微笑んで、僕の脇へとまわって来た。
「まあ、一応……」
僕はペンをおいた。
「そうですか。いや、失礼ながら手つきが、素人やないな、と思ったもので……」
どうも、と僕は苦笑してみせた。
そして、あなたも絵を描くのですか、と訊いてみようとして、ふと、姫哭山の伝説をこの老人に訊いてみようと思った。
しかし、老人のほうが先に口を開いた。
「お兄さんは、どちらから……?」
「東京からです」
「ほう……」
と、老人は口をすぼめて、僕の顔を凝視した。
そして、
「ご旅行か何かで……?」
笑顔ながらも、目はなにかを探っているようだった。
山深い田舎の人間は、よそ者に対して、警戒心を抱きやすいと聞く。
先祖代々、狭く閉鎖的な土地で、いつも同じ人間たちと顔を付き合わせて生活しているため、外界との触点がなく、“外来種”に対する免疫が無いためだ。
老人のその目には、まさにそういった症状が窺えた。
僕はそれが不快になって、姫哭山について訊ねる気をなくした。
「お兄さんは、いつまでここに、ご滞在で……?」
なんて答えようか考えているうち、老人は意外なことを言った。
「もし、しばらく滞在されのやったら……、いや、今日一日でも滞在しはるんやったら、お兄さんの力を借りたいんですわ……」
え? と僕は思わず、訊き返した。
すると老人は、
「いや……、その、ですな。ようするに、芝居の書割(かきわり)を、下書きしてほしいのですわ」
と、急にはにかんだように、小鬢をかいた。
続
時代(とき)は戦国の世、朝妻氏が守る山城に、一本だけそびえる松―
それを縁側に立って眺める、一人の美しい姫君―
やがて織田信長の軍勢に攻められて炎上する城、そして庭の松の下で、まさに短刀で喉を突こうとしている白装束の姫君―
すべてが焼け落ちて荒涼たる景色のなか、一本だけ、そのままの姿をとどめる松―
それは時が移った現代も、かわることはない―
僕はそんな物語をイメージしながら、松をスケッチした。
とその時、僕は背後に気配を感じて、ペンを走らせる手を止めた。
振り返ると、いつの間にかそこには、白いキャップを被った老人が立っていた。
老人は僕と目が合うと、キャップのつばに手をかけて、すこし頭から浮かせながら、
「失礼……」
と微笑んでみせた。
どうやら僕のスケッチを、覗いていたらしい。
野外で、後ろから他人(ひと)にスケッチを覗かれるのは慣れている。
が、自分以外は誰もいないと思っていた場所へ、いつの間にか人が現れるのは、さすがにぎょっとする。
僕は老人に、つとめて愛想よく会釈で返すと、再びスケッチブックに向かおうとした。
すると老人は、
「お上手ですな」
と、土地訛りのある言葉で、話しかけてきた。
「どうも……」
僕はもう一度振り返り、会釈した。
「プロの、絵描きさんですか?」
老人は相変わらず微笑んで、僕の脇へとまわって来た。
「まあ、一応……」
僕はペンをおいた。
「そうですか。いや、失礼ながら手つきが、素人やないな、と思ったもので……」
どうも、と僕は苦笑してみせた。
そして、あなたも絵を描くのですか、と訊いてみようとして、ふと、姫哭山の伝説をこの老人に訊いてみようと思った。
しかし、老人のほうが先に口を開いた。
「お兄さんは、どちらから……?」
「東京からです」
「ほう……」
と、老人は口をすぼめて、僕の顔を凝視した。
そして、
「ご旅行か何かで……?」
笑顔ながらも、目はなにかを探っているようだった。
山深い田舎の人間は、よそ者に対して、警戒心を抱きやすいと聞く。
先祖代々、狭く閉鎖的な土地で、いつも同じ人間たちと顔を付き合わせて生活しているため、外界との触点がなく、“外来種”に対する免疫が無いためだ。
老人のその目には、まさにそういった症状が窺えた。
僕はそれが不快になって、姫哭山について訊ねる気をなくした。
「お兄さんは、いつまでここに、ご滞在で……?」
なんて答えようか考えているうち、老人は意外なことを言った。
「もし、しばらく滞在されのやったら……、いや、今日一日でも滞在しはるんやったら、お兄さんの力を借りたいんですわ……」
え? と僕は思わず、訊き返した。
すると老人は、
「いや……、その、ですな。ようするに、芝居の書割(かきわり)を、下書きしてほしいのですわ」
と、急にはにかんだように、小鬢をかいた。
続