迦陵頻伽──ことだまのこゑ

手猿樂師•嵐悳江が見た浮世を気ままに語る。

ニッポン徘徊―児玉街道2

2011-03-30 07:36:34 | 旧児玉街道
平塚橋より平塚地区を歩くこと約20分、小畔川(こあぜがわ)に架かる「とげ橋」を渡って左カーブの緩い坂を下った川越市大字小坂1030付近で、歩きはじめて最初の庚申塔を、右手に見つけました(上段写真)。


かつて児玉街道にもあったはずの一里塚は、現在では旧奈良梨宿跡あたりの「かな?」と云う一箇所以外(後述)は全て消滅しており、また「児玉街道」そのものが地図上では存在していないことなどもあって資料が極端に少なく、今回は僅かな資料と現代版のロードマップとを照らし合わせながら、手探りに近い状態での探訪となりました。

そのようななか、時代の変遷をくぐり抜けて道端に佇み続けているこの庚申塔がほぼ唯一の手掛かりとなり、この後、何箇所も残っているこの道の守り神様に、どれだけ助けられたことでしょう!

まさに、“神様のお導き”、です。


さて、最初に出逢った庚申塔から約50分、児玉街道最初の宿場町であった、塚越宿(跡)に到着。



と言っても、当時の面影は皆無のため、どこからどこまでが宿場だったのかさっぱり判りませんが、ポツンとある自営の小さな商店、或いは民家が何となく集まっている辺りが当時の名残りかと判断して、とりあえず写真撮影。


次の石井宿(跡)は、塚越宿(跡)からわずか10分ほど行った先にあり、



どうやら当時は、二宿で一宿と云う扱いだった様子。

地元中学校の制服や体操服を取り扱っている洋品店や、自転車屋などの自営商店がある、ちょっとだけ賑やかな辺りがおそらく、かつて宿場のあった場所でしょう。
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