おはらひ町をあとにし、急勾配が長く續牛谷坂を上りきり、狭い道がうねうねと伸びるいかにも旧街道らしい風情の始まるこの界隈こそ、
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かつて江戸の吉原、京の島原に並ぶ日本の“三大遊郭”のひとつだった古市(ふるいち)だが、現在では取り壊すきっかけもなく殘った古い家屋が點在する静かな町にて、お伊勢参りを済ませた男たちの“精進落とし”で殷賑を極めた往年など偲ぶよすがもない……、やうだが、注意すればその痕跡を見出すことは出来る。
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現在は個人宅の敷地前に肩身も狭さうに一本の石碑が残るのみだが、戰前までは遊廓時代の威勢そのままの見世構へであったことが古冩真からも充分に窺へ、
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(※「伊勢音頭戀寝刃」 十五代目市村羽左衞門扮する福岡貢)
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(※歌舞伎「伊勢音頭戀寝刃」 六代目菊五郎の福岡貢、七代目梅幸の油屋おこん、
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(※左が遊女おこん、右が孫福斎の墓)
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山の傾斜に合はせて奥へと伸びていく造りは往年の油屋と同じで、
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かつて江戸の吉原、京の島原に並ぶ日本の“三大遊郭”のひとつだった古市(ふるいち)だが、現在では取り壊すきっかけもなく殘った古い家屋が點在する静かな町にて、お伊勢参りを済ませた男たちの“精進落とし”で殷賑を極めた往年など偲ぶよすがもない……、やうだが、注意すればその痕跡を見出すことは出来る。
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近鉄鳥羽線の切り通しに架かる橋を渡ったすぐ脇には、江戸時代に屈指の廓と謳はれ、明治以降はその風情そのままに旅館へ転業したが第二次大戰の空襲で廢業した、「油屋」跡の石碑が建つ。
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現在は個人宅の敷地前に肩身も狭さうに一本の石碑が残るのみだが、戰前までは遊廓時代の威勢そのままの見世構へであったことが古冩真からも充分に窺へ、
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客室にもどこか艶っぽい風情が殘されてゐたやうだが、
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廢業後は近鉄鳥羽線を敷設するためにその面影を地面ごと削り取られ、時代の無常ばかりを現在(いま)に傳へる。
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この油屋をさらに有名にしたのが、寛政八年(1796年)六月九日の深夜に近在の醫者孫福斎(まごふく いつき)が、酒の相手をしてゐた當時十六歳の遊女のおこんを後から入って来た客に持って行かれたことに腹を立てて刃傷沙汰を起こした事件と、それを二ヶ月後に上方の近松德三が脚色して大當りをとった歌舞伎芝居「伊勢音頭戀寝刃」で、
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(※「伊勢音頭戀寝刃」 十五代目市村羽左衞門扮する福岡貢)
實説ではオンナと酒絡みの刃傷事件であったのを歌舞伎劇お得意のお家騒動物に仕組み、伊勢神宮の御師である福岡貢は油屋の座敷で惡人に加担する仲居萬野に散々イジメられて一度は退却するが、
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(※歌舞伎「伊勢音頭戀寝刃」 六代目菊五郎の福岡貢、七代目梅幸の油屋おこん、
二代目子團次の油屋おきし、三代目多賀之丞の仲居萬野 昭和二十三年七月 東京劇場)
大事な刀が偽物とすり替へられてゐることに氣が付き引き返したところ、ひょんなことから刃傷沙汰を起こしてしまふ、と云った筋になってゐる。
この芝居がご當地で初めて上演されたのは、實在の遊女おこんが事件から三十三年後の四十九歳で亡くなった文政十二年(1829年)二月より三ヶ月後の五月で、福岡貢に扮した四代目坂東彦三郎の、地元感情への心配に反して芝居は大當り、彦三郎は感謝をこめて近くの大林寺におこんの墓を建て、さらに時代が下った昭和四年(1929年)には二代目實川延若が、すでに他の寺にある孫福斎の墓を模した墓を改めておこんの墓の隣に建立云々、
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(※左が遊女おこん、右が孫福斎の墓)
實説より芝居世界に因んで“比翼塚”と名付けられ、現在も大林寺本堂の脇に、墓石はやや痛んだ姿ながら目にすることが出来る。
油屋は時代の流れに跡形もなくなったが、その跡地から少し離れ場所に天明二年(1781年)には開業して現在も營業を續ける「麻吉旅館」から、古市全盛期の威容を偲ぶことが出来る。
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山の傾斜に合はせて奥へと伸びていく造りは往年の油屋と同じで、
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路地を挟んで向かい合ふ建物を結ぶ橋になにか艶っぽさを感じるのは、「伊勢音頭戀寝刃」の“奥庭の場”に、通天の大道具が飾られてゐるからかもしれない。