「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

遺品を相撲博物館に寄贈

2006-07-14 06:03:21 | Weblog
双葉山時代、相撲記者をしていた亡父の遺品を相撲博物館に寄贈した。
遺品は父が記者時代収集した品々を二つの屏風にしたもの。屏風には
昭和5年皇居で行われた天覧相撲の番付と取組、神通力国吉の錦絵、
戦前の「双葉山 鯱の里」といった行司の土俵上のふれ取組、当時の
大入り袋、太刀山の引退挨拶状などなどが張ってある。屏風そのものは
何回もの引越しで使い物にはならない。相撲博物館の学芸員の話では
このうちの何品かは博物館にないものもあるという。

昭和天皇の皇居での天覧相撲は昭和5年と6年、皇居内の覆馬場で行
われている。この他にも水交社で 催された海軍の特別相撲にも数回
お出ましになっている。皇居での天覧相撲では、特別な番付や取組も
作成されている。番付には「蒙御免」の文字に代って「賜天覧」の
文字がみられる。戦前は天皇は”生き神様”という考方があったので、
現在のようにご夫妻で本場所に御出かけることはできなかった。

神通力国吉は天保7年(1836年)から9年まで三場所番付にのっているが
全休、土俵入りだけ行っている、7歳で75キロ、9歳で84㌔という
記録が残っているので、当時としては超大型児、多分、客寄せパンダ
として番付にのせた、のだろうと学芸員はいっていた。多分、いまなら
このぐらいのスーパー児はざらにいるのではなかろうかー。