「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

二つのコールド試合 1946年、2006年

2006-07-17 07:08:56 | Weblog
きのう母校の野球部は緒戦に快勝した。しかもコールド勝である。
応援の75歳、76歳の超オールドボーイは、娘のようなお母さん、
孫のような生徒たちと一緒に勝利の冷茶を飲みあった。

昭和21年〔1946年)戦後復活中等野球大会、東京予選で我が
母校はきのうとは逆にコールド負けしている。相手はこの年の東京
代表になった東京高師付属中学校である。球場は同校の文京区の
校庭であった。内外野とも砂利まじりのグランド、校庭の端に立った
ままでの応援であった。わがチームにはユニフォームはなく運動靴を
はいてのプレイであった。格好をみただけで負け、それでも4,5点は
得点した記憶があるがー。

戦争中野球は敵国のスポーツだとして、中等大会は禁止されたが、
子供たちには関係なかった。僕らは動員先の工場の昼休みに東海道線の
線路を横切って、芝生の上で野球をした。グローブもミットもない時代、
テニスの球を使った素手の野球だった。

緑の設備の整った球場で白球をおえる今の球児たちは幸せである。
彼らと同年だった、昭和23年、僕の通っていた大学予科(高校3年)
では、6月1日から8月31日まで長い長い夏休みだった。先生も
学生も弁当を持参できなかった時代である。コンビニでおにぎりなど
売っていなかった時代である。