高度成長期の昭和37年(1962年)「いつでも夢よ」(作詞 佐伯孝夫、作曲 吉田正)
という歌が流行した。この歌の三番”言っているいる、いつでも夢よいつでも夢よ”ー
の橋幸夫と吉永小百合のデュエットは今でも僕の耳に残っている。東京五輪を二年
後に控え日本中がなにか左上がりの時代だった。
昨日の小ブログに対するchobimameさんのコメント「夢のない若者」の時評は、まった
くその通りだ。今の時代の若者にはまったく夢がない。ないというより社会が彼らに
夢をあたえていないのかもしれない。
一昨夕、老妻が近くのお寺で催された落語会から帰り、驚いて報告した。近所の地主
の孫が前座に出ていたというのである。前座君の家は昔からの地主だが、父親は大
手会社のサラリーマンで、落語家とはほど遠い。
今は誰でもが進学塾に行き、一流大学を出て一流会社に勤めたいという風潮が都会
にはある。僕にはあまりにも夢がなさそうに見える。その点、前座君には夢がある。将
来、真打になり売れっ子になるという夢である。日本の宇宙実験棟「きぼう」取り付け
に成功した星出彰彦さんは4歳の時から持ち続けてきた宇宙飛行士になる夢を実現し
た。
「いつでも夢を」が流行した年、僕は初めて海外旅行に出かける幸運に恵まれた。当時
は渡航の自由化前で、誰もがが海外旅行へ出かけることは出来なかった。「世界の秘境」
といった雑誌が売れていた。まだ飛行機に乗ることが子供たちの夢であった。
という歌が流行した。この歌の三番”言っているいる、いつでも夢よいつでも夢よ”ー
の橋幸夫と吉永小百合のデュエットは今でも僕の耳に残っている。東京五輪を二年
後に控え日本中がなにか左上がりの時代だった。
昨日の小ブログに対するchobimameさんのコメント「夢のない若者」の時評は、まった
くその通りだ。今の時代の若者にはまったく夢がない。ないというより社会が彼らに
夢をあたえていないのかもしれない。
一昨夕、老妻が近くのお寺で催された落語会から帰り、驚いて報告した。近所の地主
の孫が前座に出ていたというのである。前座君の家は昔からの地主だが、父親は大
手会社のサラリーマンで、落語家とはほど遠い。
今は誰でもが進学塾に行き、一流大学を出て一流会社に勤めたいという風潮が都会
にはある。僕にはあまりにも夢がなさそうに見える。その点、前座君には夢がある。将
来、真打になり売れっ子になるという夢である。日本の宇宙実験棟「きぼう」取り付け
に成功した星出彰彦さんは4歳の時から持ち続けてきた宇宙飛行士になる夢を実現し
た。
「いつでも夢を」が流行した年、僕は初めて海外旅行に出かける幸運に恵まれた。当時
は渡航の自由化前で、誰もがが海外旅行へ出かけることは出来なかった。「世界の秘境」
といった雑誌が売れていた。まだ飛行機に乗ることが子供たちの夢であった。