「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

       枇杷(びわ)の実の自然と季節感

2008-06-23 05:38:37 | Weblog
梅雨の晴れ間をぬって買物に出かけたら近所のお屋敷に植木屋が入って枇杷の実
を取っていた。僕はそれを横目にみながら一粒ぐらい食べたいなあと思った。夕刻、
老妻が帰宅するのを見ると、手に先ほどの枇杷の実の枝を下げてきている。老妻の話
では持主に”おいしそうですね”と声をかけたら”どうぞ”とくださったのだという。"口は
生きているうちに使え”という俚言があるが、その通りだ。

枇杷は今がシーズンである。東京の区部でも戦前は小さな借家の庭にも枇杷の木があ
った。そして悪戯っ子がもぎ取って食べても別に怒られるでもなかった。が、最近は、そ
の枇杷の木も少なくなってきた。第一、家が軒と軒とを接し庭がなくなってきてしまった。

老妻が頂戴してきた枇杷の小枝には、10㎝ほどの実が10数粒ついていた。早速一粒もい
でたべた。子供のとき食べたあの味である。感激したのは中に六つも種が入っていた。種
の有無が果物の自然度のバロメーターかどうかは知らないが、種無しの果物はなにか昔
を想いだしほっとする。

昔、6月は果物の端境期で、露地もののイチゴ、サクランボ、枇杷、そして、あのすっぱい
夏ミカンしかなかった。北原白秋のゆりかごの歌の2番に”ゆりかごの上に、枇杷の実が
揺れるよ、ねんねこ、ねんねこ、ねんねこよ”という歌詞がある。老人の繰言かもしれない
が、昔は自然があり季節感があって、時がゆっくり流れていた。