40年ほど前勤務していた会社のOB会に出席した機会に老人介護施設で脳梗塞後
のリハビリ治療をしている先輩を見舞った。80歳をすぎてもゴルフを楽しむほど元気
だった先輩だが、2年前、先輩の言葉を借りれば、それが逆に身体への過信になって
倒れてしまった。夏の暑い日、水を飲まずにウォーキングしたのがよくなかったのだそ
うだ。
先輩の入っている施設は、昔は畑だった郊外にあり、整形外科病院に隣接した三階
建ての瀟洒な建物だ。先輩はその三階の窓に面した4人部屋で治療に当たっている。
右半身麻痺で、車イスの生活だが、血色もよく言語の障害もそれほどなく安心した。
施設には100人をこす老人が生活しているが、施設は清潔で介護の職員も皆、親切だ。
このような介護施設で老後を送れるのは、恵まれている。
昔、老人施設が「養老院」と呼ばれてていた時代、僕は仕事で訪問したことがあるが、
老人たちは陽も当たらない畳の大部屋で手内職をしていた。その時の暗い惨めなイメー
ジがいまだに脳裏に残っている。あの当時に比べれば、日本の老人福祉は格段によ
くなってきた。
懸命でリハビリに努めている先輩をみて僕は安心し感心した。とても僕には出来ない。
それと、わがままな僕は、とうてい家族から離れて施設での生活が送れるだろうか。
いかに施設が立派でも耐えられるだろうか。難しい問題だ。
のリハビリ治療をしている先輩を見舞った。80歳をすぎてもゴルフを楽しむほど元気
だった先輩だが、2年前、先輩の言葉を借りれば、それが逆に身体への過信になって
倒れてしまった。夏の暑い日、水を飲まずにウォーキングしたのがよくなかったのだそ
うだ。
先輩の入っている施設は、昔は畑だった郊外にあり、整形外科病院に隣接した三階
建ての瀟洒な建物だ。先輩はその三階の窓に面した4人部屋で治療に当たっている。
右半身麻痺で、車イスの生活だが、血色もよく言語の障害もそれほどなく安心した。
施設には100人をこす老人が生活しているが、施設は清潔で介護の職員も皆、親切だ。
このような介護施設で老後を送れるのは、恵まれている。
昔、老人施設が「養老院」と呼ばれてていた時代、僕は仕事で訪問したことがあるが、
老人たちは陽も当たらない畳の大部屋で手内職をしていた。その時の暗い惨めなイメー
ジがいまだに脳裏に残っている。あの当時に比べれば、日本の老人福祉は格段によ
くなってきた。
懸命でリハビリに努めている先輩をみて僕は安心し感心した。とても僕には出来ない。
それと、わがままな僕は、とうてい家族から離れて施設での生活が送れるだろうか。
いかに施設が立派でも耐えられるだろうか。難しい問題だ。