「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

            十津川村と新十津川町

2011-09-07 05:54:53 | Weblog
北海道に新十津川という町がある。札幌からローカル線、札沼線(学園都市線)に乗って約2時間半の終着駅である。30年前、札幌在勤中、僕も月形監獄(樺戸集治監)跡をたどりながら訪れたことがあるが、空知平野に広がる田園都市である。

名前からもわかるように、この町は今回の台風12号で大被害を受け、今なお孤立地区もあるという奈良県吉野郡十津川村の村民が121年前、やはり壊滅的な水災にあい北海道のこの地に移住してきた。明治22年(1889年)十津川を襲った水災は、今なお土地に残る記念碑によると”19日に及んだ雨虐暴横の水災”で、当時の十津川6か村は壊滅し、村民は翌23年、6か村の村民600戸、2489人は意を決して北海道へ移住し、現在の新十津川町を開拓した。

北海道の地名には難読なアイヌ語を借用したものが多いが、同時に十津川のように出身地を偲んでその名前をつけた地名もある。札幌の白石区、伊達市、新広島、信濃、徳島といった具合にである。新千歳空港の近くには、昔、三軒茶屋という集落名もあった。東京の若者の間で”サンチャ”と呼ばれている三軒茶屋の商店街の人たちが戦争中、開拓のため集団移住してきた跡だという。

北海道の開拓の歴史をみると、貧困だったわが国の過去が浮彫りにされる。今でこそ170万人の大都会に発展した札幌市も屯田兵の開拓で始まっている。現在の繁栄の下で忘れされているが、僕らはもう一度荒野を切り拓いた先人たちの努力を思い起こす必要がある。同時に繁栄の下での驕りはなかったか反省しなければならない。最近の自然災害の多発の原因の一つは、”コンクリートから人へ”で象徴される、治山治水軽視の民主党政権の驕りもあるのではなだろうか。