「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

           老妻に引かれて善光寺

2011-09-14 05:50:32 | Weblog
老妻が小学校の同窓会に出席するので、これに同伴して今日(14日)から一泊二日で信濃の善光寺参りに出かける。老人にとって財産の一つは時間がたっぷりあることだ。東京ー長野間は新幹線で行けば僅か1時間半だが、僕らはそんなに急ぐことはない。高速バスを利用することにした。3時間40分はかかるが、割引切符を使えば一人往復なんと5,800円ですむ。新幹線の1万5000円の三分の一の料金である。

学校を卒業してすぐ、赴任地の長野へ向かった58年前のことを想い出す。昭和28年春まだ浅き4月初めだった。僕は友人たちに送られて上野駅を深夜11時すぎの夜行急行に乗った。長野に着いたのは翌朝の5時頃だったような記憶がする。もちろん信越線は電化されておらず、碓氷峠をアプト式で越えたSLでの旅であった。

新幹線以前の旅は、ほとんど遠距離旅行は夜行列車(夜汽車)であった。今でこそ東京ー長野は1時間半だが、当時は6時間を要した。友人たちに”万歳、万歳”で送られた僕は、遠く外国へでも行くような気持ちであった。隔世の感がする。

旅が便利になったのは嬉しいが、旅情が失われてきたのは寂しい。昔は碓氷峠といえば横川の釜飯を買うのが楽しみだった。食べたあとの安物の釜を土産として持ち帰ったりした。今はその楽しみはない。あっという間に軽井沢についてしまう。味気ない旅になってしまった。が、反面好いこともある。昔は帰郷すると、親族から頂戴した土産物を肩に担いで帰京し、翌日歯痛を起こしたりしたが、今は宅急便で簡単に送れるようになった。

老妻が同窓会に出席している間、僕は58年前の同僚と美酒を酌み交わす。昭和28年は戦後も一段落した時代だったが、駆け出しの安サラリーマンだった僕らは外で飲むほどカネはなく、支局のあった部屋で一升瓶を買ってきてクジラの缶詰で痛飲談論したものだった。