「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

      明治天皇の御真影があった旧蘭印の王家

2011-09-13 06:53:29 | Weblog
インドネシアの「スラウェシ島情報マガジン」(HP=検索可)の最新号に”宮殿に明治天皇の御真影”という記事が紹介されている。スラウェシ島のマカッサル近くのの旧ボネ王家の居室には戦争中明治天皇の御真影(お写真)が飾れてあったと言う当時の日本人の懐旧談である。当時のボネ王,アンディ・マツパンユッキは大の親日家で、日本が戦争に負けた後も日本人のために一時領土の一部を復員までの集結地に提供したほどだ。

この記事を読んで僕は1998年(平成9年)北スマトラのメダンに長期滞在していた時知り合った北スマトラ大学の講師、トゥンクー・ルクマンの父親である、セルダン土侯国の最後のサルタンのことを思い出した。セルダン土侯国の宮殿は、メダンの郊外にあったが、戦後の混乱で消失してしまって今はない。しかし、ルクマン氏の著書「メダン史」によると、焼ける前までサルタンの居室には明治天皇の御真影があり、スマトラに上陸してセルダンに入ってきた日本兵はこれを見て最敬礼した。

ボネ王家もセルダン王家もオランダ植民地時代、大のオランダ嫌いで、ボネ王は1905年オランダ軍がスラウェシ侵略のため入ってきた時、実際に銃をとり戦っている。1905年といえば日本が日露戦争に勝利した年だ。一方、セルダンのサルタンはオランダからの招請を断り、明治の初め自費で新婚旅行をかねて来日、明治天皇に謁見したと、上記ルクマン氏の「メダン史」には記述されている。

日露戦争の勝利は蘭印各地にあったイスラムのサルタンたちに警醒になったようだ。「全世紀にわたるアチェ史」によると、アチェの最後のサルタンも極秘裏に密使を日本に送り、援助を日本に申し入れたが失敗したという記述がある。当時のサルタンやラジャ(王様)たちにとって日清、日露の戦争に勝った日本の明治天皇は憧れの英雄であったのであろう。