「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

       インドネシア義勇軍兵士からの友好の手紙

2011-09-22 06:21:29 | Weblog
インドネシア中部ジャワのテマングンという町に住むバンバン・プルノモさん(85)から絵葉書が届いた。プルノモさんは戦争中日本軍がつくったPETA(インドネシア郷土防衛義勇軍)の一員だった人で、今でも自宅に「友好寺小屋学園」をつくり若い人たちに日本語を教えているという奇特な方だ。

実は僕はつい最近までプルノモさんを存じ上げなかった。そのきっかけは、8月17日の小ブログに東京で行われたインドネシア独立式典の感想を書いたところ、コメントを頂戴した「ディエン」さんからプルノモさんを紹介された。早速「ディエン」さんのお言葉に従ってプルノモさんに、東京の独立式典の写真を添えて手紙を出した。

プルノモさんの絵葉書はきちんと印刷されており、おって正式なご返事をだすが、お手紙に感激している。ぜひテマングンに来て、一緒に昔のことを話そうではないか、という趣旨である。実はこれも知らなかったのだが、プルノモさんはインドネシアの独立時活躍したバンバン・スゲン将軍(のちに陸軍参謀長)の実弟であった。スゲン将軍は独立後、二代目の駐日大使として来日している。

テマングンの町の名前は、数年前、南方各地の慰霊碑を調査した時、敗戦後復員までの収容所生活でお世話になったと、48師団の磨部隊の関係者が、この町に「萬邦大和」の記念碑を建立したという話から知っていた。ボロブドゥールなどで有名なジョクジャカルタからバスで一時間ぐらいの所にある町だ。プルノモさんは、お互いの長寿を祝い。昔のことを語ろうと提案してきている。僕は従軍世代ではないが、研究者のはしくれとして、プルトモさんを訪ねてみたくなってきた。