「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

              慶長遣欧使節と巨大津波

2012-03-02 07:17:31 | Weblog
伊達藩の支倉常長らの慶長遣欧使節団が石巻の月の浦港を船出してから来年で400年になる。それを前にして日本とスペインとの間で両国に保存されている使節団に関係する資料をユネスコ(国連教育文化機構)に対して共同で記憶遺産として推薦することが決まった。

使節団の乗った「サン・ファン・バウティスタ」号は、現在復元されて石巻市内の記念博物館にあるが、昨年の大津波でもあまり被害がなく無事だった。が、周囲の使節団の関連展示棟は壊され、現在残念ながら博物館は休館中とのことだ。来年の400年記念までには復旧されてもらいたいものだ。

使節団に改めて関心をもち調べてみたら、使節団が月の浦を出港した慶長18年(1613年)の2年前にも、昨年の大震災と同規模の巨大津波が三陸海岸を襲っている。しかも、たまたま徳川幕府の許可を得て、現在の大舟渡沖の海域を調査していた、スペイン人のセバスティアン・ピスカイノらの乗っていた船がこの津波に遭遇している。幸い、海上だっため無事だったが、その時の模様が記録として残っている。ピスカイノらの乗っていた船は、翌年台風にあって破損。ピスカイノらは、二年後使節団の「サン・ファン・バウティスタ」号に同乗して帰国している。

この慶長三陸大地震では、伊達藩内だけで千数百人が、主として津波にのまれ死亡したという記録がある。伊達藩としては復興復旧に大変な時期だったと思うが、伊達正宗は、おそらく日本では初めてであろう外洋船を藩内の石巻で建造し、港を整備して使節団を派遣している。伊達正宗の狙いはなんであったのだろうか。震災後の復興を外国との通商に求めたのかもしれない。