「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

         マレーシア国歌の起源はシャンソンか?

2012-03-14 07:27:11 | Weblog
知人の音楽研究家からマレーシアの国歌「Negaraku」(わが祖国)の元歌だとされている「Terang Bulan」(月の灯り)はもともとフランスのシャンソン「La Rosalie」ではないかと、とメールで問い合わせがあった。「Terang Bulan」は、大東亜戦争で南方へ従軍した日本兵の間で愛好された歌で、昭和18年、国内でも灰田勝彦が歌ってレコード化されている。僕も小学生の時、学校のブラスバンドが日比谷の野外音楽堂で演奏したのを覚えている。戦後もたしか雪村いづみが歌ったことがある。

「terang Bulan」の歌詞は「月影明るい川べりに 浮かんだ鰐は死んだふり 乗るな男の口車 死を恐れずと誓うけど」-といったいかにも南方らしい恋歌だが、戦後1957年、マレーシアが英国から独立した際、当時のアブドル.ラーマン首相が、400ある候補の中から、このメロディを国歌に選び、次のような歌詞をつけ題名も「Negaraku」とした。
             「Negaraku」(わが祖国)
Tanah tumpahnya darahku Rayat hidup bersatu dan maju Rahmat bahagia Tuhan kurniakan
Raja kita selamat bertakhat Rahmat bahagia Tuhan kurniakan Raja kita selamat bertakhta
(わが生まれた祖国 国民は統一と発展の中に生きる 神が授けてくれた恵みと幸せ
われらが国王の在位が平安でありますよう 神が授けてくれた恵みと幸せ われらが国王の在位が平安でありますよう)

数年前、僕は知人から昭和12年に蘭印(インドネシア)のバタビア(ジャカルタ)で製作されたSPレコードを入手した。Miss Roekjaという女性歌手が歌っているもので、同名の映画の主題歌であった。メロデイはかってポルトガルの植民地時代影響を受けたというクロンチョンで、昔僕が戦争中聞いたものと同じだった。知人の話では、当時この歌は大ヒットしていたとのこと。僕は戦争中、日本の兵隊さんたちが愛唱したのはこの影響だろうと思っていた。

ところが、今回シャンソンではないかと指摘された知人のメールには、1925年、オランダのライデン大学に留学していたジャワの学生たちの歌った「Terang Bulan」がyoutubeが添付してあった。これを再生してみると、やはりクロンチョンのメロデイで歌詞も同じであった。

一体「Terang Bulan 」の起源はどうなのか。僕はシャンソンが起源ではないかとの指摘を受けて、マレー語のWikipediaで国歌「Negaraku」を調べてみたら、確かに同じような記述がある。19世紀の終わりごろ,英国の植民地であったマレーのペラのサルタンがインド洋のシェーシルに島流しにされていた時、フランス人のPiere.Jean de Barangerが作曲した「La Rosaie」を聞き、後年これをペラ州の州歌にしていたのだという。

一方、インドネシアには「Terang bulan 」について、こんな説もある。数年前日本インドネシア協会の機関誌に載っていたKompasという雑誌の抄訳だが「Terang Bulan」はインドネシア人のサイフル.バフリが作曲したもので。1957年マレーシアが独立したさい、当時のスカルノ大統領がバフリに対してマレーシアの国歌として親善プレゼントしたいと依頼があったので許可したのだというバフリの親族の証言があった。一つの歌の起源をめぐって色々あるものだ。