「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

           リメンバー3月10日の東京大空襲!

2012-03-10 06:50:16 | Weblog
先日石原慎太郎東京都知事の記者会見で、若い記者が”東日本大震災で3月10日の東京大空襲が風化しないか”と質問していた。質問の真意はよく判らないが、東日本大震災の衝撃が大きすぎて、東京大空襲がその陰に隠れてしまうのではないかという懸念からなのだろう。もう67年前の出来事だ。年々、直接大空襲を体験した世代も少なくなり、風化しかけているのも一面では事実だ。今朝の読売新聞には東京大空襲関係の記事は都内版の「展望室」という小さなコラム欄で”大空襲 母子の写真”という記事を扱っているだけだ。

石原知事は記者の質問に答えてB-29の大編隊(329機)が東京に飛来し低空から35万発の爆弾、焼夷弾を投下し、10万人もの非戦闘員が殺戮された大空襲だ。忘れようにも忘れられないと答えていた。

67年前の昭和20年3月10日、僕は東京の五反田に住んでいたが、あの夜のことはまだ昨日のように覚えている。風の強い夜だったが発令された空襲警報がいつまでも解除にならず、東北方向の空をみると、夜空が真っ赤にそまり、B-29が悠々と飛んでいた。
幸い、僕はこの日の空襲にもその後の4月15日、5月25日の東京大空襲にも直接被害はなかったが、あの空襲警報の不気味なサイレンの音や焼夷弾が落ちてくる、あのザワザワという音、また、勤労動員先の工場機銃掃射された米軍艦載機の乗組員の顔は忘れられない。

読売新聞の「展望室」氏は”東京大空襲を撮影した、写真家石川光陽の一枚の写真ーうつぶせに倒れた母親の足元に、天を仰いだ姿で事切れたた幼児の横たわる姿ーを見るたびに胸が締め付けられると記し、平和の尊さを共有するには、惨劇を語り続け記憶していかなければならないと結んでいる。僕もまったくその思いだ。リメンバー3月10日東京大空襲だ。