「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

           荒神さまのお祭りとと江戸庶民文化

2012-03-29 07:00:35 | Weblog
昨日老妻と一緒に旧東海道品川j宿のはずれにある臨済宗海雲寺の春の例大祭に出かけた。昨年は東日本大震災のため護摩たきなどの行事が中止となり、二年ぶりの参詣である。海雲寺祭りは、古くから荒神さまの名前で江戸庶民の間で”竈おこしの神様”として信仰を集め、春秋二回行われる大祭には警察や消防まで出て警備に当たるほどの人出で賑やかであった。この例大祭の参詣客が最近減ってきている感じだ。昨日も温かい陽気にもかかわらず人出はまばらであった。

昭和10年代の初めごろ、僕が母親に連れられて行った頃は、最寄の京急青物横丁駅からお寺までの道の両側には露店がいっぱい立ち並び、人込みでやっと歩けるような状態であった。しかし、この10年ぐらいを見ていると参詣客は確実に減ってきている。何故なのだろうか。理由の一つは、信者の中心だったた昔からの商家が東京では大手のスーパーなどに押されて廃業してきたこと。それと東京の中心部(旧江戸市内)の人口が都市開発で郊外へと移動したからではないだろうか。

荒神さまと同じ旧東海道に面して江戸六地蔵の一つ品川寺がある。境内には「金生七福神」が祀られており、樹齢四百年の大銀杏もある古刹だが、ここもほとんど参詣する客はいない。江戸時代には街道の往還客で多分賑わったお寺であろう。昔、東海道は海岸にそって通っていた、その名残であろう露座の地蔵の横には「溺死者の墓」もあった。「江戸」から「東京」に名前が変わって、すでに百五十年、荒神様の参詣客が減るのも当然と言えば当然なことなのだが。

(写真は品川寺の地蔵)