「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

            慶長遣欧使節団の史実に素人の驚き

2012-03-18 07:29:48 | Weblog
昨日スペイン協会の文化の集い「ドンキホーテ.クラブ」で、僕は素人のくせに臆面もなく慶長遣欧使節団について話をさせて貰う機会をえた。先日慶長使節の資料が日本スペイン両国によってユネスコの記憶遺産に推薦されるということを知って、僕はネット情報中心ながら、にわか勉強してみた。話はそのまとめである。

僕ら昭和1ケタ世代は、戦前西暦でなく皇紀で歴史を教わった世代である。例えば仏教伝来は”仏教はオイチにオイチ(皇紀1212年)とやってきた”と覚えさせられた。その弊害で今でも西暦表記の海外の出来事との対比が得意ではない。慶長遣欧使節についても昔学校で教わったような記憶はあるのだが、西暦に直すと何時ごろなのかはっきりしない。

僕のにわか勉強はこんなことから始まったが、驚いたことが沢山あった。その第一は支倉常長(副使)の使節団が、東周りではなく西まわり、つまり太平洋を横断して当時のヌエバ.イスパニア(現在のメキシコ)経由でヨーロッパに渡ったこと、第二は天正のキリシタン大名少年使節団とは違って、派遣した伊達正宗には、明らかにヌエバ.イスパニア(濃昆須版)との通商を望んでいた意図があったことだ。

年表的にいうと、慶長使節団は1613年(慶長18年)に石巻で建造された「バゥチスタ」号に乗って月の浦港を出発、約7年、メキシコやスペイン、ローマなどを視察、1620年(元和6年)帰国しているが、これに先立つ16世紀後半から17世紀初頭は歴史的には大変揺れ動いた時代であった。室町幕府が終わり(1573年)江戸幕府が成立(1603年)海外からは南蛮人が渡来してキリスト教の布教を通じて西欧の文明が入ってきた。

僕ら天皇家中心のいわゆる皇国史観で、日本史を学んだ世代にとって慶長遣欧使節の史実は知らないことが多く、まさに驚きの連続だった。