「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

サバン島の”従軍慰安婦”帰国エスコートの記録

2014-02-03 07:06:30 | Weblog
手元にサバン島の戦友会誌「サバン会報」有終号(平成14年)がある。昨年暮以来、朝日新聞を中心にしたグループが戦争中のインドネシアの慰安婦についいて事実と異なる虚報を流している。そこで、この20年近く、大東亜戦争中のインドネシアの軍政について調べている研究者の一人として、当時の「慰安婦」の実態について参考資料になると思い紹介してみた。

サバン島はインドネシア.スマトラの最北端にある、マラッカ海峡からインド洋に抜ける海域の小島である。戦争中この島には海軍特別第九根拠地隊の司令部があり、インド洋への守りの最先端であった。終戦時、ここには約三千人の将兵がいたが、敗戦と同時に武装解除され、スマトラへ強制移動させられた。「サバン会報」有終号は、その終戦処理時を中心に編集されているが、その一つに「サバンのクーニャン達を送る」という一文がある。

サバン島にいた慰安婦は軍のスマトラ移動と共にコタ.ラジャ(バンダ.アチェ)に渡ったが、この一文は主計下士官だったSTさんが、コタ.ラジャから当時あった軽便鉄道に80人のクーニャン達を乗せ、無事メダンまでエスコートし彼女らの出身地ペナンから迎えに来ていた業者(女衒)に引き渡した記録である。コタ・ラジャからメダンまでは3日3晩かかったが、女性の一人が途中、産気づいて、まだ若かった斉藤さんをひやひやさせた。

北スラウェシのソンデルという山中の陸軍部隊の軍医だった福岡良男氏(故人=東北大学元教授)が書いた「軍医のみた大東亜戦争」(暁印書館2004年)にも戦争中の慰安所の実態が書いてある。形態はほとんどサバン島と同じで運営方法も同じである。戦前の遊郭を知っている世代には、いってみれば遊郭の戦地版としか見えない。だから中曽根元首相のように、この世代の人はなんの罪悪感もない発言が飛び出すわけである。村山富市元軍曹殿だって、慰安婦についてはよく御存じなわけなのだが。