「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

スキーを日本に伝えたレルヒ少佐と亡父

2014-02-20 04:58:10 | Weblog
ソチ五輪のノルディック.スキー.ジャンプ団体で銅メダルを獲得した清水礼留飛君(20)の「礼留飛」の名前は日本に初めてスキーを伝えた、オーストリアのレルヒ少佐の名前をとって礼留飛君のお父さんが命名したのだそうだ。1911年(明治44年)1月、レルヒ少佐は新潟県高田市(現在の上越市)の金谷山で、旧陸軍第58師団の兵士たちに「スキー術」を伝授した。その地には今、レルヒ少佐の銅像と発祥記念館が建っている。

新聞記者だった亡父は、その翌年の2月、高田で催された日本初のスキー俱楽部の発会式に東京から派遣され”初めてスキーなるものを見、その競技を目にすることが出来た”と「記者生活30年」(未完昭和18年)に書いている。多分、この時に入手したのであろう。レルヒ著「スキー術」(日本語)という冊子が20年ほど前まで、わが家にあったが、高田出身の友人を介して記念館に寄贈した。

ソチ五輪で活躍したスキーも日本に伝わって100年余のスポーツなのだ。レルヒ少佐が俱楽部の発会式に出席したはどうかは不明だが、当時単なるスキー俱楽部の発会式に東京から特派員が派遣されるほど、大騒ぎだったのであろう。しかし、残念ながら亡父はスキーについてはあまりふれず、式に参加していた乃木希典大将(当時女子学習院長)が、学校の火災を知り急きょ帰京したが、その時の乃木大将の態度が沈着冷静だったのに驚いた、書いている。100年の歴史を感じるものがある。

団塊の世代の定年を迎えて「自分史」ブームだという。亡父がこの未完本を記述した時代は戦争の最中で、それどころではなかった。庶民の「自分史」だが、その時代の証人である、出来たら出版しないまでもネットに転記して残したいと思っている。