「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

村山元首相はまずブーゲンビル島の慰霊を

2014-02-15 06:49:57 | Weblog
村山富市元首相が”正しい歴史認識をもつ”政治家(韓国鄭焙原首相の言葉)として歓迎を受けている。村山氏はソウルで”従軍慰安婦”とも会ってねぎらったともいう。この91歳の政治家は言葉は適切でないかもしれなが、ボケてしまったのであろう。もし、そうではなく正気ならば”国賊”と言われても仕方がない。

軍歴をみると、1924年(大正13年)生まれの村山氏は44年、宮崎県の都城の歩兵23連隊に入隊、幹部候補生(軍曹)として敗戦を迎えており戦地での経験はない。大正10年代に生まれた日本人の男性は、戦争による犠牲者が一番多く、特攻隊員はほとんどこの世代だ。村山氏より数年早くこの連隊に入隊した先輩兵士たちは、昭和18年、南太平洋のブーゲンビル島へ上陸してきた連合軍との戦闘で国ために散華している。

村山氏の年齢で、しかも大日本帝国の軍人であったならば、韓国がいうような軍人による慰安婦強制連行があった話など信じないはずである。村山氏の生まれた大分市の港町、生石港町にはかって遊郭があり、多分村山氏の青年時代には100人を越える娼婦がいたという記録がある。今でも遊郭の跡の写真がネットに載っている。村山氏が今回も会ったという「従軍慰安婦」も多分当時合法であった売春制度の犠牲者にすぎないのだ。

ブーゲンビル島では全体で2万人から3万人の犠牲者が出ているが、ほとんどが餓死だという。こんな極限状態にあっても原住民が日本兵を助けてくれたという記録がオーストラリア戦争記念館のHPに載っている(「日本の南洋戦略」丸谷元人ハート出版2012)同じ連隊の先輩たちの霊が眠り、助けを受けたブーゲンビリア島に慰霊に赴く気持ちは村山氏にはないのだろうかー。国賊まがいの韓国詣でよりは一段意義があると思うのだが。