「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

凧(たこ) 独楽(こま) 毬(まり) 追い羽根 戦前の正月追憶

2018-01-02 06:39:54 | 2012・1・1
正月三が日のおせち料理を老夫婦二人だけで祝うようになって数年は経つ。今日も二人だけで、わが家に伝わる100年来の朱塗りの山中漆器の三段重を持ち出し、お屠蘇でお互いの長寿を祝った。今年は暮に、すべて自家製にしたおせちだけに見た目には豪華さはないが、やはり、お雑煮には昔からの味の方があっておりおいしい。

おせち料理の定番といえば、カズノコ、昆布巻き、黒豆、きんとん、伊達巻、お煮しめ、紅白の蒲鉾etc.どれも今流にいうグルメからほど遠いのだが、子供だった頃は、三が日がもっと長く続けばと思ったのを記憶している。多分、戦前の日常からみれば大変なご馳走だったのだろう。

戦前のお正月はすべてに華やかであった。明治大正の子供たちは”あといくつ寝ると”(童謡お正月)と、男の子は凧(たこ)揚げ、独楽(こま)まわし、女の子は毬(まり)つき、追い羽根を夢見たが、僕ら昭和の子供たちも戦争が激しくなる前までは、百人一首、トランプ遊び、カルタ、双六、初笑い、家族合わせ、動物合わせと正月遊びには事かかなかった。

戦前の華やか正月風景がなくなった第一はやはり女性の晴れ着姿である。戦後も昭和30年頃までは日本髪で初詣する若い女性もあったが、今は見られない。東京郊外のわが家にも獅子舞や三河万歳が賑々しくツツミや太鼓を鳴らして門づけがやってきたが、これもまた消えてしまった。隣近所や勤め先の上司への年始参りもあまり見られなくなった。昭和も遠くなりにけりの追憶である。