「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

戦争末期の日本と北朝鮮の牛車と木炭車

2018-01-09 05:58:58 | 2012・1・1
ネットのアジア.プレス、ネットワークの情報いよると、北朝鮮国内の燃料価格が年末から新年にかけて急騰、ガソリン価格は1リットル当たり2600ウオン(約346円)もするという。この影響を受けてか、国内では牛車や木炭車が使用しているらしく、木炭車を修理する写真まで載っている。北朝鮮はここへきて韓国との板門店会談に応じたり、平昌五輪への参加を表明したりしているが、やっと国連安保理決議の制裁の効き目が出始めてきたのだろうか。、

牛車と聞いて想い出すのは戦争末期の昭和20年1月―4月、僕らは東京大田区六郷の軍需工場に動員され、秘密兵器、人間魚雷「回天」のエンジンカバーを製造していていたが、完成すると、部品は牛車に載せられ蒲田駅まで運ばれた。当時、東京の町を走る自動車はバスとトラックだけでそれも木炭車であった。3月、わが家は強制疎開に会い引っ越したが、6キロの道を往復2回、馬車で行き来した。

大東亜戦争の原因の一つはABCD(米英中蘭)4か国による対日禁油包囲網であった。確かに禁輸により、大和魂と竹やりだけでは勝利できないことを体験した。戦争末期、僕らは特攻用飛行機の燃料として松根油造りをさせられたが、原爆には勝てなかった。北朝鮮も自国での石油はなく、大半を中国とロシアに依存している。安保理決議を関係国が完全遵守すれば、大陸間弾道弾を何回も発射できないはずである。

北朝鮮兵士が木炭車の修理をしている写真をみて、”出てこいニミッツ、マッカサー、出てくりゃ地獄へ逆落とし”と軍歌を歌った時代を想い出した。