「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

机の上の核ボタン 金正恩の愚

2018-01-03 04:05:48 | 2012・1・1
加齢と共にこれまで自分が生きてきた”こしかた”が”ゆくすえ”よりも何故か愛おしく想い出される。新年の徒然なるままに70年前、昭和23年(1948年)の亡父の日記を読み直してみた。日記帳はまだ戦後の物不足を反映して、粗末なセンカ紙の薄いもので、父は1ページを3日に分けて使用していたが、年頭之辞だけは1ページを使い次のように記している。「迎える1948年は”希望の年”だと新聞では書いている。日本再建のためには講和条約成立が唯一の希望であり、それが我々が救われる唯一の道である」そして、そのあとに、この年の歌の勅題(お題)「春山」として自作の「木枯らしすさびし山も時を得て初日さわけき春めぐりこぬ」を紹介している。

今年のお題は「語」である。父も僕もまったく歌心はなく応募したことはないが、父にならって即席に一歌作ってみた。「戦争のむなしさ、むごさ語り部の減るる今、北の核実験の愚」

北朝鮮の金正恩労働党委員長が新年の国民への演説の中で”核のボタンは私の机上にある”と豪語していた。金正恩は1984年、戦争が終わって40年近く経ってからの生まれである。広島、長崎の原爆の悲惨さを知っているのだろうか。国連安保理が色々と決議する前に、わが国は拉致問題の解決と同時に、金正恩を広島、長崎に招待し、核兵器の恐ろしさを実感させたらどうか。

ジョージ.オーエルが1950年に書いた小説「1984年」では全体主義の愚かさを予言し、その通りになっているのを金正恩はご存知だろうか。