今日、1月の第一月曜日8日は「成人の日」国民の祝日である。といっても戦前生まれの僕にとっては、やはり「小正月」「元服の日」だとされる15日のほうが「成人の日」にふさわしいのだが。「成人の日」が国民の祝日と制定されたのは戦後23年の祝日法によるものだ。僕は26年に満20歳を迎えているが、式典の記憶はない。亡父の日記には2月の誕生日に親子水いらずで祝賀会を開こうと提案したが。試験中という理由で断られたとある。結局、僕は3月になって親しい友人4人を家に呼び、自分たちだけでパーティを開いている。
昭和26年最大の出来事は9月にサンフランシスコで米国など48か国と間で講和条約が調印されたことだ。当時大学3年生だった僕は国民の一人として戦争が終結した喜びははっきりと記憶がある。もう一つ、4月に連合軍(GHQ)司令長官マッカサー元帥が、トルーマン米大統領から朝鮮動乱をめぐる対応の違いから解任されたことである。何故、解任されたのか、子供などでよく理解出来なかったが、占領の”象徴”だった人物の突然の解任だけに変な衝撃があった。
今、振り返って不思議なのは、前の年の25年6月、朝鮮半島で突発し、福岡県では空襲警報まで出たという「朝鮮動乱」の戦況についての記憶があまりない事である。一時は釜山まで退却した韓国軍が連合軍の仁川上陸で巻き返した程度の記憶はあるが、まだ戦闘が続いていたのに、まったく”対岸の火”であった。戦争を放棄した平和憲法のお蔭と感謝していた。昨年北朝鮮から何度か弾道弾が飛来しJアラ―とが発令された時とは大違いだ。時代は違うが、「成人の日」からの67年前の追憶である。
昭和26年最大の出来事は9月にサンフランシスコで米国など48か国と間で講和条約が調印されたことだ。当時大学3年生だった僕は国民の一人として戦争が終結した喜びははっきりと記憶がある。もう一つ、4月に連合軍(GHQ)司令長官マッカサー元帥が、トルーマン米大統領から朝鮮動乱をめぐる対応の違いから解任されたことである。何故、解任されたのか、子供などでよく理解出来なかったが、占領の”象徴”だった人物の突然の解任だけに変な衝撃があった。
今、振り返って不思議なのは、前の年の25年6月、朝鮮半島で突発し、福岡県では空襲警報まで出たという「朝鮮動乱」の戦況についての記憶があまりない事である。一時は釜山まで退却した韓国軍が連合軍の仁川上陸で巻き返した程度の記憶はあるが、まだ戦闘が続いていたのに、まったく”対岸の火”であった。戦争を放棄した平和憲法のお蔭と感謝していた。昨年北朝鮮から何度か弾道弾が飛来しJアラ―とが発令された時とは大違いだ。時代は違うが、「成人の日」からの67年前の追憶である。