「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

半世紀前のUAE(アラブ首長国連邦)アブダビ首長国

2018-01-10 05:29:05 | 2012・1・1
社会人二年生の孫(男)が正月休みを最大限利用して昨日UAE(アラブ首長国連邦)の首都アブダビから帰国した。本来なら一昨日帰国の予定だったが、、航空会社のオーバー.ブッキングで席がなく、一日遅れの帰国となった。80老には、とても考えられない綱渡りの旅。若さとは好いものだ。

その僕にも若い時があった。半世紀以上前の昭和37年(1962年)11月、僕は勤めていた新聞社の移動特派員として、アブダビの土を踏んでいる。当時アブダビは英国の保護領「休戦海岸」(Trucial states)を構成する7首長国の一つで、日本では秘境の地とされていた。僕と同行のカメラマンは、もう一つの首長国、ドバイを中心に1週間取材した後、次の目的地、ドーハ(カタール)へ、双発プロペラ旅客機で向かう途中、給油のため立ち寄った。ドバイもアブダビも砂漠の中の飛行場で、砂嵐のため昼間しか離着陸できない時代であった。

アブダビ飛行場は砂漠のなかにあって小さな管制塔の建物があるだけだった。僕らの飛行機が着くと英国の若い外交官が挨拶のためやってきたが、目に涙を浮かべて、こんな秘境の地に流されたと窮状を、見ず知らずの僕らに訴えた。当時のアブダビは1958年に石油が初めて発見されたばかりで、砂漠の中の一集落であった。当時の米国の雑誌「タイム」はアブダビ首長が、ドル紙幣を信頼せず王宮の金庫に硬貨を貯め込んでいる、と報じたほどの”未開”の地だった。

そのアブダビが今や20世紀の奇跡といわれるドバイに迫る発展ぶりである。超高層ビルが林立し、日本人学校まであるほど在留邦人も多い。半世紀前、同僚のカメラマンが撮影した写真集「Dubai 1962」(Motivate出版 2008年)は今やドバイの国宝視されていると聞くが、当時のアブダビは砂漠だけで被写体は何一つなかった。”蒼海変じて桑園となる”以上の変化である。