「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

未曾有の寒さであった敗戦の年の冬

2018-01-30 06:38:26 | 2012・1・1

1月22日あら23日に東京に降った大雪が隣家の北側の屋根にまだ残っている。(写真左は23日、右は30日)すでに1週間たっているのだが、このところの最低気温蓮日氷点下の寒さに消えない。残雪の記録日ではないだろうか。気象庁の予想によると、明後日には、また東京は雪だとのこと。ひょっとすると、あのとても寒かった昭和20年1月―2月の敗戦の年の記録を凌駕するかもしれない。

亡父の残した日記帳の昭和20年2月1日の項には"元日以来未曾有の寒感とほとんど連日の空襲で早くも2月を迎えた”で始まっているが、73年前、敗戦の年の東京の冬はは2月22日に積雪量38センチという東京としては史上2番目の豪雪を記録するなど異常な年であった。当時、中学2年生で多摩川に近い六郷の軍需工場へ動員されていた僕は、この大雪の中を蒲田駅から工場まで行進したのを鮮明に覚えている。この豪雪から3日目の25日の日曜日、東京は再び大雪に見舞われ、その中でB-29の空襲で,神田、秋葉原周辺が焼けて死者まで出ている。

寒さと空襲の二重苦の中で、都民の間にはインフルエンザが大流行していたらいく、亡父の1月30日、31日の日記には”職場は欠勤者多く、だらけた空気”とある。しかし、明治生まれの父は26日の銀座空襲で山手線が有楽町駅で停車しないため東京駅から徒歩で通勤、これがたたって本人もダウンしてしまっている。僕が動員されていた蒲田の東海道線脇の防火用水には、捨て場所のないトイレの汚物が投げ込まれていた。恐らく、昭和20年の冬は史上最低であろう。